第六章「飢饉(ケガチ)たる女王」01
01
ケガチは体内に波動が満ちるのを感じた。
「皮肉なことですが、度重なる結晶化により時期が早まったのだろうと推察しています」
と、ある男にそれを伝える。
「黒木純麗、有村薫、目堂未夢……よもや、私の手助けが不要なほど、クロスに馴染んでしまいました。恥ずべきことです」
「しかし、陛下はこちら側の波動を受ける必要がございました。滞在することで、この次元とクリスタルキングの二つの波動を体内に宿せます。これをして初めて《女王のリリカル・クロス》は本来の用途に当てることができるのです。御身を危険に晒すことを避けるのは僕の使命ですから」
「ですが、賢者殿。その準備も終わりました」
「では」
「はい。《女王のクロス》を回収し、私はクリスタル・キングダムへ帰還します」
「…………」
「例の準備を願います。よしなに」
◆
葉桜中央高校、1年B組。
一学期が終わろうとしていた。
期末テストが返却される緊張感と、その返却期間には授業がないことによる緩みが生徒たちにあり、休み時間になった瞬間の騒がしさはいつもの数割増しだ。
どこかの男子生徒らは、点数で賭けをしていたのだろう。
「合計点727っ……──しゃああっ! ガリガリ君、確定っ!」
「まじかよぉ……」
その脇で絶望の声もあった。
「やっべぇ、赤点じゃあ……」
「補修じゃん。一緒だね……」
純麗は席で頬杖をついていた。
その耳元に、何度も囁く声がある。
「アリス、一番でした」
「…………」
「アリス、一番でした。アリス、一番……取りもしたぁ~っ! 合計成績、クラスで一番でぇ~す! ふっひゃっひゃっひゃっ!」
純麗はデコピンをしたが、アリスは額を赤くしたまま勝ち誇った顔で「ケケケ……」と笑い続けた。
「そんな悪役みたいな笑い声上げる人はじめて見た」
「いやぁ、あんたに数学98点取られた時はビビったけどね、家庭科総合で平均以下取ってたの知った時は胸がすっとしたわぁ。どうも、ありがとね。ガガンボちゃん」
「…………」
「クラスの人気者アンケートも、やっとあんたを抜いたしぃ? 一学期はアリスの勝ちってことで──」
「ふっ!」
純麗は長い手を伸ばし、刻み突きのようにアリスのブラウスの第三ボタンを一瞬で外した。
もう夏服なのでお互い半袖だ。アリスは第二ボタンまでは元から外しているので、それをされるとインナーの柄まで見える。
「どわっ! なにすんじゃい!」
「……ふん!」
アリスがボタンを締め直している一瞬に、純麗はアリスのスカートを捲り上げる。
「ほぎゃぁああ!」
「スカート捲くられて〝ほぎゃあ〟か。見上げた乙女がいたもんだ……」
「んの野郎ぉ~」
「何回も合体した影響? だんだん、あたしの口の悪さが伝染ってきてるよ」
「えっ、まじで?」
「取り繕ったところで、どこまで行っても腹黒女なんだから。腹黒って知ってる? ノドグロの親戚だよ。ぜんぶ目黒に住んでるの。引っ越してくれば? そのまま焼かれてガングロになっちゃえ」
「……いや、絶対あんたには敵わないわ……」
そこに、お手洗いから戻ってきた未夢が合流する。
鼻歌混じりだ。
「サ~メっていいな~っ! サ~メっていいな~っ!」
「……昨日はどんな映画見たの……」
とアリスは呆れ顔で聞く。
それに答えるのは純麗だ。
「『天使にラブソングを…』ってやつ」
「絶対に空耳でしょ!」
「──いい映画だよねぇ! ほんと、名作だよ! アリスちゃんも映研に入ればいいのにぃ!」
未夢は座っている純麗と肩を組んだ。
立っている未夢と、座っている純麗は、肩の高さがちょうど同じだ。
「さぁ、アリスちゃんも一緒にトゥギャザーしようぜぇ! 純麗ちゃんもついに映研に入ったんだからぁ、アリスちゃんも映研にJOIN(ジョイン)すればリリカル的に完璧だよぉ! 平日はバイトしてぇ、水曜日は映画観てぇ、休日は映画館にお出かけしてぇ……それから月曜日は映画の話するの! えへへぇ!」
「怖わー……」
「時々、乱闘が起きるんだよ! 先週なんかね、上映会で純麗ちゃんがボソっと文句言ったら喧嘩が始まったんだ! 部員が純麗ちゃんにポップコーン投げつけたから試合開始だよ! 結果は純麗ちゃんがワンパンK.O! 止めに入った部長にもローキックぅ! カンカーン!」
「なんで映研なのにそんな殺伐としてんの……アリス、絶対入んないし……」
「えー、見てる分には楽しいのにぃ!」
肩を組んだ未夢と純麗は、一緒になって横に揺れる。
「サ~メっていいな~っ!」
「へい」
「サ~メっていいな~っ!」
「へい」
笑顔で歌う未夢と、純麗の低い声による合いの手。
それに呆れるアリスの顔。
同じ秘密を共有するようになったせいか、三人はいつもこんな調子で付き合うようになっていた。
同学校内、3年D組──
条奥ケガチは目立たない生徒だった。
元よりこちら側には存在しないはずの人間だ。女王としての役目を果たすため、賢者の力を借りて偽りの身分で暮らしている。
だから、登校しても誰にも挨拶されず、授業で指されることもない。宿題を提出すれば採点されるが、教師からのコメントは当たり障りのないもの。いわば透明な生徒だった。
引き出しの中身を鞄にしまっていると、生徒たちの声が聞こえてくる。
「なーんか志望校いけるか微妙なんだよなぁ、俺ぇ。夏休み地獄だわぁ……」
「予備校込みすぎてて授業の予約できないんだけどぉ!」
「──お前、どこ行くんだっけ?」
「──僕は実家を継ぐから……」
この世界の未来あるものたちの会話だ。
ケガチはそれを耳にして、教室を出る。
向かったのは1年B組の教室。その廊下側にある生徒たちのロッカーだ。
教室の方は担任の話が長引いているようで、まだ生徒たちは出てこない。ケガチはロッカーの隣に立ち、リリックの波動で話しかける。
「クリーネ……クリーネ。そこにいますか?」
「──女王様なの?」
「はい。彼女らに言伝を願います。喫茶店カガリで話したいことがあるので来るようにと」
「……それって……」
「女王の使命を果たす時が来ました」
ロッカーの中で、クリーネはうつむく。
ケガチにはそれが見えないが、返事が届かないので表情を想像することができた。
「彼女らとの別れの言葉を考えておいてください。あの方たちには大変な迷惑をかけました」
「で、でもぉ──」
「クリーネ。知る必要のないことです。彼女らが《女王の真実》を知れば傷つくだけでしょう。このままにしておきましょう」
「…………」
「よしなに」
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