第三章「ブロンドガールの駑馬十駕(どばじゅうが)」05
05
時を戻して、昨日の放課後。
アリスは3年生の階で、掲示物を眺めていた。
それはあることを確かめるためだった。
一人と一匹から聞いたそれまでの話──モコモコちゃんは純麗と一緒に行動していていると、ケガチの気配を近くに感じたと言った。
つまり、純麗の生活圏にケガチは隠れているはずなのだ。
誰だって考えると思う。これ、真っ先に疑うのは学校じゃないの?
でも、ケガチは身を隠す立場だし、《女王のリリカル・クロス》は時期が来るまで受け取らないと言うのだから、純麗にはその所在まで突き止める理由がなかった。
だけど、アリスにとっては違う。
あんたが巻き込んだんだから、あんたも手伝いなさいよって、思ったんだ。
んで、掲示物を確認してたら。
「……えっ……」
アリス、驚愕。
──3年D組。条奥(じょうおう)ケガチ。
「……普通にいんじゃん……」
探していた女王は、そこにいた。
LPガスの倉庫裏で純麗と話していたときに、一人と一匹へそれを伝えた。
叫び声を上げたのはモコモコちゃんだ。
「えぇえええええッ!?」
と純麗の鞄から顔を出す。
「どこどこどこなの!? どこにいたの!? ケガチ様どこで見たの!? どのにいるの!? どこなの!? どこにケガチ様いたの!? どこなのどこなの!?」
「落ち着きなさいよ……呼び出してあるから……」
「へぇっ……?」
すると、ちょうど足跡が近づいてくる。
彼女だ。一見、中学生にも思える幼い顔立ち。3年に在籍しているが、そもそも別世界人なので実年齢は謎。とにかく小柄で落ち着きがある。
「じょ、女王様ぁ~っ!」
モコモコちゃんがダイブした。
ケガチはそれを、気を許した表情で受け止めた。
アリスはアンダを倒す計画の話をした。
「というわけで、ケガチさんにはアンダの隙をついて──」
「なるほど。ええ、もちろん協力いたします。元は我が身の不甲斐なさが起こしたこと。たしかに、お二人の心を合わせれば《女王のクロス》も多少は扱えるでしょう……──しかし、アリスさんは、どうして私のことがわかったのですか?」
変なことを聞かれた。
「いやいや。だって、名前がそのままだし……」
「そのまま? というのは?」
「女王ケガチで、こっちでの名前が条奥ケガチなんだからっ──」
ケガチはキョトンとする。
それから少しすると、妙に納得したふうな表情に変わった。
「……ああ! なるほど! 言われてみればっ……」
何その反応……。
この人、天然なの?
「そっか! ケガチ様、本当はケガチ様って名前じゃないの!」
と、モコモコちゃんが跳ねた。
どういうことだろうか。聞いてみると。
「僕たちは、リリックの力でこっち側の言葉を喋ってるの! でも、僕のクリーネだって、リリックで変換されてるだけで本当は〝クリーネ〟って発音じゃないの!」
「……再変換されてるから、かな……」
純麗だ。
「向こうの人間は〝ケガチ〟って文字列じゃ名前と認識できないんじゃないの……? あたしの名前〝スミレ〟だって、発音で英語にしたら〝VIOLET(バイオレット)〟になる。それを再翻訳したら、あたしの名前は〝紫(むらさき)〟になっちゃう……」
「あっ、そっか……」
アリスは気づいた。
きっとケガチという名前は飢饉(ケガチ)で、ツツガの名前は恙(ツツガ)なんだ。戦国時代の幼名のように、子供にわざと悪いイメージの名前をつけて魔除けにする。おそらく《クリスタル・キングダム》にもそういう文化があるのだ。
そのせいで変な変換が起きているのだろう。元が意味のある熟語だから、再変換するとニュアンスがずれてしまう。クリスタル・キングダムの本来の名前から、日本語の「ケガチ」に変換され、それを再変換したものをクリスタル・キングダム人は読んでいるから。
「──おおかた、そのとおりです」
とケガチは頷いた。
「私のこの名前、言われなければ意識できないでしょう……クリスタル・キングダムの人間は私の名前だと認識できません……驚きました……」
それを聞いた時、アリスの中で新たな疑問が浮かんだ。
……その名前、誰がつけたの?
……なんでそんな名前にしたの?
そういえば、彼女は〝賢者様〟の手を借りてこの世界に身を隠しているんだよね。女王は二世界の融合を防ぐという使命を果たすため、こちら側に一時的に滞在をしなければならない。クーデターで故郷から逃れた彼女は、その準備を使用してこの学校に隠れていた。
だからって、そんな名前にする理由が見当たらない。
女王ケガチ……条奥ケガチ……。
こっちの人間には一発でわかって、クリスタル・キングダム人には認識しにくい名前。それってまるで、誰かにケガチ見つけさせるためにそうしたみたいじゃん……。
結果的にアリスが見つけただけで、それは純麗だったかもしれない。
もしかして、その賢者って人、純麗のような人間が出てくることを予期してたんじゃないの? 予見の力とやらで、クリーネと出会って代わりに《女王のクロス》を纏う存在が現れることを知っていたんじゃないの。
だとしたら、その賢者様も、純麗の近くにいるんじゃ……。
「アリスさん」
「えっ! あっ、はい!」
「アンダの件は承りました。ただ、どうか……ご無理はなさらないように。注意を引くだけで構いませんから──」
◆
強敵のアンダさえ討てば、一般兵のディ・ズーはどうにでもなる。そういう話だった。
だから、本来、アリスは戦う必要なんてなくて、ただアンダの注意を引いていれば良かったんだけど……まぁ、なんか流れで反撃してしまった。
リリックの波動が心を昂らせたせいだろう。
おかげで痛い目に遭って、今は黒木純麗におぶられている。治癒された箇所がズキズキと痛んで自力では歩けなかったんだ。
これも、結晶化が溶けるにつれて、少しだけ治るらしい。
しばらく運ばれていると、薄く透けていた校舎の輪郭が戻りつつあるのが見えた。
校門の前に着くと、ケガチさんはそこで止まった。
「私は帰ります。家は先程お伝えしたとおりです。お二人は教室へ?」
「ええ。荷物も置きっぱなしですし……結晶化(これ)が戻るまで半日でしたっけ……」
「それくらいだと思います。結晶化が溶けたら、念のため病院へ行ってください」
「……いつ頃になったら、《女王のクロス》を受け取れるようになるんです?」
「早ければ一ヶ月半。いえ、二ヶ月はみていただきたいです」
「……二ヶ月……っすか……」
それが、アリスたちの籠城戦の期間。
もちろん、ケガチさんも手伝ってくれるが……というか、そもそもそっちの問題なんだけど、その間アリスたちで《女王のリリカル・クロス》を守らなければならない。いつどんな刺客がやってくるかわからない状況で、私たちはどれだけ踏ん張れるのだろう。
「アンダはあれだけのダメージを受けています。任務失敗の件も含めて、リリック回収の命令は解かれるはずです。あとはディ・ズーの良心に委ねることにもなりますが、きっと親衛隊からは外されるでしょう。少なくとも私がこちら側にいる期間は来ませんよ」
「けど、別の親衛隊は──」
「来るでしょうね」
ケガチは申し訳無さそうに言う。しかし、ふっと微笑んで、
「まぁ、二ヶ月など、本でも読んでいればすぐですよ」
とそんな冗談を残して去ってしまった。
小さな姿がより小さくなると、純麗にしがみつく力が無意識に強くなる。
「……自分で自分の肋骨を折り直したら世話ないよ……」
「……あのさ。もし無事にさ、ケガチさんが女王になって、女王の力でぜんぶ解決してくれたら。それで平和になるとかじゃなくて、それからもアリスたちの人生って普通に続くんだなって……いま思っちゃった……」
「……そうだね……」
「本読めってさ。未来があるんだから、こんな時でもそうしろって」
たぶん、ケガチの冗談はそういう意図からだろう。
駑馬十駕……曰く、駄馬でも十日かければ駿馬と同じ距離を走れる。その例えのよう、駄馬のアリスには止まっている暇はない。たしかに、そのとおりだ。
もし休んだら、それは有村薫だ。
私はアリスなんだ。
だけど、今だけは思うことがあって、目の前にある耳に顔を近づけて囁く。
「ちょっと、ふて寝するわ」
「はっ、なにそれ」
目を閉じると、大きな背中が小刻みに揺れているのを感じた。
うん。これで良かったんだよね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます