第四章「クッキング・ヘル! 桃子様のお料理天獄!」03

   03


 花園桃子(はなぞの ももこ)は、私立京琴(けいきん)高等学園にやって来た。

 大学生の彼女が通う学校ではない。母校でもない。

 しかし、桃子はその敷地に侵入した。

「止まらないっ……なんなのこの気持ちっ……」

 変化が起きたのは一週間前だ。

 何も感じない。体も動かない。そんな温かみのない時の止まった様な空間で、一時間か、二時間……気がつくと景色がどす黒い虹色に満ちていた。それが元の景色に戻って動けるようになったとき、体の内側に変化を感じたのだ。

 まるで、自分の体に魔法が染み込んだかのような感覚。

 胸の内が得体のしれないエネルギーで溢れていた。

 最初はそれだけだったのだが、次第にその力を使えば自分の望みがすべて叶うのではないかと思うようになり、日に日に自制が効かなくなっていた。

 もはや自分の意志で動いているのか、その魔法に操られているのか。

 気がつけばその学校の一階にある調理実習室に向かっていた。

 中には複数のエプロン姿の生徒。放課後という時間帯からして、お菓子づくりの部活だろう。

 その教室の扉を力いっぱい開いて、桃子は叫んだ。

「高校生ケーキ作りコンテスト最優秀賞の金田南(かねだ みなみ)ぃいいいいっ! 私とお料理勝負しろぉおおおおっ!」

 呼ばれた金田南は振り返る。

 ロングヘア。白とピンクのエプロン姿の女子生徒だ。

「な、なに……あなたっ……」

「お題は気合のケーキだぁあッ!」

「ケ、ケーキ勝負ですってぇ……っ!」

 部員たちがざわめく中、金田南は表情をギュッと固めた。

「いいでしょう! 受けて立ちます!」

「いざ尋常に……──クッキンっ!」

 料理コンテストが始まった。

 謎の来訪者、それを迎え撃つカリスマ部長。この二人がハンドミキサーを手にしてはもう誰も止められない。互いに無駄のない動きでスポンジケーキの生地を作り、オーブンで火にかけた。

「うおおおおおおおっ!」

「はぁああああああっ!」

 生クリームを泡立てる速度も同じ。ここまでは互角だ。

 しかし、ここで花園桃子から虹色の光が溢れる。それがオーブンを包むと、一瞬でスポンジケーキを焼き上がった。

 驚愕する金田南。

「なにぃ!? 早いですってぇ!?」

「せいやぁああああっ!」

 桃子はそのスポンジ生地をスライスして、クリームを塗るナッペ作業を手早く済ませた。

 それを終えたらフルーツの飾り付けだ。その他諸々の工程を驚くべき力ですっとばし、完成させたホールケーキを切り分けて、金田南の口に突っ込んだ。

「これでも食らえぇえええっ!」

「もごっ、もがぁッ……う、うまい……ぐはぁっ!」

 金田南は仰向けになって気絶した。

「……ふん。他愛もない……」


 それから、数日後。

 大型ショッピングモールの一階ホールに、キッチンセットが準備されていた。

 人気急上昇中の料理研究家、高橋流司(たかはし りゅうじ)の公開収録イベントだ。

 料理業界では暗黙の了解で忌避されていた「うま味調味料」や「めんつゆ」をためらいなく駆使したお手軽料理は現代人の心に響いた。彼はいまやその界隈では有名人だ。

 その特設イベントスタジオに、二階から飛び降りてきた花園桃子。

 スーパーヒーロー着地で床タイルにヒビを広げ、叫ぶ。

「料理研究家の高橋流司ぃいいいいっ! 私とお料理勝負しろぉおおおおっ!」

「むっ──」

 観衆がざわめく中、彼は振り返る。

「君が噂の料理人狩りか……いいだろう。受けて立つ!」

「お題は、やみつきになる卵料理っ! いざ尋常に……──クッキンっ!」

 料理コンテストが始まった。

 高橋流司は箸が止まらなくなる料理、通称〝暗黒シリーズ〟を得意としている。無限にキャベツを消費できる「暗黒ゴマキャベツ」や、豆腐と混ぜて電子レンジにかけるだけの「カルボナーラ豆腐」が代表作だ。

 高橋流司は迷いなくフライパンに火をかけた。

「君の来訪を待っていた。本気でいかせてもらおうっ……ネギゴマ醤油で味付けする〝焼き半熟暗黒卵〟で勝負だッ!」

 これはフライパンと調味料だけですぐに完成する。

 想定調理時間は3分。

 事前に準備をしていた高橋流司は勝利を確信していた。

 この料理は一度SNSで話題になったお墨付きレシピのアレンジだ。受け入れられないはずがないのだ。

 しかし、桃子の作業はもっと早い。

「炊きたてご飯に生卵をON(オン)っ! 冷凍小ネギに味の素、昆布の佃煮を投入してかき混ぜたら電子レンジで半熟にするっ!」

「な、なにぃ!? まさかっ……それは禁じ手のっ……」

「卵かけご飯だぁあああ! うぉおおおおっ! 食らいやがれぇええええっ!」

 桃子は電子レンジから取り出した熱々の茶碗を手に取り、彼の顔面に叩きつけた。

「もごぉ!? 熱ぅッ……う、うまいっ……やっぱ熱い! ぐはぁッ!」

 高橋流司は白目を剥いて気絶した。

 イベント会場はざわめく。

「つ、つよい……」

「あの料理バトラーはいったい何者なんだっ……」

 桃子の心を暴走させていたリリックが激しさを増す。

「私はっ……私は最強の料理人だぁああああああっ!」

 こうして、結晶化は始まった。


   ◆


 喫茶店カガリで、結晶化を感じたクリーネが飛び起きた。

「誰かが暴走してる気配がするのぉ!」

 と純麗の鞄から顔をにょっきりとのぞかせる。

「暴走っ!? なんで、こんなときにっ!」

 化粧を落とした顔で窓の外を見てみれば、町が虹色に凍りついている。

 純麗は、ベチンッ──とアリスを平手打ちし、結晶化を解いた。

「痛ぁっ! なにすん……えっ、嘘ぉ!?」

「たぶん、この前の戦いの余波なの! リリック適性の強い誰かが体内にリリックを蓄積しちゃったの! それが暴走したの!」

「じゃあ、暴れ回ってるってこと!? 止めないとじゃん!」

「──くそっ……ショッピングモールの方かっ!? 微妙に遠いっ……」

 純麗が席を立ち、アリスもそれに続く。


 ショッピングモールの中心で巨大な触手がうごめく。

 怪物がその無数の腕で料理をしていた。

「料理ぃいいい……バトルぅうウぅううっ……」

 そこに到着した純麗はいきなりキレた。

「てめぇかぁああッ! あたしとマスターの邪魔したリリカル馬鹿野郎はぁあああッ!」

 遅れて追いついたのは息絶え絶えのアリスだ。

「ぜぇっ……ぜぇっ……あ、あんた足速すぎっ……」

「料理する子はいねぇかぁああ! いねぇええのかぁああ!」

「なにあれ。ナマハゲ?」

「むっ……動いている人間っ!? お前たち、私とお料理勝負をしろぉおおおっ!」

 クリーネが、

「やっぱり、リリックで心が暴走しているの!」

 と怪物の傍らで気絶している桃子を指差した。

「私は最強の料理人だぁああ! 私を倒したければレッツ・クッキンっ!」

「ああ、いいぜッ! あたしがてめぇを料理してやるよぉおッ!」

「では、お題はチーズをふんだんに使った料理ねっ!」

「──待つの、純麗! 女王様がまだ来てないの!」

「うるせぇッ! あたしの怒りは軽減税率適用外だッ! お前は大使館にすっこんでろッ!」

「美味しさはいつでもプライスレスっ! 小動物は調理場に入ってこないでっ!」

 しょぼくれたクリーネがアリスに囁いた。

「……純麗、かなり心を暴走させてるの……」

「みたいね……ちょっと、純麗っ!」

 とアリスは手を伸ばす。

「ああんッ!?」

「ほら、合体した方が安定するでしょ」

「……ああッ! とっと捻り潰してこいッ!」

 純麗の怒りに呼応して、筒型ケースがはち切れそうなほど輝いていた。

 それを投げ渡されたアリスは、構えて叫ぶ。

「リリカル・チェンジっ!」

 カチリッ──《女王のリリカル・クロス》が飛び出し、アリスと純麗を包んだ。

 フリルが変形し、ドレスに変わる。二人の心と体は一つになった。

『──しゃあっ! いいかボッカブリぃ! あの汚いイソギンチャク野郎はリリックで心が暴走してるから、リリックを流し込んで中和するんだ! わかったな!』

「……あ~……要するに殴ればいいってことねっ!」

 アリスは体を巡る波動に命令を与えた。

 エネルギーを下半身から足裏に落として放出、ジャンプ。その勢いのまま拳を突き出す。

 突撃のようなパンチだ。

 しかし、怪物はモチモチの物体を吐き出した。

「えっ……な、なにっ!?」

「チーズ大福、お待ちどうさまでぇええす!」

 ぐにょんっ──とアリスのパンチはチーズ大福に包まれた。求肥(ぎゅうひ)に包まれた生クリームとチーズは、クッション性能が抜群だ。

「いでよ! 裂けるチーズ!」

「なっ──」

 裂けた棒状チーズがアリスの両サイドに伸び、

「逆再生!」

 元に戻ってアリスを挟んだ。

「ぐえぇっ!?」

『──なにやってんだよボッカブリッ! チーズに食われたらウジムシにも負けんだぞッ!』

「う、うるさいっ! こんなのもうチーズじゃないでしょっ……こんのぉおッ!」

 アリスは全身を輝かせる。

 イメージするのは帯電。自分と電気が一体化して、超スピードで動き回ること。

 アリスは熱でチーズを溶かして脱出した。そして、ショッピングモールの空間を縦横無尽に跳ねて、怪物を撹乱する。

「くぅっ……まるでノミみたいねっ! 不衛生極まりないっ!」

『お前、本当にボッカブリみたいになってきたな。いいぞッ! そのままやっちまえッ!』

「──あんたら揃いも揃ってアリスを虫に例えるなぁあああっ!」

 雷のように飛来するアリスの体当たり。

 怪物に大きな衝撃を与え、よろめかせる。

「ぐぅうおおおっ……くぅ! ──私はっ……いつもいつも自分のために料理してるのにぃいっ……」

 怪物の中身、花園桃子の記憶(イメージ)がリリックの波動に乗って広がった。

 小さな部屋、一人ぼっちで夕食を食べる彼女の姿だ。

「一人暮らしをするようになってから自炊に目覚めたんだっ! あれこれアレンジしてっ……美味しいのにっ……それなのに食べるのが自分一人……誰も褒めてくれないのっ!」

「……で?」

「有名になってレシピ本だしたいよぉおおッ! 動画作っていっぱい再生されたぁあああい! 承認欲求満たしてぇえええっ!」

「…………」

「そして、印税が欲しいっ! 動画収入いっぱい欲しいぃいいっ! もう勉強とか仕事とかやだっ! 楽して、遊び半分にお金を稼ぎたいよぉおおおっ! おおおんっ!」

「あんたそっちが本音でしょっ!」

「私の悲しみとチーズラクレットの波に、呑まれてしまえぇええええ!」

 どろどろに溶けたチーズが、マグマのようにアリスを襲いかかった。

 帯電したアリスなら避けられるが、周りには結晶化した一般人もいる。背後にはクリーネだ。

 アリスは両手の間にリリックを凝縮した。

「流体だったら、流線型っ! 撃ち出すものはライフリングって決まってるんだからっ!」

 アリスは大きな弾丸をチーズの波に向かって撃ち出した。

 高速回転する弾丸はチーズ波を弾いて、怪物の胴体にぶつかる。

「ぬぐぅッ……この程度ぉッ……」

「だいたいそんな成功談、再現性がないでしょうがぁあああっ! アリスだって楽してお金欲しいわぁあああっ!」

『……お前、なににキレてんだ?』

 弾丸にはベアリング・ソケットがついていた。そこから伸びている二本のコードをアリスが握っている。アリスから電気が流れる。リリックの電撃だ。怪物の波動はそれによって中和された。

「ぐぎゃあああああっ──」

 怪物は砕け、花園桃子は精神を取り戻した。

 アリスは《リリカル・クロス》を収納した。

 それから時の止まった結晶化の世界が溶けるまで、二人はずっとチーズの香りに包まれていた。何時間も。

 戻る頃にはすっかり、体にチーズのにおいが染み込んでいた。

「吐きそう……アリス、しばらくチーズはいいかな……」

「……明日、学校でバゲットサンド食うやつがいるぞ……」

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