サン_敵

 話はソレから早かった、僕は彼女に一つのお守りとメモを渡した。

 もう時間が遅い、明日は土曜だから改めて訪ねてくるといい。

 彼女はそう言って、陽が沈み出したその草原を歩き出す。


 川の横にあるこの草原、カエルの鳴き声にコオロギの合唱。

 風情がある、と思う。

 だけど、僕には風情がわからない。


「風情って、なんだよ」


 定義されたものか? 目に見えるものなのか? 違う、風情ってそんなんじゃない。

 辞書をひらけば正解は書いているんだろう、けど僕は正解を知りたいんじゃない。

 そうだ、この目に映る世界と一緒だ。

 納得の行く回答が欲しい、納得できなくても飽きるほどに語り合い答えにたどり着くための努力をしたい。


 そう考えていれば、すっかり日は落ち切った。

 だけど、この興奮は冷めやらない。


「ふふ、不思議だ」


 いつもは、こんなノスタルジックな思いになった時に目を使う。

 分からない道に手を伸ばし、不可思議の道を歩いて納得する。

 分からないものは、分からないんだって。


 けど、今日はそんな気分じゃない。

 今日は、異世界を見る気にならない。

 久しぶりに現実に興味を持てた、久しぶりにピントを合わせる気がなくなった。


「あら、危ないですわよ」


 声が聞こえた、ピントが合っていないから相手の姿がよく見えた。

 人形のように美しい女性だ、いつの間にか登り始めていた月に照らされ陰影がはっきりとし。

 その端正な顔をより際立たせている、息を飲みこむほど美しい。

 だけど、美しいだけじゃない。


 彼女は警告した、誰に対して。

 なんで警告したのか、誰に向けて。


 僕だ、全部僕に向けて彼女はしゃべっている。

 なら、僕に危険が迫っているはずだ。

 どんな危険なのか、見ればわかる。

 分かりきっている、この危険の正体は。


「獣に噛み殺されてしまうのですから」


 僕は、その言葉よりも先に背後に逃れ。

 だから、心臓が残っていた。


 僕にできたのはソレが限界、僕が助かったのはソレが理由だ。

 思考が一瞬でも遅ければ、僕は死んでいた。

 新たな欲求が生まれたのに、この知識欲が生まれたのに。

 死ねない、死ねるはずがない。


「何なんだ、お前ェ!!!」


 叫んだ、地面に尻餅を着きながら。

 真っ先に、僕はソレを知りたかった。

 彼女の名前を、力を、この獣を知りたい。

 この女が敵であっても構わない、教えろ。

 

 願った、俺は。

 ソレがまず間違いだった、願いは最初から叶わないなんて分かっていたはずだ。

 無駄なのだ、そう無駄。

 助けを求めるなど、最初から無駄で必要なかった。


 目が、疼く。

 勝手にピントが合う、僕はソレを見る。


 観る、診て、知って、報って、識って。


 焦げ付くような、焼きつくような戦場を見た。

 凍りついた、何もない終末世界を見た。

 超高度な、人のいないSF世界を見た。

 恐怖のみの、化け物しかいない世界を見た。


 全ての世界に人がいた訳じゃない、だがそこで生きる霊長を見た。

 この目が、何かを訴えるようにソレらにピントを合わせた。

 何を言いたいのか、何を知っているのか。

 ソレすら今の自分には理解できない、だが共通したのは。


「あら、ら?」


 そこで共通したのは、そこにいる人間が怪奇現象を操っていたと言う事のみ!!

 この眼に映る事象が真実である通りはない、正しい理由はない。

 だが構わない、そんなことは百も承知だ。

 だが僕は知っている、僕はこの目が見せる事象を何度も見てきた。


 理論不明、理屈不明、解析不可、解読不可。


 だから、どうした?

 彼女の言葉を信じろ、ヨルと名乗った不審者を。

 理屈は知らなくても、彼女は確かに世界に魔術が記録されていると言った。

 今すぐに、僕が構築するのは不可能だ。

 けどこの目が勝手に動いたと言うことは、すなわち。

 僕の無意識が死にたくないと願い、無意識に魔眼のピントを合わせたのなら必ず。


 答えは、既に知っている!!


 口が先に動いた、理屈は知らない。

 道理なんぞ通らない、だが魔法なんぞ魔術なんぞが道理を通しているとも思えない。

 ならば、僕も通す必要はないだろう。


 目の前に獣が迫る、無意識に突き出した右腕が食い千切られ。

 血が噴き出し、想像を絶する地獄に僕は目を開けられない。

 次は右足か? 頭か? ソレとも心臓か?

 何処に痛みは走るのか、否。

 痛みなど走っていない、そこにあるのは喪失感と血の熱だけ。

 だから、


 恐るな、ピントを合わせろ。

 見ろ、観るんだ。

 彼は、彼女は、ソレは、アレは、ソレらは。

 僕にとって、再現可能な事象だ!!!!


「『Отклонить拒絶』」


 僕の口から、僕の知らない言葉がこぼれ出た。

 それだけでよかった、それだけでその獣は見えない何かにぶつかった。

 幸運にも、僕はこの一瞬を手に入れた。


 腰が砕けそうになりながら、不安定な体を支えながら。

 無理にでも立ち上がる、この人間に僕は勝てない。

 全身に伸し掛かる倦怠感、間違いなく僕は何かを消費した。

 危うい、この壁もじきに破壊されるだろう。

 確信がある、二度も使える力じゃない。


「……、空間断絶。系統としては十字教ですか、だけど何故? 貴方は何故それが使えるの? 魔術じゃなくて魔法、魔法陣の展開は見えなかった。けど及ぼしている効果は魔法のソレじゃない、弱すぎる」


 質問になんて、答えられるか!!

 その疑問は僕が知りたい、目で見た世界のソレを何で今の僕が使えた!?

 いや、考えるのは後でいい。


 獣の唸り声、吐かれる吐息。

 恐怖は心臓を凍らせ、だけど行きたいという意思が僕を突き動かす。

 夜の公園、いつしか日は完全に落ち切っている。

 真っ暗闇、恐怖がいざなわれる獣の腸。

 帳の内側、恐怖に竦んだ体は理性の欲求を無視し本能による逃走を選択した。


 テレビでよく見る獣に追いかけられたときは逃げるなという話、アレには例外がある。

 それは決死の獣であれば噛みつく、それだけの事実だ。

 あの闇夜に紛れた犬のような化け物、アレは確かに僕に警告を行った女におびえていた。

 一刻も早く殺さなければと、焦っていた。

 だから、成果を優先した。


 本来なら、あそこで頭を食いちぎれたはずだ。

 だけどあの獣はそうせず、真っ先に突き出された腕を捕食した。


「ッぅ!!」


 そうだ、捕食された。

 無様に、滑稽に、残酷に。

 この腕は食いちぎられた、だからこうして何度も躓きそうになる。

 何メートル走った? 10か? 20か? 30か?

 まだまだ近い、ヨルは走って逃げた僕を一瞬で連れ戻した。

 あの女がその技術を持っていないはずがない、今生きているのは幸運によってというだけだ。


 次の幸運はやってこない、じゃぁどうすればいい?

 最終的な目的は決定している、あの女が示した所在地へ逃げ込むことだ。

 だけど、それは今すぐに行う目標じゃない。

 ピントを暈す、現実を直視する。


 直視したから、吐き気がする。

 現実を認識したから、腕がないことを理解させられる。

 ドボドボ、恐ろしい勢いで血液が体から抜け自分を殺そうと迫っていた。

 死にたくない、ならどうすればいい。


「止血する、簡単なことだろ……!!」


 走りながら、肘よりやや深くまで噛みちぎられた腕を強く握る。

 先に止めなければ逃げるより先に死ぬ、それの方がまずい。

 急激な多量の出血では、血圧が急激に低下し、ショック状態に陥り死亡することがある。

 それを回避しなければ、自分に未来はない。


 動脈、がどこにあるかは分からない。

 けど太い血管の位置ぐらいは分かる、その周辺を全力で握る。

 おそらく、きっと、もしかすれば多少はましになるだろう。


「逃げないでくださいまし?」


 背後から聞こえる、悪夢のような声。

 それを背中に受けながら、僕は地面を疾走する。

 耳を貸してはいけない、立ち止まってはいけない。

 電灯が燦爛と煌めき、夜の闇を押しのける市街地に全力で走る。

 息が荒くなり、脳は朦朧とし現実が直視できなくなる。

 けれど、僕は死にたくない。

 だから、死ぬ気で走って逃げた。

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