第二章「Aralia cordata(アレイリア コーデイタ)」01
01
アンダは鉄塔の上から街を見下ろした。
「太陽……というのか。あれが目を覚ますと、街も人々も目を覚ます……」
クリスタル・キングダムには朝も夜もない。
昔は似たものがあったのかもしれないが、他次元との融合が進んだ結果、王国の以外の土地は結晶に呑まれ、時を失った。空も大地も常に輝き続けている。複数の種族は残った狭い土地で営みを続けている。
アンダが生まれ育った街はその中でも辺境、劣悪な環境である貧民街だった。
表向きは身分の差は無いことになっているが、女王がいて、その親衛隊がいて、政治を司る組織がそこに存在する以上、心の内には差別意識がある。その最も嘲笑しやすい対象が生まれた土地の悪さだ。
すべての国民が定期的に受けるリリックの適性試験がある。
アンダはそこで高い適正が認められ、女王親衛隊への入隊機会を得た。
才能を認められ、《親衛隊のクロス》を女王より下賜(かし)された。しかし、その立場になっても人が向ける目は変わらない。
「──やつは下層生まれだ」
「──リリックの適性があっただけで、下賤な性根は変わらない」
「──女王親衛隊にふさわしくないはずだ」
城内の兵士、大臣、挙句の果てには掃除女すらそんな目を向ける。
そういう者ほど見えないところでは肉欲に溺れていたりする。高いリリックを持ち、遠くの気配を感じられる親衛隊の間柄では、その下賤さこそが侮蔑の対象だ。
だからといって、アンダは同じ親衛隊を信頼しているわけでもない。
誰だって腹の底では何を考えているかわからないものだ。
「ディ・ズー。なぜ、私がお前を従えるかわかるか」
アンダは背後に立つ彼に問うた。
血管が透けるほど白い肌の大男。アンダとは別の種族であり、生まれ故郷も別の僻地だ。
ディ・ズーは口を開かない。
その問いは疑問を投げかける類ではないとわかっていた。
「私は無意識にお前を見下したいのかもしれない……同じ辺境人でありながら親衛隊になる資質があった私は、自分の故郷の者たちすら侮蔑している……所詮、見下されてきた者は、他者を見下すことでしか安心することができないのかもな……」
「…………。」
「そんな女が女王に仕える親衛隊だ。そして、自国よりも豊かな世界と、城内育ちのために働かなければならない。──ケガチ前女王が自ら出てくることは予定外だったが、リリックの回収、前女王の確保……両方を務める上げる成果を見せなければならん……」
「では、ケガチ様と遭遇したことは──」
「スロゥには伏せておけ。女王は妹君を傷つけないことをお望みだ。しかし、抵抗すれば多少は手荒く扱わねばならんのだからな」
「はっ!」
ディ・ズーは報告のため、小さな空間の亀裂からクリスタル・キングダムへ帰還した。
アンダは目が覚めたばかりの街を見下ろし、人々を品定めする。
その体の内に眠る適性、リリックの才能を探していた。
「ケガチが纏っていたのは訓練用のリリック。女王のクロスを纏っているのは素人の女……適性とクロスだけが勝敗を決するわけではないのだ。──あの男、私と近い波動を持っているな」
アンダは駅に向かうスーツの男に目をつけた。
◆
朝──
純麗は珍しく未夢と一緒に登校した。
普段は夜更かしして遅刻ギリギリの未夢だが、その日だけはマンションのエントランスで鉢合わせた。
「珍しい……いつも寝坊助(ねぼすけ)クワガタなのに……」
「えへへ! 昨日はよく眠れたんだよねぇ!」
と未夢はアップテンポな様子だ。
純麗の歩幅は普通より大きいので、未夢は若干の速歩きでついてくる。
「昨日はごめんねぇ! 私、あんまり貧血にならないタイプなんだけどなぁ!」
「んっ、別に……」
「やっぱ夜更かし良くないのかなぁ? 最近、疲れてた気がするしぃ……あっ! でもでも、今日こそ帰ったら『フルメタル・ジャケット』観ないとっ! 帰りにポップコーン買わなきゃ!」
「……あんた、ぜんぜん反省してない……」
「純麗ちゃん、今日ひま?」
「……んっ?」
教室に着くと、なぜか席にアリスがやって来た。
「アリスさ、チョコミントが好きなの。夏場のアイスは絶対にチョコミントなわけ。なのになーんであれを〝歯磨き粉〟って表現するわけ?」
「…………」
「たしか、パクチーが嫌いな人って嗅覚遺伝子の突然変異なんでしょ? それでパクチーの香りを石鹸みたいな味に感じるんだってさ。ミントもおんなじなんじゃない!? あれ絶対そうだって!」
「なににキレてんの、有村薫……」
「アリスだって言ってんでしょ! その名前で呼ぶなぁ!」
その日のアリスは金髪を複雑に結っていて、最後に後ろで纏めたよくわからないヘアスタイルをしていた。
純麗は「よくやるなぁ」と思いながら、嫌がらせにヘアピンのいくつかを抜いた。
「ちょっ! やめてよぉ! これセットすんの大変だったんだからぁ!」
「たいして変わんないよ。いつものツインテールの方がバナナみたいで、ツマグロオオヨコバイが喜ぶと思うよ」
「なにそれ?」
「バナナに集(たか)る虫」
「…………」
「ヘアスプレーの代わりに殺虫スプレー吹きつけたら、その頭も少しはマシになるかもね」
「あんた、アリスにだけは口悪くない?」
「そっちの態度がちょうどいいから……」
「なにそれ……ちっ! クラスの男子は、あんたのその口の悪さを知らないから投票すんだ。喋らないから、みんなお淑やかだと思ってぇ……」
「男子に自分から話しかけるのはちょっと……」
「うわっ、デカいくせに。そういうとこあざとい……──ああ、もう! こうしてたまに首筋見せると、男はドキっとするって書いてあったのにぃ!」
アリスは髪を乱されたので、諦めてぜんぶ下ろした。
「あっ、ちなみにいつものあれはツインテールじゃなくて、ツーサイドアップでーす。ばーか!」
「んだとタコ」
「あんだオラ。やんのかオラぁ!」
その様子をコインロールしながら未夢は眺めていた。
指の上でコインを自在に回すという、未夢の変な特技だ。映画の悪役がよくやっているんだよぉ──と見せびらかす。それをやりながら、不意に言う。
「ねぇ、アリスちゃんも映画観に来ない?」
「へっ?」
「たしか部活入ってないでしょ?」
「──えっ、そうなの?」
少し驚いたのは純麗だ。
クラスメイトの誰が何の部活に入っているかなど把握していないが、この明らかに出会いを求めていそうなアリスがどこにも所属していないのは意外に感じた。
「うん。だって、いつも放課後になったら真っ先に教室出てるよ?」
「……ねぇ、それって学校外で変な男と……」
「──違う! アリスは不健全なつき合いはしたくないですぅ!」
「……まぁ、別にいいけど……」
少し間があって。
アリスは再びキョトンとした。
「……んっ? 映画って、映画館にいくの?」
「いや、あたしの家で」
「……おぉう?」
「こいつ、昨日観れなかった映画があったんだって。んで、せっかくだから一緒にって話になって……でも普段ノーパソで観てるって言うから、それじゃあ画面が小さいだろうから、あたしん家ってことになって……──っていうか、なんでこれを誘うの!?」
「──だってだってぇ! せっかくならみんなで観て布教したいしぃ! 二人って仲よさそうだしぃ!」
「いいわけがっ──」
「純麗ちゃん、ぜんぜん映研入ってくれないし」
「うぐっ……」
「ほら、アリスちゃんも映研入ろ?」
「いや、入らないっての。もしアリスに彼氏が出来たら、〝えっ、お前の彼女、映研なの? やめときなよ……〟ってなるでしょ?」
「そんなぁ! 映研も人間扱いしてよぉ!」
「アリスは地球人なの。あんたらオタクは火星人みたいなもんでしょ。宇宙船に帰りなさい」
「異文化交流しようよぉ! プロローグはそこからだよ!」
「…………。」
放課後。純麗の帰り道にあるスーパー。
三人は買い物をしていた。
結局、アリスは来ると答えた。未夢に押し負けた形だ。なんだかんだ頼まれたら断れない性格をしているらしい。
「ポップ、ポップ、ポップコーン! コーラは絶対ゼロカロリーっ!」
奇妙な歌を口ずさみながら、未夢は買い物カゴにお菓子を突っ込む。
そのカゴを手にしているのは純麗だ。
「やめてスズムシ。お店で歌わないで。目立つじゃん……」
「あんたほどじゃないでしょ。みんな振り返るんだ。すっごぉ」
と隣を歩くアリスだ。
身長2メートル16センチの純麗はまるでスライド移動する電柱だ。通りがかる人々はその長躯に視線を向ける。
さらに、純麗は時々かがむような姿勢を見せる。
棚の上部に貼り付けられた広告に、純麗の頭は掠りそうになるのでいちいち避けるのだ。
「……あんたって大変ね……」
「バナナに言われちゃおしまいだ」
「つーかさ、これ買いすぎじゃない……? 言っとくけどアリス、そんなにお金持ってない人だからね……?」
純麗が手にしていた買い物カゴには、袋菓子に惣菜のフライ、チルドのピザまで、もはやカートが必要なほどの食べ物が詰め込まれていた。
未夢が歌いながらさらにケーキを入れた。テンションが上がると止まることを知らない性格なのでこんなことになってしまう。
「こりゃ、もうホームパーティだな……」
「あの……いや、ほんと……アリスまじでお金持ってきてないよ……」
アリスの顔から焦りが出る。
「財布にないとかじゃなくて、単純にお小遣いそんな貰ってないから、その、突発的な支出は……」
「いちいちそんなバナナみたいな頭にしてるからでしょ」
「う、うっさい!」
「いいよ。もう、あたしが出すから」
純麗は財布から一万円札を取り出し、会計で合計金額が出る前にそれをポンっとトレーに出した。
「なっ!?」
「余ったの、あたしの夕飯にするからさ」
アリスは唖然とした。
未夢があとから財布を取り出す。
「あれっ、悪いよぉ!」
「ほんと。どうせ、そんなに食べないくせに」
「えへへっ! テンション上がってつい~。あっ! チキンブリトー探すの忘れた!」
「まだ言うか」
「──そ、それでっ……勝ったと思うなよ……」
アリスが、会計が終わった買い物カゴを掴んだ。
「それで勝ったと思うなよぉっ!」
なぜか純麗に対抗心をむき出しにして、レジ袋に買ったものを突っ込んでいた。
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