第2章:異世界への跳躍

 葵の意識が戻ったとき、最初に感じたのは、肌を刺すような寒さだった。目を開けると、そこは見知らぬ風景だった。青白い光を放つ二つの月が、紫がかった夜空に浮かんでいる。周囲には、クリスタルのような構造物が林立していた。


 「ここは……どこだ?」


 葵は混乱しながら立ち上がった。身体に違和感はない。しかし、着ていた白衣は、奇妙な光沢を放つ繊維でできた服に変わっていた。その素材は、温度や湿度を自動調整し、着用者の生体情報をリアルタイムでモニタリングしているようだった。


 突然、背後から声がした。


 「やあ、目が覚めたようだね、地球からの来訪者さん」


 振り返ると、そこには人間とも、そうでないともつかない姿の存在がいた。半透明の体を持ち、頭部には複数の触手のようなものが生えている。その姿は、葵の理解を超えていた。


 「私の名前はゼノン。この惑星アルファ・センタウリ・プライムへようこそ」


 ゼノンと名乗るその存在は、柔らかな光を放ちながら葵に語りかけた。その声は、葵の頭の中に直接響いてくるようだった。


 葵は困惑しながらも、科学者としての好奇心が湧き上がるのを感じた。


 「私は……葵。地球から来ました。ここは……別の惑星なんですか?」


 ゼノンは柔らかな光を放ちながら答えた。


 「そうだよ。君たちの太陽系から約4.37光年離れた、アルファ・センタウリ系の惑星さ。でも、時間軸で言えば、君たちの2150年くらいかな」


 葵は息を呑んだ。2150年。自分の知る世界から100年も先の未来だ。そして、別の星系にまで来てしまったのか。


 「どうして私がここに……?」


 「君たちが起動させた量子プログラムがね、予期せぬ時空の歪みを生み出したんだ。その結果、君はここに飛ばされてきた。面白いことに、君の身体は量子もつれ現象によって、地球上の"別の君"とリンクしているんだ」


 葵は自分の手を見つめた。確かに、うっすらと透けて見える。まるで、完全にこの世界に存在していないかのようだ。


 「別の私……?」


 「そう。君がここにいる間も、地球では"別の君"が存在している。でも、その君は君のプログラムを起動させなかったんだ」


 葵は困惑した。「どういうことですか?」


 ゼノンは続けた。「君たちの世界線が分岐したんだ。一方では君がプログラムを起動させ、もう一方では起動させなかった。その結果、二つの異なる未来が生まれた。君は今、プログラムを起動させなかった世界の100年後にいるんだよ」


 葵の頭の中で、複雑な思考が渦を巻いた。量子力学の専門家として、並行世界の可能性は理論上理解していた。しかし、それを実際に経験するのは全く別の話だった。


 「では、私がプログラムを起動させた世界では……?」


 ゼノンの表情が曇った。「それが……良くない結果になったんだ。でも、それは後で話そう。今は、この世界で起こっていることを見てもらいたい」


 ゼノンは葵を導き、クリスタルの建造物の一つに向かった。中に入ると、そこは巨大なホログラム投影室だった。壁一面に広がる3D映像は、まるで窓から外を見ているかのような臨場感があった。


 「これが、君たちの地球だよ」


 ホログラムに映し出されたのは、葵の知る地球とは大きく異なる姿だった。極地の氷が著しく減少し、海面上昇により多くの沿岸部が水没している。砂漠化が進み、緑地帯が激減していた。大気中には、濃い灰色の雲が渦を巻いている。


 「これは……」


 「地球温暖化が進行した結果だよ。君たちのプログラムが起動されなかったこの世界線では、人類は環境問題に対して十分な対策を取れなかった。その結果、2150年の地球はこうなってしまった」


葵は息を呑んだ。自分たちが開発したプログラムを起動しなかった結果が、このような破滅的な未来をもたらすとは。画面に映る地球の姿は、葵の想像をはるかに超えて壊滅的だった。


 「でも、人類は……?」


 「生き延びているよ。でも、かつての繁栄はもうない。多くの人々が環境難民となり、住める場所を求めて移動を続けている。科学技術の発展も、環境問題の対応に追われてほとんど止まってしまった」


 ゼノンの説明に、葵は複雑な思いに襲われた。プログラムを起動させなかった判断が、このような結果を招いたのか。しかし同時に、もう一方の世界線ではプログラムを起動させて「良くない結果」になったという事実も重く心に沈んだ。


 「私に何ができるんでしょうか? なぜ私をここに連れてきたんですか?」


 ゼノンは真剣な表情で葵を見つめた。


 「君には、過去を変える力がある。この未来を回避し、かつプログラム起動による破滅も避ける方法を見つけ出すんだ。我々は、君の量子もつれ状態を利用して、君を過去に送り返すことができる。そして、最適な選択をする機会を与えることができるんだ」


 葵は驚愕した。過去を変える? そんなことが本当に可能なのか? 量子力学の専門家として、時間の可塑性については理解していたが、実際にそれを操作できるとは。


 「でも、それは危険すぎます。タイムパラドックスや……」


 ゼノンは葵の言葉を遮った。


 「我々の科学は、そういった問題を解決できるレベルまで到達している。心配はいらない。むしろ、君に必要なのは、最適な選択を見極める賢明さだ」


 葵は深く考え込んだ。自分の選択が、人類の未来を左右する。その重圧は、想像を絶するものだった。


 「どうすれば……最適な選択ができるんでしょうか?」


 「その答えを見つけるために、君にこの未来を見せているんだ。ここでの経験を通じて、君は必要な知恵を得ることができるはずだ。我々は君を導くことはできるが、最終的な判断は君自身がしなければならない」


 葵は決意を固めた。「わかりました。この未来をよく観察し、学びます。そして、最良の選択ができるよう努力します」


 ゼノンはうなずいた。「よし、それではまず、この世界の現状をもっと詳しく見ていこう」

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