第一章「 Lilycal‐Cloth(リリカル クロス)」04

   04


 翌朝──

 いつもどおり早起きをした純麗は青椒肉絲(チンジャオロースー)を作っていた。

 半分は今日の弁当の中身で、もう半分は朝食だ。

 細く切った豚肉、ピーマン、たけのこを炒めて、調味料で味付けする。醤油とすり下ろしニンニクにオイスターソースと鶏ガラだ。それにゴマ油の香りも加われば、昨日炊いた白米のネバネバ感と交わって雑多な旨味がする。

 純麗はそれをもっちゃもっちゃと食べながら、クリーネの話を聞いていた。

「僕はクリスタル・キングダムって場所から来たの!」

「あぁ……あの空に見えた城だよね?」

「そうなの! それが向こう側に唯一存在している国で、女王様はそこで一番偉いお方なの!」

「ふぅん……」

 この純麗のこの「ふぅん」は、理解し難いがどうにか飲み込もうとする「ふぅん」だ。不思議な体験をしたとはいえ、やはり現実感がなくてピンと来ない。

「それがあんたの友達なんだ」

「そうなの! ケガチ様は立派で誇り高いお方なの!」

「ふぅん。それが、なに……クーデターとかでこっちに逃げてきたってことでいいの?」

「うん! ケガチ様の姉君、第二候補だったツツガ様がその座を狙っているという噂が流れていたの! それで、ケガチ様は身を隠すしかなくなったの!」

「その結果、女王不在で、そのツツガ様が新しい女王になっちゃったと……──んっ? そのツツガって方が姉なのに第二候補なの?」

「女王候補はリリックの適性で決まるの。血筋とか家柄は関係ないの。女王様には重大なお役目があるの」

「女王……ねぇ……」

 その座が欲しいがため、ツツガというのは妹にクーデターを仕掛けたということだろう。

 王族の権力争いなど月並みな話だが、それってそこまで固執することなのだろうかと純麗は思う。王族の親類ならば、それだけで充分恵まれた環境にいるじゃないのか。なんで、わざわざ王座なんてものまで欲しがるのだ。

 やっぱり純麗にはピンとこない。

 そんなことを思いながら、純麗は平皿に盛った米と青椒肉絲を空にした。

 その間、クリーネは純麗が握ったおにぎりを食べていた。

 具は昆布の佃煮だ。

「というか、妖精もご飯食べるんだ……」

「よくわかんないの」

「あんたにそう言われたら、あたしはどうすりゃいいんだよ」

「おいしいから大丈夫なの。んっ、ごちそうさまなの!」

 クリーネも少しは元気になったらしい。

 純麗はそれでいいことにした。

「でさ……その、真の女王であるケガチに届けるって言うけど……」

「そうなの!」

 クリーネはバッグから筒型のケースを取り出した。

 その中に封印されているのが《女王のリリカル・クロス》だ。

「それが何になるの?」

「これは真の女王たる証なの! これをケガチ様が手にすれば、国はケガチ様こそ女王だと認めざるを得ないの。だから、僕はこれをケガチ様に届けに来たんだけど……このリリックは純麗に反応していたの! それで僕、純麗のところに来ちゃったの!」

「……なんで?」

「ケガチ様はきっと自分の気配を消しているの。だから、こっち側の世界で二番目に適性のある純麗に反応したんだと思うの。でもでも! 最初はちゃんとケガチ様の波動を嗅いだから、近くにいるのは間違いないの!」

「……そのケガチさんはどんな見た目してるの?」

「うーんとね……」

 クリーネは純麗の2メートル16センチの体を見上げ。

「あっ、純麗よりは小っさいの!」

「いいことを教えてあげる。この世界のほとんどの人間はあたしより小さいんだよ」

「むぅ……」

「とにかく、その人を探せば万事解決なんだよね」

「まぁ、大雑把に言うとそうなの」

「だいたいわかった」

 純麗は空の皿を流し台に置いて、玄関に向かった。

 そして、やはり誰もいない家に、

「行ってきまーす」

 と声をかけた。

 廊下を歩いてエレベーターに乗り、一階のエントランスへ降りる。

 いつも通りの道筋だ。

 不思議な体験をしたはずの昨日もそうだったし、明日もきっとそうなのだろう。

 ただ、今日は一人ではない。学生鞄の中でクリーネが眠っている。

 丸めた白い雑巾のような状態で底に押し込まれていた。

「ねぇ、本当にそれでいいの……」

「妖精だから大丈夫なの!」

「そっちがいいなら、あたしもいいけど……」

「もし、スロゥか他の親衛隊がこっち側に来たら、僕じゃリリカル・クロスを守れないの。純麗だって一人じゃ何もできないの。一緒のほうが安全なの!」

「……意外と頭は回るんだよなぁ……」

 昨日もスロゥというあのハナカマキリ男と言い合っていたし、状況も冷静に判断している。こんなスリッパみたいなボディのどこにそんな脳味噌があるのだろう。不思議でしょうがない。

「でもさ、あたし、あんな格好、二度としたくないよ……見えすぎだもん……」

「リリックの練習をすれば布面積も増やせるの。もっともっと力に慣れれば《女王のクロス》を使いこなせるの! 僕が女王様のために編んだリリックはそれくらいのポテンシャルがあるの!」

「……つまり……」

「純麗、特訓するの!」


 1年B組──

 二限目が終わり、純麗が音楽室へ移動する準備をしていると、

「本編は見てないけどね、私、昔のアニメとか特撮の音楽はよく聞くんだぁ! でさ、仮面ライダーキバの挿入歌『Individual-System(インディビジュアル・システム)』と、絶対可憐チルドレンのオープニング『Over The Future(オーバー・ザ・フューチャー)』の歌い出しってちょっと似てるなって最近気づいたんだけど、ネットで書き込んでも誰も反応してくれなかったぁ! へへっ!」

 とよくわからない話をされた。

 もちろん、近くの席の目堂未夢だ。

「……ごめん。なに言ってるか全然わかんない。あんたも準備しないと遅れるよ」

「あ、そうだったぁ!」

「今日も遅刻ギリギリで来て、寝坊助クワガタじゃん……」

「寝る前についつい映画見ちゃうからね! いつも夜更かししちゃうんだぁ!」

「だから、おんなじマンションに住んでるのに朝会わない」

「えへへ! ていうか、私バスだし! あ、昨日はね、『レオン』って映画を観たんだよ。リュック・ベッソンが監督のやつ! まぁ、リュック・ベッソンは監督よりも脚本家としての方が一般に知られてるかな? ほら『キス・オブ・ザ・ドラゴン』とか『トランスポーター』とかの──」

 それに対して純麗は「へぇ」とか「そうなんだ」と相槌を打つだけで口を挟まない。

 自分は口下手だから、このおしゃべり機関車が嫌いじゃない。むしろ気楽に付き合える。それに、百回に一回くらいは話に入れることもある。

「ジェイソン・ステイサムの映画って素敵だよね! ただ『トランスポーター』って監督の趣味なのかヒロインが天真爛漫すぎるんだけど、フランス人ってああいうのが好きなのかな?」

「……ステイサムって人は知ってる。なんかで見たことあるかも……」

「えっ!? どれどれ! どんなやつ!?」

「なんかね。元軍人のハゲが、悪の組織をぶっ倒すやつ」

「ステイサムの映画は半分がそうだよ」

「そっか」

「もう半分は、元殺し屋のハゲが悪の組織をぶっ倒すやつ」

「……アクション映画のあらすじってだいたい同じだよね……」

 未夢はうんうんと頷いた。

 そんな会話をしていると、あっという間に音楽室へ到着した。

 授業が始まるまであと数分だ。

 そのタイミングで、別の女子生徒がやって来た。

「……黒木ぃ~純麗ぇ~……」

 怨念のような声だった。

 金髪に染めたツーサイドアップ。

 スカート丈が短く、小柄ながらに胸がある。それを強調するかのように第二ボタンまでを外している。

 明らかに男受けを狙いまくったその風貌に、純麗は顔をしかめた。

「うわ……嫌なのが来た……」

「はぁ!? どういう意味ぃ!?」

「なんの用……有村薫(ありむら かおる)……」

「違う! アリスって呼びなさい!」

「〝あり〟の字しか合ってないじゃん……」

「アリスは小さい頃からアリスって呼ばれるから、それに合わせてもらうの! それよりこれを見ろぉ!」

 有村薫ことアリスは、タブレットを操作して、純麗に円グラフを見せつけた。

 きっちりと色分けされ、フォントもポップに統一されているそれは、彼女の見た目とは裏腹にマメである性格を表しているようだ。

 そのグラフのタイトルはこうだ。


《1年B組の女子で気になってる子は誰ですか?》


「アリスは今週、クラスの男子全員にアンケートを取ったの」

「……阿呆なの?」

「クラスの女子は14人。うち半分は投票されず、アリスは3位で、あんたが2位だった……絶対に許せないぃ……」

「はぁっ?」

 純麗のその面倒くさそうな困惑顔に、アリスは悔しがった。

「なぁんであんたが上なのぉ!? あんた、男子とほとんど喋ってないでしょお! それなのに見た目だけで人気とってるのずるい! 背骨一本よこせ! アリスなんて話合わせるために興味もないカードゲームのアニメ見てんのにぃ……きぃいい~っ!」

「現実で、きぃいい~って言ってる人、初めて見た……」

「とにかく、アリスより目立たないでくれる!? アリスは誰よりも人気じゃないと気がすまないんだから!」

「勝手にやっててよ、このタコ」

 純麗のぼやきに、アリスは形相を悪くした。

「……んだオラぁ、すっぞオラぁ~……」

「うっさい。タコこら」

「なんじゃらいオラぁ! んっだってんだぁオラぁ!」

「なにこらタコこら、あんたこら、タコこら」

 日本語ではない言語で吠え続ける二人に、未夢はカメラを向けた。

「はい。よーいアクション!」

「──撮んなっ!」


   ◆


 クリスタル・キングダム──虹色に輝く結晶の城。

 謁見の間で、宮仕え、兵士、親衛隊らが列をなしていた。

 中央通路の脇に、鱗の肌を持つ種族が立つ。

 同じく、岩の肉体を持つ種族も立つ。

 仕立て妖精らも整列していた。

 そのすべてが女王にひれ伏していた。

 現女王のツツガは、その尖った目を下々の者に向ける。尖った耳、尖った鼻筋。背中まで垂れる白とも銀ともとれる長い髪を輝かせて。

 その側に立つことが許されるのは、数名の世話係と、親衛隊隊長のスロゥだけだ。

「ケガチの所在は確認できず、ですか……」

 女王ツツガは冷たい声を発した。

「抵抗を見越して、スロゥ、貴方に行かせましたが、ケガチはあくまで隠れるつもりなのですね……」

「しかし、身を隠しているということは、逆にクリーネ殿もケガチ殿とコンタクトを取れないということかと──」

 とスロゥは答える。

「そうか……──ひとますケガチはよい! 多くの兵を送れば、結晶化が早まってしまう。それよりもリリックだ! 純麗なる現地人の手に渡った《女王のリリカル・クロス》は直ちに回収しなければならない! 親衛隊は、その忠義の力を以てクロスを奪還せよ!」

 ツツガはひれ伏す種族らにそう発した。

 返事をするのはスロゥだ。

「仰せのままに。相手方の抵抗と結晶化の進行を加味して、少数名を派遣いたします」

「人選は任せます」

「はっ──……では、アンダ!」

 スロゥが声をかけると、ひれ伏していた親衛隊の一人が面(おもて)を上げ、前に出た。

 赤い髪と褐色の肌。ゆったりとした服の上からもわかる筋肉質な肉体。

 それがアンダ・リキという女だ。

「女王のリリカル・クロス奪還の任務をお前に任せる! 仕立て妖精のクリーネ殿も可能であれば連れて帰れ。あくまでクロスが優先だ。よいな!」

「御意のとおりに──」


 命令を受けたアンダは、城の最上階にある展望台に出た。

 クリスタル・キングダムの城下町すべてを見下ろすことができる場所だ。

「ディ・ズー。見よ……」

 アンダは背後に立つ直属の部下に声をかける。

 それは血管の色が透き通って見えるほど白い肌をした大柄な男だ。

 二人が目にするのは結晶化した世界のわずかに残る土地、そしてそこに敷き並ぶ家屋だ。

「貴族と平民の区画が入り混じっている。表向きには種族や身分の格差はないからだ……しかし、心というものは常に他者との違いを求め、格差を望む」

「…………」

「どの種族も変わらない。自分よりも下等だと思い込める存在が多いほど安心できるのだ。逆に、自分がその下等な側である現実は、精神に澱(おり)のようなものを溜めこむ。その澱を吐き出すためには、自分よりも下等な存在を蔑む以外にない」

 アンダの赤い髪に包まれた褐色の肌──その裂け目にある鷹のような黄色い瞳は、城から最も遠い区画に焦点を合わせた。

「……リリックの適性を認められ親衛隊に抜擢されたとはいえ、私の生まれが町下人であることは変わらない……」

「しかし、女王陛下のクロスを奪還するという名誉な命令をお受けになられました」

「それが見下されているんだよ!」

 アンダは黄色い目をディ・ズーに向けて言う。

「スロゥ・バンは、下民から成り上がった私に命令を与えることで、他の親衛隊から認めさせようとしている! スロゥ自身が私を見下している証拠ではないか!」

「…………」

「やつは私の忠誠をためそうとしているのだ。女王のためならどんな手でも使うあれは忠犬中の忠犬だ」

 ディ・ズーは言葉を返さなかった。

 アンダは再び正面を向いた。

 展望台にはいくつもの虹色のカーテンがあり、それぞれが近くの次元へと繋がっている。アンダが自身のクロスを光らせて手をかざすと、カーテンの一つが、端からパキパキ──と結晶化し、どす黒く変色した。

 そして、ガラスのように砕けて穴が広がった。

 その向こう側が純麗たちの世界だ。

「遂行してやるさ。いまはいくらでも気に入られてやる……」

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