第六章「飢饉(ケガチ)たる女王」03

   03


 喫茶店カガリの残骸は粉塵の如く散り、それは渦巻いて空へ上がった。

 純麗はそれに巻き込まれ、やがて、粉塵が集まって一つの大きな結晶になる頃には、上空数百メートルの位置。出来上がったのはまるで全面ガラス張りの飛行船。そこから見える街の景色はジオラマのようで、結晶化した人間たちは綿棒よりも小さい。

「なんなんだっ……これっ……」

 大きな結晶のドームに閉じ込められた純麗は辺りを見回す。

 遥か真下の地上には喫茶店の床だけが残っていて、結晶化したアリスと未夢、クリーネ、カガリのマスターが凍りついている。ケガチは踏ん張っているが、体の半分が結晶化していた。

 自分の体だけが《女王のリリック》により守られている。

「ケガチ殿には少々お静かになって頂いた」

 同じ結晶ドームの中、少し高い所から低い声でそう語りかけるのは、顔面の半分を覆うほど大きなバイザーと、ひらひらとした軍服の男。女王親衛隊隊長のスロゥだ。

「あの時のハナカマキリっ……お前がっ……」

 彼が放つリリックの波動で、下にいる者たちの《リリカル・クロス》が抑え込まれているらしい。ケガチとクリーネとマスターだ。この男はそれを一人でそれをやっている。

 スロゥはもう一人の女性を先導するように、ゆっくりと純麗と同じ高さまで降りてきた。

 背後にいた彼女はどこか居丈高な顔つきをしており、その態度はケガチを彷彿とさせる。歳は純麗たちよりも少し上に見える。尖った鼻と目つきが純麗を見つめている。

「クリスタル・キングダムの女王、ツツガ様であられる」

 スロゥがそう言った。

 クーデターを起こし、妹であるケガチを国から追いやった女。すべての元凶。

 筒型ケースを握りしめる純麗の手が震えた。

「──よいか」

 透き通った声で、ツツガはスロゥの影から姿を見せた。

「貴殿が純麗殿であるか。我が妹と同じ適性を持ち、その《リリカル・クロス》使いこなしたそうだな」

「…………。」

「我が親衛隊を二度も退けるとは、《女王のクロス》の力は甚だしいものと再認識するばかりだ。度重なる結晶化、次元を超えてきたあの光……あれをケガチが手にすれば手に負えぬことは想像に難くない」

「それでっ……部下が役に立たないから、女王蜂が直々に来やがったのかよっ……ご足労なこったなッ! これがそんなに欲しいかッ……」

 心を昂らせた純麗は筒型ケースに指をかける。

「ここまで来たんだ。今さら渡すかよッ……てめぇを女王になんかッ……」

「……どうやら勘違いしているようだな。そのクロスはあくまでケガチのために編まれたもの。適性を持つ我や貴殿にも扱えるが、真の意味で一体化できるのは本人だけだ」

「……なんだと……?」

「女王の証ならここにもある」

 ツツガは胸のペンダントに触れた。

 それは装飾されているが、よく見れば純麗が手にしている筒型ケースと同じ形状をしている。

「まさかっ──」

「リリカル・チェンジ」

 ツツガが呟くと、リリックの封印が解かれた。

 飛び出した長いリボンが彼女の体を覆い、フリルが変化してドレスに変わる。それがベールにも、アームカバーにも、ブーツにもなる。

 ツツガのクロスが放つ波動。それが純麗の手にする《女王のクロス》を抑え込む。

「そんなっ……」

 純麗の体が結晶化を始めた。時の凍りつく息苦しさに犯される。

「がぁ……あぁッ……」

「いくら適性があるとはいえ所詮は他人のもの。我が《女王のリリック》に敵うはずもない。そのクロスは返して頂こう。元よりこちら側の世界には不要な存在。混乱の元でしかなかったのだ」

「なんなんだよッ……お前はッ……」

「これでケガチは女王の力を失う。あとは我がこちら側の世界の波動を受け、女王の使命を全うすればよい」

「……そんなにッ……そんなに女王ってのになりてぇのかよッ……てめぇはッ……妹を蹴落としてまでッ……」

「なに?」

「けッ! どうせ、あたしにはわからねぇよッ……そこまで執着する理由が……あの妹に恨みでもあんのかッ……それとも嫉妬かッ……自分の方が適性が低いから気に食わなかったのかよッ……」

 すると、ツツガは驚いた顔をした。

「……貴殿はなにも知らされていないのですか?」

 かと思うと、今度は妙に納得する。

「そう。そうでしょうね……」

 ツツガは波動を弱めた。

 純麗の結晶化が緩和され、息苦しさが和らぐ。

「……っ! はぁ、はぁっ……なッ……なんでッ……」

「貴殿は、クリスタル・キングダムが直面している問題についてはご存知か」

「なにっ──」

「次元の融合。この宇宙に渦があるのだとすれば、その中心に位置するのがクリスタル・キングダム。流れに導かれた他次元と重なり、やがて一体化する。それが結晶化」

「ああ、聞いたよッ……それを防げるのが女王様なんだろッ……」

「…………」

 ツツガはどこか悲しそうに首を横に振った。

「……違うのか……?」

「おそらく、ケガチはあなた方には黙っていたのでしょう。《女王の真実》を知れば、きっと協力したことを後悔してしまう。そう。あの子とクリーネはそう考えて──」

「なに言ってんだよッ……真実ってなんだッ!」

「クリスタル・キングダムの歴史について、お話しましょう」


   ◆


 クリスタル・キングダムがいつから存在したのかは定かではありません。

 すべての資料と文明は遥か昔に結晶化に呑まれてしまいました。あの次元はいつからか宇宙の渦の中心となり、他次元と重なる自然現象に呑まれてしまったと、そう解釈しかないでしょう。

 残っているのは一国という限られた土地。限られた資源。

 時が経つにつれて結晶化は進行し、その僅かな土地と資源すら奪ってしまう。あの世界は滅びる運命にありました。

 しかし、転機が訪れました。

〝仕立て妖精〟と呼ばれる種族が、次元の融合によりやって来たのです。

 彼らが編む魔法のリリカル・クロスは、僅かながら結晶化を押さえることができました。そこで誰もが考えます。

 強大な《リリカル・クロス》があれば、結晶化を防げるのではないかと。

「……それを扱えるのが……」

「ええ。女王と呼ばれる存在です」

 リリックには適性があります。基本的には万能ではありますが、その仕立てによって得意分野に偏りが生まれます。

 例えば、強い熱を生み出せるクロスは、その才覚を持つアンダのような者だけが十全に扱えます。私やスロゥにも扱えますが、彼女には敵いません。

 フラップとテイヘーはともに光の適性を持ち、スロゥは束縛の適性を持っています。

 そして、《女王のリリカル・クロス》とは《反結晶化》の力を持つクロスのことです。

 それも高純度で仕立てられた一級品。だからこそ高い資質が必要であり、だからこそ片鱗ですら莫大な力を発揮します。当時はそれによって結晶化を防ぐことに希望を持ったのです。

「しかし、その試みは失敗しました」

「……どうして……」

「単純な話です。使用者の精神と体力には限界があるでしょう」

 反結晶化のリリックによって、たしかに一時的に結晶化は防げます。

 しかし、使用するのが生きている動物だから、永遠にリリックを発揮し続けることはできません。リリックは心を消耗する魔法。そこに限界があったのです。

「そこで、先人たちは別のアプローチを考えました。生きた動物だから限界が来る……ならば、生きてさえいなければ、永遠にリリックの力を行使できるはずだと。例えば、リリックそのものと融合して、次元を留める鎹(かすがい)になれば、永久(とわ)に結晶化は抑えることできますでしょう」

「……っ……」

 聞いて、純麗は恐ろしくなった。

 クロスと一体化……? 永遠に結晶化を食い止める鎹……?

「それじゃあ、まるで……」

「私たちのことは《生け贄》と呼ぶのが正確なのかもしれませんね。ですが、その現実を直視することはあまりにも残酷すぎた。だから、犠牲になる者はいつからか《女王》と持て囃されるようになり、そして、それに依存するしかない国民は女王に心酔するようになったのでしょう」

 純麗は呆然とする。

 聞かされていることが信じられない。

「ま、待てよッ……じゃあ、おかしいじゃねぇかッ! だったら、なんでお前は女王になろうとするんだよッ! どうしてクーデターなんかしたんだよッ! そんなことをしたら──」

「決まってるでしょう。あの子を守るためです」

「……っ……」

「ケガチは私のたった一人の妹です。それを犠牲にして世界が救われたからと、喜べるものですか! だから、私は私が女王になろうと決めたのです! あの子に生きていてほしいから! あの子は、私にとって何よりも大切なものだから!」

「……そんなっ……」

「だから、そのクロスを渡してください! 私は妹を生け贄にさせるわけにはいきません!」

「……はっ……ははっ……なんだよ、それ……ふっはっは……──ざけんなぁああッ!」

 純麗は叫ぶ。

「あたしはっ……あのクリーネがっ、友達を助けるために力を貸してほしいと言ったから手伝ったんだぞ! それが大切なものだって言うから! それがこれなのかよ! あいつは自分の友人を犠牲にするために、あたしに手伝わせたってのかぁ! あぁっ!?」

「…………。」

「あたしは、そんなことのためにやったんじゃっ……違う、違うんだ……っ!」

「おつらいでしょう。受け入れられないでしょう。それをわかっていたから、きっと、黙っていたのです。我々とて直視できないから、女王をアイドル視して平和の味を確かめている……」

「なんだよ、それはぁ……うっ……うぅっ……」

 純麗の顔が歪む。心が歪む。その絶望に《女王のクロス》が反応する。

 リリックが純麗の心を増幅して、純麗の中で反響させた。

「……っ……いけないっ──」

 ツツガは気づいたが、純麗の頭はもうごちゃごちゃだ。

「なんでっ……こんなことにっ……」

 わかっている。誰かが悪いわけじゃない。

 クリスタル・キングダムという環境がこういう運命を生んだだけだ。それでも、そんなんじゃ、心の整理がつかないよ。だって、このクロスを返したら、あたしがケガチを死なせるようなものじゃないか! じゃあ、ツツガに渡す? そしたら、ツツガにその運命を背負わせることになる! どっちにしろ、あたしがどっちかを殺すんじゃないか!

「なんだよそれっ……なんでっ……」

 なんで、こんな目に遭わなきゃいけないんだ。

 あたし、つらい目にいっぱい遭ったのに。

 あたしだけじゃ無理だったんだ、あいつらが偶然助けてくれて、でも、勝手に巻き込んだんだから、あたし、苦しかったんだ、それでも耐えようと思ったのは──そう、自分が変われると思ったから。

 なのに、なんで、なぁ、誰のせいなんだ。誰のせいでこうなっているんだ。

「……お前か……」

「純麗さん、それから手を離しなさい!」

「お前せいかァああああああああッ!」

 すでに、 リリックの光は純麗の精神を侵食していた。

 純麗は筒型ケースを突き出した。

「リリカル・チェェエエエエンジッ!」

 カチリッ──《女王のクロス》、その封印が解かれた。

 三人を包んでいた黒い結晶の柱が砕けた。

「ツツガ様っ!」

 スロゥは彼女の手を引いてその結晶から脱出する。

 砕け散る黒い破片の中で、純麗は《女王のクロス》を纏う。

 鎖骨部から股下まで巻き付くリボン。両脇のフリルが大きく広がって、純麗の全身を包んだ。

 これまでとは違う姿だ。本来、小柄なケガチのために編まれたクロスは、長躯の純麗には丈が短かった。しかし、リリックが暴走したいま、全身を包めるほどクロスがほとばしっている。

 生まれたのは、もはや人間と布のどちらが本体かわからない姿だ。

「はぁァアアア……っ!」

 純麗は獣の目をしていた。

 殺意、憤怒、すべてをツツガに向けている。

「ツツガ様、クリスタル・キングダムへお引きください! ここは私が!」

「スロゥ……すまぬ!」

 ツツガは空の亀裂に向かって飛ぶ。

 純麗はそれを追って飛ぶ。世界を揺らすほどの波動だ。

 スロゥが純麗の前に立ちはだかった。

「どけよサングラス野郎ォオオッ!」

「女王様の御身にはっ──」

「うぉオオオオらァアアッ!」

 純麗の拳にリリックが集中した。

 空間が歪み、次元がひび割れる。そこに小さな宇宙が生まれる。

「なにっ──」

 純麗の拳はスロゥのガードごと殴りぬいた。

 結晶化の進行を気にするスロゥと、激情に駆られている純麗では出力が違う。いまの純麗は全門を開放したダムの水流だ。

 スロゥを弾き飛ばし、純麗は上昇する。

「てめぇがクーデターなんて手段選ぶからッ! ぜんぶお前だッ! お前のせいでッ!」

 ツツガに追いつき、その背中に蹴りをかます。

「くぅうっ……」

「ツツガムシめッ! あたしにひっつくクソダニ野郎ッ! 抹殺してやるッ! 消滅させてやるッ!」

 銀河系のように輝く純麗の拳を、おなじく女王のリリックを持つツツガは防ぐ。しかし、純麗の攻撃は一度では止まらない。蹴りが、突きが、止めどなく続いた。

「くぅうっ! やめなさい、純麗さん! あなたは《女王のクロス》に乱されています!」

「誰のせいだよッ! お前があたしをこんなんにしたんだろうがァッ!」

「このままではあなたの世界まで──」

「お前が壊したァアアッ!」

 重力を感じさせるほど力を凝縮した純麗の鉄掌(てっしょう)。

 それが振り下ろされる前に、

「──はぁあああっ!」

 横から出てきたスロゥが純麗を蹴り飛ばした。

 そのバイザーに反射するリリックの光は複眼が煌めくようだ。

「陛下はお下がりください!」

「ちぃ……邪魔すんなぁあアアッ!」

 二人のリリックが激しくぶつかりあう。

 押し寄せる純麗のリリックの攻撃を、熟練のスロゥは捌いて合間に数発を打ち込む。

 だが、純麗の全身から溢れるリリックはそれすら弾いた。

「女王の尻(ケツ)ばっか追い回すカマキリ野郎がぁ……ッ! ママの愛が足りなかったからそんなマザコンもどきになるんだよォオッ!」

「ぬぅッ!?」

 リリックの濁流が、スロゥの老練さすら呑み飲む。

 結晶化が進行する。どす黒い虹色の世界から彩度が失われていく。

「──スロゥ! こちら側へ引き寄せろ! クリスタル・キングダムで戦えばリリックは結晶化に影響しない!」

 次元の裂け目の前に到着したツツガはそう叫んだ。

 向こう側の世界の言葉だ。我を忘れている純麗には聞き取れない。

 しかし、そのツツガの背後、空間の向こう側から炎が溢れる。まるで津波のような熱い影だ。

「なにっ!?」

 ツツガはそれを回避した。

 激しい熱。炎のリリック。

 裂け目から現れたのは数名のローブの者。

 そして、アンダだ。

 彼らが身につけているエンブレムの紋章を目にして、ツツガは憤る。

「〝脱女王派〟っ……アンダ、そこまで堕ちましたかっ!」

「女王などという鎹は、市民に管理されていればいいのだッ!」

 アンダの熱線。クロスから放たれた複数の光の筋が、様々な角度からツツガを狙う。ツツガは空間を捻じ曲げて、その狙いから離れたところに瞬間移動した。

 アンダはその到着地点に炎弾を放つ。

 ツツガはリリックを凝縮した壁で受ける。

 その隙にアンダは一気に接近した。ツツガの体を掴み、間を置かず拳を叩き込む。

「いまだっ! いけよっ!」

 命じられたローブの者たちは、ツツガに向かって一斉に攻撃の構えを取った。

「──陛下っ! おのれぇええええっ!」

 スロゥは、両足で純麗を踏みつけ抑え込み、同時に手刀から光弾を放った。速射される数発のリリック弾。それは瞬く間に〝脱女王派〟の全員を撃ち抜き、それぞれは骨を失ったかのようにだらりと地上へ落下した。

 耐え抜いたのはアンダだけだ。直前で熱球を放ち、至近距離で相殺した。

 その爆風の中から鷹のような黄色い瞳がギラつく。

「親衛隊の隊長っ……貴様のような偶像(アイドル)崇拝者がいるからっ……」

「陛下、お引きください! 御身が──」

 御身が無事でなければ、女王は務めを果たせません。

 そう伝えようとしたスロゥの脳天に、純麗の胴回し回転踵落としがぶち当たる。

「がぁっ!?」

 スロゥを地上へ蹴落とし、純麗は上空のアンダを睨む。

「……褐色トカゲ女ぁ……まだ生きてやがったかッ! その面もぶっ潰してやるッ! まとめて地獄に落ちろォオオッ!」

 純麗はリリックの波動を放った。

 銅鑼の音ように鈍(にぶ)いものがじんわりと空に広がり、逃げ場なくツツガとアンダを包んだ。体表と内蔵、その両面から激しく震わせる。

「てめぇらは電子レンジに突っ込まれた水槽の金魚だッ! 内側から爆ぜやがれェエッ!」

「──くぅうああっ!」

「──ぎィいいイイいッ!」

 空が砕ける。結晶化が進む。

 こちら側の世界が透けて、その先にクリスタル・キングダムが見えた。

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