ヨン_逃走
状況を、整理しよう。
今、僕は片腕を喰われながら逃げている。
相手は女性、だけど予想だにできない魔術という力を使用してくる。
強さは未知数、戦うという行為が無駄かと思えるぐらいには強い。
自分の勝利条件、ソレは最終的な生存。
そのために自分よりも確実に詳しいであろう、ヨルという女性と合流すること。
現在時刻は午後七時を少し過ぎたところだ、現在地は見晴らしの悪い路地裏の中。
息を吐きながら、腕を縛っている。
「警察に通報……、無意味だ。あの女が警察程度で動じるとは思えない、ソレに被害者が増えるだろう」
鼓動が荒ぶっている、息をしている感覚すら薄い。
致命的だ、何が致命的かと言えば失った血液の多さだろう。
最後に見た時、あの女は僕が作り出した壁を破壊した。
つまりもう追跡のフェーズに入っている、深夜でなく人通りの多い中だからこそ魔術の使用は消極的であって欲しいが願いは基本叶わないモノ。
まずまず血痕を探せばすぐ見つかるような状況だ、逃げ切れている訳も見失っている訳もない。
またこの眼に打開策を求めるのは酷な話だろう、先程の偶然の魔術か魔法かよく分からないアレの展開でもう僕が消耗し切っている。
二度目を行えば不発になるのは、この倦怠感が示している。
むしろ、一回でも使えたのが奇跡だと思うべきだ。
「絶望的、か」
ソレでも、少しワクワクする。
眼で見ていた、異常事態だ。
現実世界では起こり得ないような、不可思議によって形作られた非日常。
確かに、ヨルさんの例えは間違っていない。
コレは、世界の裏側だ。
この世界で、僕は初めてピントを暈した。
必死になった、必死になってこの世界を見た。
死にたくない、知りたいことがある。
その想いが、迸った。
だから、僕はこうして逃げている。
「絶望的、だろうと何だろうと。絶対に生き残る、ソレが僕の目的だ」
声に出して宣言した、ソレで構わない。
腕の痛みが再度、発生した。
幸いにも捕食されたのは左腕、利き腕は残っている。
だが安心はできない、腕が無い事を意識しなければならない。
「さて、もう来た」
怒号、雑踏、そして破壊音。
死神が己の存在を誇示する、お前のためにやって来たと。
あの川横での一幕から、未だ十分経過していない。
だけど、悪夢がやって来た。
悪魔がやって来た、誰を殺すために? 決まっている。
「掛かってこいよ、僕を殺せるモノなら!!」
声を上げた、一瞬だけ破壊音が消えた。
彼女も何処に、僕がいるかを把握したのだろう。
一直線で向かってくる、土地勘がある僕よりもその速度はよっぽど速い。
魔術、身体強化の類か? 見かけは中学生程度の癖にその速度は高校生の僕を遥かに凌駕している。
「、ッ!!」
のんびり眺めている暇などない、後手に回れば殺される。
先手を取って、逃げを選択しなくちゃならない。
目が、疼く。
再度、ピントが合う。
現実が一瞬だけ覆い隠される、仮想の筈の世界が見える。
見ない、観る暇はない、観る必要はない。
理性はその光景を否定し、だが本能が見る必要を肯定する。
目が、異世界を映し出す。
断定できる、こんなものが現実ではない。
白髪でローブを着た老人が天に腕を掲げ、振り下ろすような動作を行う光景。
魔術、そうとしか喩えられない現象。
いつもなら娯楽代わりに見ていたソレ、理性はソレを無駄と判断しているが本能が訴えた。
コレは、お前に必要な情報だと。
「ッはぁ!!? はぁ、はぁ……!!」
ピントが合わなくなった、だが見た光景ははっきりと脳内に記録されている。
まるで情報を脳内に叩き込まれたかのように、その光景を脳が記録していた。
再現は不可能だと、理性も本能も同時に訴える。
ソレを行える魔力がない、だからコレは再現するべき情報ではない。
じゃぁ、僕は何をすればいい?
「あらら? 小癪なこと。じゃぁ、逃げられないようにしますね? 『Rask, skarp og tydelig』」
この言葉を、この光景を。
僕は、知っている。
さっき見た、さっきの老人が行おうとした事象。
魔術の展開、殺意の奔流。
さっきまでの自分なら避けることは能わないだろう、けど今の自分なら?
目が、うずいた気がする。
理性ではなく本能が、体を動かす。
歪な体躯、決して運動神経がいいとは言えない。
だが、それがどうした。
未知の技術を使うと言えども、すでに知っている攻撃を躱せないというのか?
できない、は言い訳だ。
この世界に不可能はない、なぜならこの瞬間に不可能とも思える不条理を目の当たりにしているのだから。
この攻撃、この目で見た情報から逆算すれば展開を終了するのに凡そ3秒必要とする。
すでにこの体はトップスピードに入った、展開終了までの残り時間は1秒以上は存在しているはず。
ならば、逃れることは不可能ではない!!!
体をひねり、地面に飛び込む。
柔道の授業をある程度真面目にしていてよかった、もしそうでなければ超高圧電流で僕は焼かれていた。
だが、実際には焼かれていない。
ならこの考え、行動は成功したということだ。
「……、逃れた?」
「らしい、な? 生憎と僕を捕らえることはできなかったらしい」
「ですが、限界でしょう? その腕では。緊急的な応急処置、回復魔術に秀でていない様子のあなたでは」
「……、使ってないだけかもしれないぜ?」
挑発的に言うが、無駄だ。
実際問題、僕は魔術を使えない。
回復魔術だろうが、攻撃魔術だろうが、防御魔術だろうが。
だけど、死ぬ気も毛頭ない。
左腕を、抑える。
縛っていた服にも血液がすっかり滲み、垂れている。
死に体にもほどがあるだろう、だがこの目で見てきた人間たちはそれでも生きていた。
なら、僕が死ぬ道理もない!!
「いいえ、ソレは在りえない。貴方、魔術のド素人でしょう?」
さっきのローリング、そこから立ち上がったことで彼女と僕は顔を合わせている状態だ。
故に突破口は僕の背中にしかない、だから背後に下がろうとして。
獣の息遣いが聞こえた、僕の真後ろから。
「いいことを教えてあげましょう、貴方の持っている護符に魔力を流せば」
魔力を流す? そんなこと、どうやればいいっていうんだ。
魔力なんて持っていない、僕は魔力を保有していない。
もう、出来る手段の悉くを使いつくした。
抵抗は意味を成さない、振り返るより先の一瞬で僕は死ぬだろう。
背後に聞こえる息、獣の唸り声はあの女が飼育する黒い怪物のソレに他ならないのだろうから。
一瞬で殺される、この体ではなすすべなく死ぬ。
事象は確定していた、抵抗の凡そは無意味だろう。
だけど、生きたいのならば。
それでも抵抗するしか、無い。
「もしかすれば、助けが来ていたのかもしれませんのに」
瞬間、僕は前に進もうとして。
背後の獣、その牙によって。
上半身を包まれた、抵抗する暇もなく。
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