第四章「クッキング・ヘル! 桃子様のお料理天獄!」02
02
葉桜駅は、純麗たちの最寄り駅だ。
最寄りと言っても学校の敷地から徒歩30分の距離にある。
そこが市の中心地で、大抵のチェーン店が揃っているし、古い商店街には未だにタバコ屋や布団屋が残っている。有名な激辛タンメンの暖簾分けされた店があり、ある画材屋などはメディウム(アクリル絵の具と混ぜて質感を変える画材)やコピックの扱いが豊富なので、休日には市外からも人がやってくる。
商店街の中央にあるドン・キホーテは、学生がもっとも寄り道するスポットの一つだ。
その二階にある化粧品売り場は、学生向けの安価な商品を取り揃えており、アリスは迷わず真っ直ぐそこへ向かった。
「あたし……家が反対の方だから、ここ初めて来た……」
「葉桜ってドンキあったんだーっ!」
純麗と未夢だ。
本当に女の子? という顔でアリスが半目になる。
「……いろいろ道具はあるけど、一度で買い揃えることないし。消耗品なんか百均のも使えるからね……いくつかはアリスのやつ貸してあげる」
「う、うん……」
アリスの後について、純麗はおどおどと陳列棚の前にしゃがんだ。
視線をキョロキョロと動かす。何が何の道具かわかっていない。
「どういう系の化粧にしよっか。あんた会いに行く男とかいないの?」
「……そんなの……」
「せっかくなら見せたいでしょ。気になってる人とかさぁ──」
気になっている男の人。
それを聞かれたとき、純麗の頭に浮かぶのは一人だけだ。
純麗はわかりやすく動揺した。
「……いやっ! ち、違うっ……そういうんじゃないっ……」
「えっ、嘘ぉ!? いんのぉ!? アリス、意外……」
「い、いいでしょ、別にっ……」
「それ誰?」
「……知らないっ……」
その純麗の視線が一瞬、未夢に向いたのをアリスは見逃さなかった。
即座に二人が住んでいたマンションと関係があると見抜いた。
「もしかして、帰り道の店とか? それか、近くに住んでた人?」
「~~~~ッ!」
「ちょっと未夢~っ! こっち来なさ~いっ! 未夢~っ!」
「やめっ……ざけんなボッカブリっ! アブラムシっ! 来なくていいんだよ、アマメ、ヘイハチ、トービーラーっ!」
「未夢~っ! 未夢~っ!」
未夢はコスメコーナーの手前に屈んで陳列棚(ラック)を見つめていた。
そこにあったDVDを手に取り、呼びかけに答える。
「見て見てぇ! クソ映画がいっぱい並んでるよぉ!」
「さっさとこっち来いやぁッ!」
純麗は小さなメイクセットを買った。それから階段前のベンチに並んで休憩することにした。そこで未夢はあっさり答える。
「──あぁ~、あの喫茶店のお兄さんのことぉ?」
「お兄さん?」
「マンションまでの帰り道にね、喫茶店カガリってお店があるんだよぉ。私もあんなところにあるなんて気づかなかったんだけど、純麗ちゃんに案内されて知ったんだよね! そこのご飯すっごく美味しいの! メニューは決まってなくてね、その日仕入れたもので作るんだって! マスターさんが〝なに食べたい?〟って聞くから、私がチキンブリトーって答えると、〝あるよ〟って一言で返してくれてね! 本当にチキンブリトーが出てきちゃったぁ!」
「へぇ……」
チキンブリトーという料理は聞いたことがないが、今はそこではない。
隣で純麗がわかりやすくたじろいでいるのだ。
「マスターさんになに食べたいか聞かれてるときの純麗ちゃんね、すっごい可愛い子ぶってるんだよぉ!」
「ちょっ……」
「小学生のときからずっと通ってるんだもんねぇ~っ!」
「~~~~っ!」
ほう。では、顔の方はどうなのだろうか。
アリスが聞くと、
「顔? スーパー戦隊シリーズでリーダー務められるくらい整ってるよ?」
「はい、イケメン確定。純麗。化粧してその人の所に行くよ」
「──うえぇっ!?」
純麗が跳びはねた。
2メートル16センチの長躯だと、ちょっとした動きがいちいち大きい。
「引っ越して帰り道変わったんだから、最近はその喫茶店にも行ってないんでしょ? いい機会じゃん。あいさつしに行こ」
「や、やだっ……そんなの、恥ずかしいっ……」
「大丈夫、大丈夫。アリスがぜんぶ教えてあげるからさ」
「……だって……いや、でも……」
「だから、夕飯おごってね」
三人は喫茶店カガリにやって来た。
住宅街にポツンと建つ、いかにも〝町の喫茶店〟という外見のお店だ。
表にルーフがあって、それが店内への直射日光を遮っている。大きなガラス窓からテーブル席とカウンター席の存在が確認できる。
純麗が扉を開いて、ドアベルが鳴ると、
「いらっしゃい」
とマスターの声。黒い髪と黒いエプロンの青年が姿を現した。
「こんにちは……あの……お久しぶりですっ……」
「そうだね」
「実はっ……その、あたしの家が火事になっちゃって……」
「心配してたよ」
「えっ! ほんとぉっ!?」
「少しは落ち着いたのかな」
「まぁ、はい……え、えへへ……」
アリスはなんとも言えない表情で純麗を見る。
こいつ「えへへ」とか言うんだ、とそのまま声にしそうになった。
「三名様かな。お好きな席へどうぞ」
「おじゃましま~す」
三人はテーブル席へ向かう。
純麗は奥へ座ろうとした。
「ストップ。それじゃ顔見てもらえないでしょ。アリスが奥の席座る」
アリスが窓側、隣の通路側に純麗が座った。
長躯の純麗は正面に人がいると脚がぶつかってしまうので、未夢はアリスの正面に着く。
マスターがおしぼりと水を持ってくる。
「ご注文は?」
アリスはアクリススタンドのメニューに目をやった。
アイスティー、アイスコーヒー、コーラ、オレンジジュース……どこにでもあるラインナップだ。ここに来るまでに聞いた定食やらチキンブリトーやらはどこにも載っていない。
マスターが言った。
「裏面を見てごらん」
「裏?」
アリスはメニューを手に取り、裏面を確認した。
《本日のお食事 時価》
「これって──」
「裏メニュー」
「…………」
とりあえず、全員飲み物だけ頼んだ。
マスターが暖簾の奥へ消えると、純麗は買ったばかりのメイクセットを開封し、アリスは自分の化粧ポーチを取り出した。
「んで、なにすればいいの?」
「とりあえず顔洗ってきて」
「なんで?」
「……埃とか汚れの上から化粧すると目立っちゃうから。おでこもしっかりね。ついでに髪も纏めてきなさい」
「んっ──」
純麗が席を立ちレストルームへ向かう。
戻ってきてから、その顔をアリスは化粧水を染み込ませたコットンで撫でた。
「んで乳液ね。これやんないとカピカピしちゃうから。──まずは下地から。アリスのおすすめはこのエンジェルジェルUV。これ日焼け効果があって、夏の汗吸収してくれるからテカらなくなんの。冬用は保湿成分高いのがあるから自分でそれを買いなさい」
アリスは純麗の顔に化粧下地を塗り拡げた。
「目元は避けて、全体に均一に広げる。口元と鼻横は忘れやすいから気をつける」
「んっ──」
「で、パウダーね。下地のまんまでいいやつもあるけど、表面がペタペタするからこれで表面をサラサラにすんの。パンこねるときの小麦粉みたいなもんよ」
「……へぇ……」
「そんで、こっからはあんたのメイクセット使う。追加で買うときはこれに色合わせてね。じゃないと変に目立ってピエロみたいになっちゃうから」
アリスはアイブロペンを手に取り、それで純麗の眉を書いた。
「まず眉毛から。これ印象のすべてだから。眉毛ミスると終わりだから。眉毛書いてからアイブロマスカラで毛の質感消すんだけど、これしないとゲジゲジに見えて芋っぽくなっちゃうの」
「……う、うん……」
「で、シェーディング。暗いパウダーを使って陰影の差で骨格を隠す。丸顔もシュッと見えるの。そしたらハイライト。鼻先や顎の先端を明るくすることでシャープに見せる。そんでチーク。これ塗りすぎ注意。意識しないと存在気づかないくらい薄くする。でも、面倒くさがっちゃいけない部分で──」
「…………。」
「面倒くさそうな顔しない!」
「……化粧って大変なんだ……」
「そうよ。世の男どもはもっともっと尊敬しないといけないの」
「まだ終わんないの……」
「まだ半分でしょ。目元がこれからなんだから」
「あたし、目の近くでなんかやるの苦手……目薬とかさせない……」
「慣れなさい。アイメイクって練習あるのみだから。色合いはセットを買えばどうにかなるけど……ただ、男受けがよくわからないんだよね~……あいつら涙袋を怖いって思うらしいよ」
「ああ、ネイルとかもそうだって聞く」
「眉毛のカールの度合いとかさぁ……アリス、苦手なのにピューラーやってんのにぃ……」
「なにそれ」
「……うん」
説明しながら、純麗の化粧は二十分程度で終わった。
純麗からしたら長時間だったが、アリスからすれば軽い化粧だ。
出来上がりを見て未夢が拍手する。
「おお~っ! 凄ぉ~い! 純麗ちゃん、アンドロイドみた~い!」
「褒めてんのかそれ……」
一応、未夢なりの美人の表現なのだろう。
純麗は顔表面の慣れない感覚に落ち着かない。口にはしないが、大量のアリがわさわさと這っている気分だと思ってしまう。
そのタイミングを見計らったようにマスターがやって来た。
「食べたいもの、決まった?」
「──えっ」
驚いたのはアリスだ。
実は彼は純麗が顔を洗いに行っている最中に飲み物を持ってきて、直ぐさまにキッチンの向こうへ消えた。それが化粧が完成した途端に注文を取りに来たのだ。
偶然を装っているが明らかに狙っている。わざわざ純麗の作業を見ないようにしていたのだ。
純麗が顔をあげると、そこにチークではない赤みが頬に出ていた。
「……あの、その……」
「おや。雰囲気、変わったね」
「えっ……そ、そうかなっ……」
「うん。明るく見えるよ」
「~~~~っ!」
聞いて、アリスは小さく「わお……」感嘆した。
純麗は直接的に「かわいい」と褒めるとお世辞だと思い、余計な気を使わせたと自己嫌悪する面倒な性格だ。だから、マスターは少し遠回しな言い方をしたのだろう。
感極まった純麗は慌てた様子で言う。
「カ、カレー……っ! あたし、カレー食べたいっ!」
「あるよ」
マスターはその一声で背を向けた。
純麗が泣き始めたのはその直後だった。
化粧が一気に崩れるほど、おしぼりを顔に押し当てていた。
もらい泣きするのは未夢だ。
「ううっ……よかったねぇ、純麗ちゃ~んっ!」
「……あんたがあれ好きな理由、なんかわかったわ……」
純麗は内面が過敏だから、ああいう博愛的に見える男に惹かれてしまったのだろう。
だが、あれは単にウェイターとして優れているだけではと、アリスは思う。
それでもアリスは、一応成功かな、という面持ちでアイスティーに手を伸ばした。
結晶化が起こったのはその瞬間だった。
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