第三章「ブロンドガールの駑馬十駕(どばじゅうが)」03
03
翌日の放課後──
アリスが図書館で宿題をやっているのは、できるだけ三人で行動しようということになったからだ。いや、三人っていうか、二人と一匹かな?
大きなテーブルの正面に黒木純麗がいて、モコモコちゃんは机の脇で眠っている。筆箱のような形状に丸まってだ。この子は寝息も立てないし、つついてもまったく反応しない。
「この妖精、なんでもありじゃん……」
アリス、逆に感心する。
純麗は現在ホテル暮らしだし、アリスの家庭は人を入れるとか絶対にNG。んで、お互いファミレスに入り浸るお金はないのでこうなった。とはいえ、勉強を教え合うような仲じゃないし、宿題を分担するのは気に食わない。お互い放課後ギリギリまで黙々と進めるだけだった。
「……あのさ……」
純麗が声を出す。図書室なので囁き声だ。
「その……変な聞き方かもしんないけど……なんで、そこまでできるの……」
目をやると、体を丸めた純麗は上目遣いだった。
「なにそれ」
聞くと、こいつは言いづらそうに言う。
「いつも思うんだ。いつも、なんでそんな必死なんだろうって……そのっ、悪い意味とかじゃなくて……毎日髪型のこと考えたりとか、お洒落に気を使ったりとか、あたしにはできないから……クロスのことだって、あたし、結局断れなかったんだと思う。口実がないから……きっかけはあったけど、流されてこうなったんだと思う……」
「…………。」
まぁ、時々自分でも思うことはある。
アリスはなんでこんな必死になってるんだろな……って。
もちろん、裕福な家庭を手にしたくて、男に好かれる女になりたいからだと思っている。それは体だけの関係じゃなくて、そのパートナーと釣り合うだけの教養と学歴を手にした上での話だ。
しかし、それが必ずしも幸せに繋がるとは限らないことも知っている。お金はあるけど家庭が蔑(ないがし)ろなんて珍しくないし、女をアクセサリーにしか思わない男は、教養なんて煩わしく思うだろう。
そんなことを中学生の時に痛感した覚えがある。
アリスは男のプライドを傷つける女だった。
二年前、クラスで一番頭のいい男子を誘惑して付き合った。そいつは家が神社の本家とかですごいお金持ちだった。姉がパリへ留学しているという話を何度も聞いて羨ましく思っていた。
それで玉の輿を狙って手を出したわけだけど……アリスはその男子よりも勉強もスポーツもできてしまった。その子は軟式テニス部だったんだけど、アリスも指の皮が剥がれるほど練習したら二ヶ月でそいつを追い越した。成績も追いつこうとしたら追い抜いてしまった。
それで、そいつはアリスを避けるようになったんだ。
アリスは自分がしていることがわからなくなった。
その子の器が小さかったのかもしれないし、アリスがやりすぎだったのかも知れない。まぁ、たぶん両方だ。バランスが取れないからそうなったと考えるのが賢明だ。
だけど、これを思い出すたび、暗い気持ちが湧き上がる。
時折、自分がものすごい空振りな人生を送っているのではないかと怖くなるのだ。努力の先にあるのが孤高かも知れない。今だって、黒木純麗なんかを助けてやろうとしていることに、思うことはある。
だとしても──
「……大切なことは誰にも知られたくない。そういうこともあんの」
それがアリスの返答だ。
純麗はわかったような、わからなかったような、そんな顔をした。
「大丈夫。準備はしたんだから……あとは──」
そこまで話したときだ。
「──ふにゃ!」
不意にモコモコちゃんが目を覚ました。
この子が目を覚ましたってことは、おそらく結晶──
◆
──化が起きていたらしい。
アリスが意識を取り戻したとき、聞こえてきたのは純麗の半泣き声だった。
「ねぇ、起きてよっ……早く起きてって……」
視界がはっきりすると、純麗が驚くほど情けない泣きっ面でアリスを掴んでいた。
腰にぶら下がっている筒型ケースから漏れている光。《女王のリリカル・クロス》だ。その温かみに包まれてアリスは動けるようになったらしい。
ああ、こいつがアリスの結晶化を解いたんだ。
「んっ……ううっ……」
と、体をゆっくり起こす。
窓際でモコモコちゃんが跳ねる。
「──空が割れてるの! クリスタル・キングダムと繋がってるの!」
見回すと、辺りの景色が凄いことになっていた。
図書室が坑道のように硬くなっているのだ。
壁や床は濁った虹色に輝いて、本は本棚と一体化して不気味な鉱石のよう。窓の外だって虹色。空も大地も、おそらく海の向こうまでこんな状態だ。
これが時空の停止、《結晶化》という現象。
説明を聞いていたが、体感するとやはり違う。
「変な感じ。なんか、ふわふわする」
「重力がないから……摩擦も、ないし……」
純麗はそう言うが、だからって宇宙空間のように髪が浮き上がることはなく、普通に歩くこともできてしまう。呼吸をしているのに、鼻や唇に空気抵抗を感じない。結晶化とリリック、この非常識の集合体がアリスたちの常識とはかけ離れた物理現象を生んでいるらしい。
しかし、これが成り立つのも純麗を中心とした《女王のクロス》の範囲内だけだ。モコモコちゃんは自前のスカーフによる力。つまり、アリスはこの二人のどっちかと常に一緒に行動しなければ結晶化してしまう。
「ど、どうする……?」
問われて、アリスは急いで純麗の手を引く。
「外っ! 広いとこに出るんでしょっ!」
図書室の扉は石のように固まっていたが、純麗が触れている間は普通に動く。
この世界では純麗が中心だ。
「ほら、開けて!」
「んっ……」
これを繰り返して玄関を出る。
向かうのは校門だ。校庭は部活をやっている生徒がいっぱいいるので駄目だ。学校を出ても駅方面には国道があって通行が激しい。だから、その反対側──葉桜中央高校の北側には、足賀沼(あしがぬま)という沼がある。
その回りは田んぼだ。
学校近くで人が少ない場所はそこしかなかった。
「誰も巻き込まない! 広いとこで戦うって決めたでしょ!」
「で、でも……田んぼ荒らしたら、農家の人に悪くない……?」
「神社が近くにあるから大丈夫ッ!」
なにが大丈夫なのだろう。
よくわからないが、過敏な純麗をそう説き伏せた。
「うわっ!」
道路を走っていると、温度のない虹色の道路が燃えた。
反射的に身を引いて伏せてしまう。
──炎の柱だ。
それが突然現れて、千年杉のようにアリスたちの前方にそびえ立った。
虹色の世界を赤く照らす。
背中に感じる、焼けつくようなプレッシャー。
目の前にあるのがキャンプファイヤーだとすれば、背後に感じるのは直射日光だ。容赦のない二つの熱射がアリスたちを挟んだ。
振り返ると、褐色の肌と鷹のように黄色い瞳。
「女王のリリックを渡せ……と、忠告するのはこれが最後だ」
シルエットこそ人間だが、骨格にこっち側の人間との差異を感じられる。
その特徴は親衛隊のアンダって女だろう。
アンダはアリスたちの左舷、車道側へ降り立った。
右舷には小さな畑があったが、そこには血管が浮き出るほど透き通った肌の大男が降りてくる。血管と言ってもターコイズブルーのような輝く青。ディ・ズーだ。
前後には炎の柱。完全に逃げ道を塞がれた。
「……くっ……」
純麗がスカートベルトにかけていた筒型ケースに手をやる。
その手は震えている。
「無理だ」
アンダは突き刺すような一言で、純麗の動きを止めた。
「いまの貴様の精神状態でリリックは扱えまい。そもそも、まともな訓練すら受けていない貴様は始めからそれを吐き出しているだけで操ってなどいないのだ。《女王のリリック》という強大な力で強者ぶっているだけ──」
アリスは、繋いでいたその手から、純麗の震えを感じた。
顔を見なくても、どんな感情を抱いているのかわかる。
だから、アリスが代わりに答えてやる。
「《女王のクロス》は渡せない」
アンダは怪訝な顔をした。
「誰だ?」
「こっちの世界の人間。アリス」
「……なぜ、お前が答える」
彼女の声色から感じる若干の憤り。錯覚か、辺りの温度が増した。
それにつれ、景色の結晶化が進行していく。
「純麗──」
アリスは彼女に手を伸ばす。
大きな子供の上目遣いがアリスを見る。
「本当に……いいの……」
直前になって、純麗は迷ってしまったのだろう。
目を逸らそうとするから、アリスは本当のことを言う。
「さっきの質問の答え。なんでこんなに必死になるかって……それはね、必死になれないのが怖いから」
「えっ……」
「駑馬十駕……曰く、駄馬も十日もかければ駿馬と同じ距離を走れる。それを信じてずっと走ってるの。立ち止まりたくないから。立ち止まったら、アリスが今までしてきたことがぜんぶ無為になっちゃう気がするから。つまらないプライドかもしれないけど、それがアリスにとっては大切なの」
「…………。」
「だから、お願い」
純麗はベルトから筒型ケースを取り外す。
それをアリスは受け取った。
「……なにをっ……」
受け取ったケースを握りしめ、アンダに向かって構える。
先端の、ちょうど親指の辺りに来るロックに力を込める。
私はアリス。有村薫なんて人間じゃない。
だから、これを掲げて叫ぶんだ。
「リリカル・チェンジッ──」
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