第41話 霞の視点(5):新たな意識の芽生え

温泉旅行の夜、私は今までになく複雑な気持ちを抱えていた。


彩香ちゃん――いや、智也の正体を知っている私だけが、彼が男であることを意識している。これまで彼のことを気にせずに一緒に過ごしてきたのに、突然その事実が私の心の中で大きな存在感を持ち始めていた。


温泉から上がった後、みんなで部屋に戻り、布団に入ることになった。桜や玲奈が楽しそうに会話を交わしながら布団を並べている中、私はいつもより静かだった。心の中で、どうしても智也のことを意識してしまうからだ。


みんなが寝る準備をしている中で、私は彼にどう接していいのか迷いながらも、何とか普通を装っていた。智也は、やはりどこかぎこちない動きをしていて、まるで自分の存在がバレないように必死に振る舞っているように見えた。


「彩香ちゃん…じゃなくて、智也は大丈夫かな…」


私は彼の姿を横目で見ながら、胸の中で複雑な気持ちが渦巻いていた。


布団に入って、みんなが寝静まった頃、私はふと周りの空気に違和感を感じた。お風呂上がりの石鹸やシャンプーの香りが漂う中、どこからともなく、微かに普段感じる香りとも温泉旅館固有の香りとも異なる匂いを感じたのだ。


「え…この匂い、誰の…?」


最初は信じられなかった。けれど、すぐにその匂いの発生源が誰なのかに気づいてしまった。智也――「彩香」から発せられている微かな男性特有の匂い。普段は女性の匂いに紛れて気づかなかったかもしれないが、夜の静寂の中で、その匂いが際立っていた。


「智也だ… 彼の匂いなんだ…」


その瞬間、私の胸が強く高鳴った。智也が男であることを知っていたはずなのに、こうして「匂い」という形で改めてその事実を突きつけられると、私はどうしていいかわからなくなった。


彼は一生懸命「彩香」として振る舞おうとしている。周りに気づかれないように、徹底的に自分を隠している。でも、こうして本能的に感じる「男の匂い」は、隠しようがない。私だけがその匂いに気づいてしまったという事実に、私は戸惑いを隠せなかった。


「智也は、きっと今も緊張してるんだろうな…」


彼の心情を思うと、なんだか少しだけ切なくなった。彼がどれだけ努力して私たちと一緒に過ごしているか、そしてその努力が、こうしてほんの少しの匂いで崩れてしまうことがあるなんて。


その夜、私はなかなか眠れなかった。智也の「男の匂い」が頭から離れなかったからだ。これまで当たり前に接してきたはずの「彩香」が、実は男であるという現実を、匂いという形で再認識させられてしまった。


私はその匂いを感じながら、どうやって智也に接していけばいいのかを考え続けていた。


「彼を責めることはできない。だけど、私は…」


その夜、私の中で智也に対する感情が少しずつ変わり始めていた。彼が男であることを知ってしまった今、普通に接するのは簡単ではなくなっていた。


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