第5章:科学の限界と可能性

 研究所の責任者、鈴木玲子が葵を出迎えた。「私たちは今、地上環境の浄化技術の開発に力を入れています。何とか、人類が再び地上で暮らせるようにしたいんです」


 葵は興味深く耳を傾けた。「具体的にはどんな技術ですか?」


 「大気中のCO2を直接除去する技術や、放射線を遮断する新素材の開発などです。また、極端な気候を緩和するための気象制御技術の研究も行っています」


 玲子は、ホログラフィック・ディスプレイを操作しながら説明を続けた。複雑な分子構造や大気モデルのシミュレーションが、立体的に映し出される。


 「この技術は、ナノマシンを利用してCO2分子を捕捉し、炭素を安定した形で固定化するものです。理論上は、大気中のCO2濃度を産業革命以前のレベルまで下げることができます」


 葵は、自分たちの時代に開発していたプログラムのことを思い出した。「そういった技術で、本当に地球環境を回復できるんでしょうか?」


 玲子は真剣な表情で答えた。「正直、簡単ではありません。環境の悪化があまりにも進んでしまったので、回復には膨大な時間と労力が必要です。でも、諦めるわけにはいきません。人類の未来がかかっているんですから」


 葵は、玲子たちの決意に心を打たれた。同時に、自分たちの時代にもっと真剣に環境問題に取り組んでいれば、と後悔の念に駆られた。


 「でも、技術だけで全てを解決しようとすることにも危険があるのではないでしょうか?」葵は慎重に言葉を選びながら質問した。


 玲子は少し驚いた表情を見せたが、すぐに頷いた。「そうですね。技術には常に両刃の剣的な側面があります。私たちも、新技術の開発と並行して、倫理的な問題についても議論を重ねています」


 葵は自分の経験を踏まえて話を続けた。「私の時代にも、画期的な気候制御技術がありました。でも、それを使用しなかったんです。予期せぬ副作用を恐れて」


 「そうだったんですか」玲子は興味深そうに聞き入った。「その判断は正しかったのでしょうか?」


 葵は深く息を吐いた。「正直、わかりません。使わなかった結果がこの未来なら、使っていれば違う結果になっていたかもしれない。でも、別の悪影響があった可能性も否定できません」


 玲子は思慮深げに言った。「科学技術の進歩と、その影響の予測は常にジレンマを抱えていますね。私たちにできることは、できる限り慎重に、しかし果敢に挑戦し続けることだけかもしれません」


 葵は玲子の言葉に強く共感した。科学者としての使命と、人類の未来への責任。その狭間で、自分は何をすべきなのか。


 数日後、葵はゼノンと共に、月面基地を訪れた。これは、地球環境の悪化に備えて建設された人類の新たな居住地だった。


 月面基地は想像以上に発達しており、小規模ながらも自給自足のコロニーとして機能していた。しかし、そこにも様々な問題があった。


 基地の司令官、ジョン・スミスが葵を案内した。「ここでの最大の問題は、地球からの物資供給が不安定なことです。地球の環境悪化により、ロケットの打ち上げが困難になっているんです」


 葵は驚いた。「月面での生活に必要な物資を、全て自給することはできないんですか?」


 ジョンは首を振った。「完全な自給自足は難しいです。特に、高度な技術製品や医薬品などは地球からの供給に頼らざるを得ません。それに、長期的な宇宙滞在が人体に与える影響も懸念されています」


 葵は、月面基地の住民たちの表情を観察した。彼らの目には、地球への郷愁と、未来への不安が混在しているように見えた。


 「人類の存続のために、私たちは宇宙に進出する必要があるのでしょうか?」葵は問いかけた。


 ジョンは深く考え込んでから答えた。「それは一つの選択肢です。しかし、私個人としては、やはり地球こそが人類の本当の家だと信じています。月や火星に逃げ出すのではなく、地球を回復させる努力をすべきだと思うんです」


 葵は、ジョンの言葉に強く共感した。同時に、自分たちの時代に開発したプログラムのことが、再び頭をよぎった。


 その後、葵はゼノンと共に、もう一つの未来??プログラムを起動させた世界線??についての詳細な情報を得た。


 そこでは、確かに地球温暖化は抑制されていた。しかし、予期せぬ副作用として地球の磁場が大きく乱れ、宇宙からの有害な放射線が地表に到達するようになっていた。


 その世界の科学者、アレックス・チェンとのビデオ通話で、葵は衝撃的な事実を知った。


 「私たちは今、ほとんどの時間を地下や特殊なシェルターで過ごしています」アレックスは疲れた表情で語った。「地表での活動は、短時間に限られています」


 葵は息を呑んだ。「放射線の影響は……?」


 「深刻です」アレックスは暗い表情で答えた。「癌の発症率が急増し、遺伝子への影響も懸念されています。私たちは今、この状況を何とか改善しようと必死です」


 葵は、自分たちが開発したプログラムがこのような結果をもたらしたことに、強い罪悪感を覚えた。


 「他に、何か変化はありましたか?」


 アレックスは少し考えてから答えた。「地磁気の乱れにより、多くの動植物の生態系が崩壊しました。渡り鳥は方向を見失い、海洋生物の回遊パターンも大きく変化しました。生物多様性の損失は、私たちの予想をはるかに超えるものでした」


 葵は、両方の未来が抱える問題の深刻さに圧倒された。どちらの未来も、人類と地球の生態系に深刻な影響を与えていた。しかし、それぞれの世界で人々は必死に問題解決に取り組んでいた。


 数日間の探索を経て、葵は自分の部屋に戻った。頭の中は、見聞きしたことでいっぱいだった。


 ゼノンが静かに尋ねた。「どう思った? 何か、答えは見つかりそうかい?」


 葵は深く息を吐いた。「正直、混乱しています。どちらの未来も望ましくない。でも、どちらの未来でも、人々は懸命に生き抜こうとしている。その姿に、希望を感じました」


 ゼノンはうなずいた。「そうだね。人間の強さと適応力は驚くべきものだ。でも、君の役割は、こんな未来を作り出さないことだ」


 葵は真剣な表情で言った。「はい、わかっています。でも、まだ答えは見つかっていません。プログラムを起動すべきか、しないべきか……」


 「それを決めるのは君だ」ゼノンは優しく言った。「でも、まだ時間はある。もっとこの世界のことを学んでみるといい」


 葵はうなずいた。まだ見ていない場所、会っていない人々がいる。そこに、答えのヒントがあるかもしれない。


 そして葵は、最後の探索の旅に出ることを決意した。人類の未来を左右する答えを見つけるため、そして自分自身の科学者としての責任と倫理観を問い直すために。


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