第六章「飢饉(ケガチ)たる女王」02

   02


 言伝を聞いた純麗たちは喫茶店カガリに向かった。

 道中、未夢は疑問に思っていた。

「ケガチさんもあの喫茶店使ってたんだね」

「ん~?」

「ほら、私は女王様と直接話したことないからさ。二人は家も知ってるんでしょ?」

「行ったことはないけど……用もないし……」

「みんな結構近くに住んでたのかもね」

「うん……」

 と、純麗はある方向に目を向ける。

 歩道から見える十階建てのL字型マンションだ。

 真ん中にぽっかりと焼け焦げた穴が空いている。倒壊の危険があったため解体工事の目処が立たなかったが、最近やっと許可が降りたらしく、一部に足場が組まれているのが見えた。

「そういえば私も女王様に助けてもらったんだよね。ぜんぜん記憶にないけど。ちゃんとお礼しなきゃ!」

「ついでに賠償金も請求しとけば」

「あ、あはは……」

 二人の会話を耳にして、ずっと黙っていたのはアリスだ。

「……なに」

 純麗が問うと、アリスはちらりと純麗を見上げる。

「別に。あんまショック受けないようにねって思っただけだし」

「なにが」

「なにって……あんた、気づいてないの?」

「……?」

「あんた、生まれてからずっとあのマンション育ちだったんでしょ? んで、小学生の時にあの喫茶店を見つけた。他に客が来ないあの店に」

「まぁ、たしかに不思議だよね。すっかり慣れてたけど……」

「……向こうでクーデターが起きた一ヶ月半前、ケガチさんはこっちに来て、この近くに住み始めた。そんでカガリを知ってる」

「それが?」

「まだわかんないの!? どう考えてもあのマスターってクリスタル・キングダムの人じゃん!」

「──あっ。もしかして、女王様を手伝ってた〝賢者様〟ってあの人ってことぉ!?」

 未夢だって流石に察する。

「ただの推測だけどね。もしそうだったら、あんた、ずっとあのモコモコちゃんの同類に恋してたことになるんだから、あんまりショック受けないようにって……──純麗?」

「もう、聞いてないみたいだよ」

 純麗はショックで電柱のように固まっていた。


 喫茶店カガリ──

 三人がテーブル席に着くと、ケガチがまず頭を下げる。

「ご足労いただき感謝します。クリーネから諸々の事情は聞いているかと存じます。《女王のクロス》を受け取る時が来ました」

 その隣には、当たり前のように黒髪と黒エプロンのマスターが立っていた。まだ、何も確認していないが、ケガチが事情を隠そうともしないのが答えだろう。

「こちらは仕立て妖精の賢者、カガリ殿です。こちら側の世界の拠点を管理し、私の世話をしてくださいました。皆様に必要だった諸々も用意してくださったかと存じます」

 紹介されて彼は涼しい顔で頭を下げる。

 ケガチの説明はそんな簡単なもので終わった。

「──あ~……だから、ここ、他にお客さんがいなかったんだねぇ……」

 未夢が小声で言う。

「そうでしょ」

 とアリスだ。

「純麗がこのお店に見つけられたのって、女王様と同じリリックの適性があったからでしょ? 同じ波動をもっている純麗と、一緒に行動していたアリスたちにしかこの店は認識できないんじゃない?」

 ケガチが「ええ、そのとおりです」と肯定した。

「賢者殿は《予見のリリック》により、私が即位した頃から姉上のクーデターを予期しておりました。クリーネがクロスを手にしてこちら側へ来ることもです。その際に、私の代わりに《女王のリリカル・クロス》を扱える者が必要でした」

「──予見に早すぎる先手を打てばその先がわからなくなってしまう。予見のとおりに進めてから対応するのが最も動きやすいからね」

 とマスター。

 純麗を前にしてそんな台詞を吐けるのは、やはり人ならざる者の思考回路なのだろう。

 純麗はずっと呆然としていた。

「注文したものがなんでも出てくるのも予見の力かぁ……親切だったのも、女王様を手助けする大切なお客様だもんね。まっ、アリス的には都合良すぎると思ってたけど……」

「本題に入りましょうか」

 ケガチだ。凛とした表情で真剣に言う。

「あっ、はいっ……」

 と、正気に戻った純麗はスカートベルトに手をやった。

 そこに引っ掛けている筒型ケースを外し、テーブルに置く。

「じゃあ、今度こそ……」

「はい。感謝します」

「……これで、ぜんぶ終わりで……」

 ケガチは頷く。

「ええ。これを手にして、私はクリスタル・キングダムへ帰還します。そして、女王へ復権し、こちら側の世界との融合化を阻止します。皆様とはもう二度と会うことはないでしょう」

 そんな台詞を聞くと、例えどんな関係であったとしても、感傷的な感情が湧く。

 彼女の存在は、純麗にとって、言ってしまえば一方的な迷惑でしかなく、それから起きた事件の数々を考えれば、許せるような要素はどこにもない。

 それでも、あえていい方向に考えようとするのであれば、

「ケガチ女王。それから……そこのゾウリムシ……」

 テーブルの端っこにちょこんと座っていたクリーネにも言う。

「正直、あなたとの出会いは最低だった。それから起きたことも最悪だった。けど……いいことも一応あった……と思うし。あたしはそっちに目を向けることにするからさ……」

 素直になりきれないその遠回しな言い方に、アリスと未夢がくすりと微笑む。

 クリーネは立ち上がって、頭を下げた。

「純麗。ありがとうなの! 僕は純麗と会えて良かっ──」

 その瞬間だ。喫茶店カガリが大きく揺れた。

 まるで地震。しかし、それにしては地表だけではなく、もっと全体的な部分が揺れているように感じる。大気や空間、自分の肉体まで呑まれているのだ。

「あわわわっ!」

「な、なに!?」

 窓側にいた未夢とアリスが窓の外に目を向けると、空に亀裂が入っていた。

 結晶化だ。景色が虹色に輝いている。地面も、街も、おそらくその先にある海まで水彩絵の具のバケツをひっくり返したかのよう、どす黒く変色した。

「これはっ……防ぎきれないっ……」

 マスターがそう言う。

 声色は落ち着いているが、どこか焦りのある態度だ。

「陛下。僕では守りきれません。リリックを──」

「えっ、ええっ──」

 ケガチはテーブルに置かれていた筒型ケースに手を伸ばした。しかし、激しい揺れのせいでそれはコロコロと反対の方向へ転がってしまう。

 気づいた純麗が手を伸ばした。

 長躯の純麗だから、座ったままの姿勢でも床スレスレに手が届いた。

 喫茶店カガリが崩壊する。

 トルネードに呑まれたかのよう、屋根が剥がれ、外壁も崩れる。すると、これまで守られていたはずの店内が結晶化を始めた。

「うわぁ!」

「なんで!」

 未夢とアリスが結晶化に呑まれた。

 クリーネとマスターもだ。それぞれ《リリカル・クロス》を手にしているはずの二人まで凍りついてしまった。

 かろうじてケガチだけは耐えている。

 だが、その両足は床と一体化してしまい、上半身も部分的に結晶化していた。

 無事なのは純麗だけだ。《女王のリリカル・クロス》だけがこの異常事態に対応している。筒型ケースが内側から熱い光を放って、それが純麗を守っていた。

「……あたししか守れないのかっ……」

 上に引っ張られるような感覚。

 既に天井はないので、純麗が顔を上げると直接空が見えた。その向こうに二人のシルエットがある。

 片方は親衛隊隊長のスロゥ・バン。

 もう一人は、薄いドレス姿の女だった。

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