第三章「ブロンドガールの駑馬十駕(どばじゅうが)」02

   02


 翌日のお昼──。

 アリスはラップに包んだおにぎりと、昨日の肉ジャガを突っ込んだタッパーを手にして黒木純麗の席に向かった。

 しなびた大根みたいなあいつと、その隣の席にいる目堂未夢の定位置だ。

 家を失ってから相変わらず惣菜パンを買ってくるこいつは、それを小さくちぎって小鳥のよう啄む。食欲がいつも十分の一くらいになっている。ちょっと腹が立つのは、アリスだってたまにはメロンパンとか食べたいから。こっちはお金がないからいつも自炊だ。

 未夢の方はというと、最近ようやく新しい住まいが決まって、少しずつ引っ越し作業を進めているらしい。火の手が回らなかったとはいえ、あのマンションは建物の中心に穴が空くほどの損傷だ。いつ崩れるかわからないということで住人全員が退去した。

「ネット早く繋がんないかなぁ……」

 と未夢が言う。

「ネット?」

「だって、映画観れないじゃーん! スマホじゃすぐ通信制限かかっちゃうしぃ!」

「あんたは相変わらずだわ……」

 未夢はこれまでと変わらない様子だった。

 よくみたら火事になる前と同じ食器だ。いくら消失しなかったとはいえ、元の生活に戻るのが早すぎじゃないの?

「私、こっちに引っ越してきたばっかだからね。そもそも荷物少なかったし?」

「そうなの? あっ……そういえば、そんなこと聞いた気がするかも……」

「中学までは新潟にいたんだよ! お父さんの都合で引っ越してきたの!」

「うっひゃぁ……」

 こういう話題を聞くと、アリスはどうしてもお金のことを考えてしまう。

 中学までってことは、未夢はまだこっち来て二、三ヶ月でしょ。新潟からの引っ越し代と、あのマンションのローンがあったはずだ。それからが火事のせいで再度引っ越すとなると、きっと火災保険だけでは賄えない。

 そんな家計への負担が、あそこの住民全員にかかっている。

 そう思うと、なんだかアンダへのむかっ腹が立ってきた。

 ちょっと俗物すぎる怒り方だろうか。

「最近ね、『ワイルド・スピード』シリーズ見直してるんだ。知ってる? カーアクション映画の傑作シリーズ! 初期作品はストリート・レースを軸にした友情の物語だったんだけど、路線変更でどエンタメな作風に変わったの! 完全に別物なんだけど、私はどっちも好きだなぁ!」

「えっ……あ、うん……」

「シリーズ内ではあんま評価高くない三作目の『TOKYO DRIFT(トーキョー ドリフト)』は日本人が見ると笑えるよ! 挿入歌が馬鹿みたいで……オマチドウサマッ! ケンカマミレッ! イェッ! イェッ!」

 未夢が奇妙なラップを歌う。

 おそらくそれが挿入歌なのだろう。

「まぁ……ハリウッド映画とかに出てくる日本ってそんなもんだよね……」

 と言ってみると、未夢のテンションが上がった。

「うんうん! 映画に出てくる外国はだいたい嘘らしいよ? メキシコがぜんぜんメキシコじゃないって、しょっちゅうレビューでキレてる人いるもん!」

「へぇ……」

 アリスが未夢の相手をしている間、純麗はずっとうつむいていた。

 どうやらしばらくの間、アリスがこのお喋り機関車の当番らしい。


 アリスたちの通う葉桜中央高校は、1年生の教室が四階にある。

 三階が2年生の教室、二階が3年生の教室、一階が職員室や事務室だ。

 放課後、アリスがわざわざ3年生の教室に向かったのは、あることを確認するためだった。

 教室前に立って、掲示物を目にする。上級生の中に混じっていると下級生なので、しかも禁止されていないとはいえ金髪にしているので、アリスは凄い目立ってしまう。でも、いまは気にしてられない。

 A組に目当てのものがなかったので、すぐ隣にあるB組のものを確認する。そうして、全クラスの掲示物に一通り目を通してから、一階の下駄箱に降りて校舎を出た。

 モコモコちゃんから聞いたこれまでの話。

 アリスにはちょっとした予感があったんだ。

 用事を済ませてから、校舎を出ると、すぐ近くにある蛇口の前でしゃがんで待っていたのは黒木純麗だ。

 立っていると目立つのでそうしているのだろう。いくらしゃがんだって、体格がでかいからすぐにわかる。

「モコモコちゃんは?」

「……こん中……」

 萎びた純麗は自分の鞄を指差した。

 妖精だから雑巾みたいに適当に扱っても平気らしい。

 本人が「そうなの!」と言うからそうなのだろう。深く考えても仕方ない。

 校舎から少し離れた所にLPガスの倉庫があった。アリスたちはその裏へ移動した。すぐ近くに配管施設があって、浄化槽や電気系統が纏められている。

 ゴゥン、ゴゥン──とやかましいのは室外機の振動だ。

「う~わ、外、暑ぅ~……室内を冷やしてる分、こうして外に厄介さを押し付けてるのって、人間のエゴを感じるわぁ。人生って、嫌なことの押し付け合いなのかなぁ」

「……うん……」

「もっと、優しい世界になってほしいよね。努力したなんて概念が人を増長させんのよ」

「……そうだね……」

「あのさ。アリス頑張って話題ふってんだから、なんか返してよ。クソ彼氏かっての~っ!」

 おどけて言ってみたつもりだが、

「……ごっ……ごめんっ……」

 黒木純麗は泣きそうな顔をした。

 教室にいる間はつんとしているのだが、人気(ひとけ)がなくなるとこれだ。まるで季節外れのヒマワリのように、しゅんと萎びてしまう。

 あんた、スミレでしょうが。

 スミレっていうのは、もっと、こう、ほら……

 いや、植物のことはよく知らなかった。

「スミレってどんな花だっけ? アリス、気になるとすぐ調べちゃう」

 検索をかけようとすると、黒木純麗は小さく声を出した。

「日本のどこにでも咲いてる花……道の端っこのコンクリとかから生えてる……」

 と室外機を囲むフェンスを指差した。

 その脚元の雑草に、紫の花が混じっていた。

「あっ、それ? へぇ、それがそうなんだ!」

「茹でたらおひたし……アクが少ないから天ぷら、サラダにもできる……」

「食べられるんだ……で、純麗(じゅんれい)でスミレって読ませるんでしょ、あんたの名前」

「……もとの〝菫(すみれ)〟って漢字は、トリカブトって意味だから……」

「ああ。根っこが毒の植物ね」

「うん。ブスの語源……女の子にブスはどうなのって……親父が言ったんだって……」

「へ、へぇ……」

 聞いたことはある。トリカブトの毒(ぶす)を接種すると顔筋が弛緩してしまうそうだ。そこから転じてそういう顔をブスというらしい。

 けど、こいつ、なんで今それ言うかな。

 そっからしばらく、うまく会話が続かなかったじゃん。


   ◆


 アンダはクリスタル・キングダムにいた。

 親衛隊の庁舎だ。扉のない自室のベッドに腰掛けた彼女は半裸だった。

 その褐色の肌、腹部の一部、人間で言えば肋骨の下辺りが、どす黒く変色している。

「女王のリリックめっ……」

 先日、純麗から蹴りを受けた箇所だ。

 大抵の衝撃はリリックの力で防げる。もし波動がそれを貫いても、中和すればすぐに良くなるはずだ。

 だが、アンダの肉体は未だに侵食を受け、痛みを感じている。

「ふざけた力だっ……碌な訓練もしていない現地人が、これほどの影響をもたらすっ……」

 それが《女王のリリカル・クロス》だ。

 潜在能力を引き出せば、次元の融合すら妨げてしまう。

「──アンダ様……」

 廊下の影からディ・ズーの声。

 アンダは立ち上がり《親衛隊のリリカル・クロス》を纏った。

「許可が降りたか」

「はっ! スロゥ殿も、引き続きリリック回収の任務を与えると──」

「ああ」

 二人は長い廊下を歩き、城の最上階にある展望台へ向かった。

 振り返る兵士や親衛隊の目など気にしない。どんな噂話も、いまのアンダにとっては些細な泡沫に過ぎない。鷹のように黄色い瞳は狩るべき得物へと向いている。

「まさか、帰還を命令されるとはな。あの現地人の抵抗で起きた結晶化が大きすぎた……」

「それもあり、ケガチ様発見の件は隠しきれませんでした」

「よい。スロゥに下手な報告は通じん……──あの結晶化はリリック回収を邪魔するケガチの抵抗だったと、そう思わせているうちは、それはそれで動きやすいというものだ」

「…………。」

「今度こそ遠慮は不要。あの小娘に、リリックの大きさだけが勝負を決するわけではないことを教えてやるッ……ディ・ズー、戦闘の準備だ!」

「はっ!」

 兵士であるディ・ズーは、装備を変えるために兵舎へ向かう。適性が低い者は目的に合わせた換装が必要だった。

 親衛隊のクロスを与えられているアンダは、そのままの装いで一人展望台へ上がった。

 向こう側へとつながる結晶の輝きを前にして、そこに踏み込む時を待っていた。

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