【SF短編小説】時空を超えた葵の選択 - 2050年からの警告
藍埜佑(あいのたすく)
第1章:量子の分岐点
2050年、東京。
鏡面のように輝く超高層ビル群が立ち並ぶ未来都市の景観に、ひときわ目を引く巨大な建造物があった。それは、地上1000メートルを超える「東京スカイタワー」。その最上階に位置する研究所で、量子物理学者の葵(あおい)・クロフォードは、緊張した面持ちでホログラフィック・ディスプレイを見つめていた。
葵は30歳。短く刈り込んだ銀髪と鋭い眼差しが印象的な、中性的な容姿の持ち主だった。幼少期からジェンダーに違和感を覚え、今では自身をノンバイナリーと認識している。その姿からは、周囲の人々が抱く性別の固定観念を軽々と超越しているような雰囲気が漂っていた。
「これで本当にいいのかな……」
葵は小さくつぶやいた。ホログラフィック・ディスプレイには、複雑な量子アルゴリズムが立体的に展開されている。それは、人類が直面している最大の危機??地球温暖化を解決するための究極のプログラムだった。
「気候量子制御システム」??その名で呼ばれるこのプログラムは、量子コンピューターを用いて地球の気候システムをナノレベルで制御することを可能にする。大気中の二酸化炭素を効率的に除去し、海洋の酸性化を緩和し、極地の氷床を安定化させる。理論上は、わずか数年で地球の気候を産業革命以前の状態に戻すことができるはずだった。
しかし、その解決策には大きなリスクが伴う。プログラムの実行により、地球の気候を人為的にコントローлすることが可能になる一方で、予期せぬ副作用が発生する可能性も否定できない。最悪の場合、人類の滅亡すら引き起こしかねないのだ。
葵の脳裏に、10年前の惨劇が蘇った。当時、葵が所属していた研究チームは、新エネルギー開発の最中に予想外の事故を起こし、小規模ながらも周辺地域に甚大な被害をもたらしてしまった。暴走した反応炉が引き起こした局所的な時空の歪みは、半径10キロメートル以内の全てを異次元に飲み込んだ。その事故で多くの命が失われ、葵自身も深い心の傷を負った。
それ以来、葵は科学技術の進歩と倫理的な問題の狭間で苦悩し続けてきた。人類を救うための技術が、逆に人類を滅ぼす可能性。その重圧は、葵の肩に重くのしかかっていた。
「葵くん、準備はいいかね?」
声をかけてきたのは、葵の上司であり、このプロジェクトのリーダーでもある佐藤教授だった。温和な笑顔の奥に、鋭い知性を秘めた60代の男性である。佐藤教授は、20年以上前から気候変動問題に取り組んできた第一人者だった。彼の研究キャリアの集大成が、この「気候量子制御システム」だったのである。
「はい、プログラムの最終チェックは完了しました。あとは……実行するだけです」
葵の声には、わずかな躊躇いが感じられた。
「よくやってくれた。君の努力のおかげで、我々は人類史上最大の飛躍の瀬戸際にいるんだ」
佐藤教授は葵の肩に手を置いた。その仕草には、慈父のような温かさと、科学者としての冷徹さが同居していた。教授の目には、長年の研究がついに実を結ぶという期待と興奮が宿っていた。
「しかし、教授。このまま進めて本当に大丈夫なのでしょうか? 私たちには、起こりうるすべての結果を予測する力がありません」
葵の声には、不安と責任感が入り混じっていた。科学者としての好奇心と、人類の未来を左右するかもしれない決断への恐れが、葵の心の中で激しく葛藤していた。
教授はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「葵くん、君の慎重さはよくわかる。しかし、我々にはもう選択の余地がないんだ。このまま地球温暖化が進めば、50年後には人類の生存すら危ぶまれる。今こそ、科学の力で未来を切り開く時なんだ」
葵は黙ってうなずいた。心の中では葛藤が渦巻いていたが、教授の言葉に一理あることも理解していた。地球の平均気温は既に産業革命前より2度以上上昇し、極端な気象現象が世界中で猛威を振るっている。このまま手をこまねいていては、取り返しのつかない事態に陥る可能性が高かった。
しかし、その時??
突如として、研究所の警報が鳴り響いた。
「何事だ?」
佐藤教授が声を荒げる。
「教授、宇宙ステーションからの緊急通信です!」
別の研究員が慌てた様子で報告する。
大型ホログラフィック・スクリーンに、国際宇宙ステーション「ホープ」からの映像が映し出された。画面には、パニック状態の宇宙飛行士たちの姿が見える。
「地球からの皆さん、聞こえますか? 我々の観測によると、巨大な太陽フレアが発生しました。その規模は、人類史上最大のものです。このまま地球に到達すれば、壊滅的な被害が……」
通信が途切れた。研究所内は騒然となる。
佐藤教授が即座に判断を下した。
「葵くん、君のプログラムを今すぐ起動させろ! それが唯一の希望だ!」
葵は一瞬躊躇したが、すぐに決断を下した。早急な対応が必要な状況だと理解したからだ。しかし、心の奥底では依然として不安が渦巻いていた。
「了解しました」
葵はホログラフィック・キーボードに向かい、最後のコマンドを入力した。ディスプレイ上で、複雑な量子アルゴリズムが稼働を始める。
その瞬間、研究所全体が激しく揺れ動いた。
「これは……予想外の反応だ!」
佐藤教授の声が響く中、葵の視界が徐々にぼやけていく。意識が遠のいていく感覚と共に、葵は奇妙な引力を感じ始めた。
まるで、時空そのものが歪んでいくかのような感覚??。
葵の意識が完全に闇に沈む直前、不思議な光景が目に飛び込んできた。それは、見知らぬ惑星の姿だった……。
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