【短編完結】黒いラブレター

岩名理子@マイペース閲覧、更新

黒いラブレター

 

 わたしは長い階段を駆け上がる。はぁはぁと上がる息を堪え、屋上への分厚い扉を寄りかかるように押し開く。すると、そこには学生服の男子生徒が一人立っていた。


 すでに告白相手は到着していた。不安だったが、来てくれていた。

息を大きく吸いこむ。せっかく意を決したラブレターで神崎先輩を呼び出したのに。肝心の自分が、呼び出し場所に遅れてどうするのよ……!

 

 西日が逆光となり、先輩の顔がよく見えない。でも、あの背格好は――、まさしく先輩だ!


「好きです!」


 着くなり早々に叫ぶように告げ、あとはお断りの返事を待つのみだった。

けれど、返答はない。不思議に思って、ゆっくりと先輩に向かって歩みを進める。


 その顔がようやく見えてくる。

すらりした立ち姿、陽に照らされた端正な顔、豊かなまつ毛に少しキツめだけれども、黒くハッキリとしたその瞳は、しっかりとわたしを見ていた。


 ……だ、れだろう、この男の子。

でも面影に先輩が垣間見えて、先輩との会話を思い返す。


――僕には一個下の弟がいるんだよね。君と学年は一緒だよね?別のクラスだよ。そうそう、僕に似てるねってよくいわれるんだよ、弟の名前は――


 ああ、本当だ。背格好は先輩にとても似ている、似ているが少し顔立ちは違う。確か、彼は、彼の名前は――


「神崎……祐樹くん……?」

「ああ」


 そこでようやく、わたしは告白する相手を完全に間違えたことに気がついた。


****


 時は遡り、一時間前。


 わたしは神崎、と記された靴箱の名前を確認した。靴箱に靴は残っているので、まだ学校内にはいるはずだ。そうして、可愛らしいハートのシールを貼ってある白い封筒を靴の上に置く。


 神崎先輩は、学校でも人気の男子生徒だ。その顔だちと振る舞いで憧れる生徒も多い。


 つまり、いかに生徒会で親しかろうが、わたしが告白しても首を縦に振らないことは明白だった。そもそも、先輩には彼女がいるらしい。だから、二度もいうが振られるのは当たり前の話だ。


 でも、それでも良かった。

どうしても当たって砕けたかった。

もうすぐ卒業で、生徒会からいなくなる先輩に――好きです。いいや、ずっとずっと好きでした。お幸せに、と伝えたい。恋に焦がれて眠れぬ夜を何日も過ごした、なんとか砕けて諦めて次に進みたい。つらく苦しいこの気持ちを終わらせたかった、自分勝手だとは思うけども。


 人差し指でその想いが込められた手紙を撫でる。わたしが手紙で呼び出しても、先輩はこないかもしれない。それはそれでいいのだろう。今、わたしに必要なのは「玉砕覚悟で本気の初恋をした」という、その事実のみなのだから。


 息を呑み、手紙を周りからは見えないほどの奥にグッと押し込める。そうして、靴箱を後にすると、わたしは残った日直の仕事をすべく教室へと戻っていった。


****


 あの時、わたしはきちんと確認した。

でも靴箱の名札が神崎であることを確認したけど……弟の祐樹くんの存在を忘れていた。そうなると、わたしがラブレターを入れたのは祐樹くんの靴箱だったのだろう。


「あの……」


 実は人違いでした、といっていいのだろうか。

いや、いわなくても大丈夫かもしれない。お互いはじめまして、だと思う。知らない女の子に告白されても、きっと了承しないだろうし。


 祐樹くんの顔をもう一度確認する。引くて数多そうなその凛とした顔を見て、わたしは安堵した。告白は慣れていそうだ。それならば、わたしはきっと無事にフラれる……そもそも、すでに彼女がいるかもしれないし。


 すると、祐樹くんはわたしの方へと歩みよってきた。

大きく長い指が差し出され、意味が分からず思わず顔を上げてしまった。


「いいよ、付き合おう」

「へっ!?」


ひどく素っ頓狂な声を発してしまったと、自分でも思う。


「名前、教えてよ」

「青谷……美咲……」

「そう、よろしく。美咲」


――嘘、でしょう?

祐樹くんは、わたしの手を取り、しっかりと握る。

いやいやいやいや、理解ができなく、思わずわたしは大きく首を振った。


「え、祐樹くん。考え直さない? ……別に無理して付き合わなくてもいいんだけど……?」

「は!?」


 今度は祐樹くんの方が素っ頓狂な声をあげた。

それはそうだろう、相手に対してOKを出したら、今度は「考え直して」なんていわれたのだから。


「別にわたし、フラれても泣かないから。気を使わないで」


その言葉をいぶかし気に眉をひそめられる。

我ながら、『何言ってるんだ、コイツ』と思うけれど。


「……気を使ってるのは君だよね? いや、大丈夫だよ。じゃあ、ひとまず今日、一緒に帰ろうか。君のこと、全然知らないし」


 あ、やっぱり知らないんだ……? 

いいのかな? 本当に、なんで了承したんだろう……。繋がれた手は振り払えそうにない。結局、そのままわたしは祐樹くんと一緒に下校することになった。


****


 結論から言うと祐樹くんは、話しやすい男の子だった。

知らずに告白してきたんだ?なんて突っ込まれてもいけないので、こちらの情報を渡しつつ祐樹くんのクラス、趣味、部活なんかを誘導しながら聞いていく。頭のメモリーに叩き込んで、忘れないようにしないと。


「美咲とは一緒のクラスになったことなかったね。あったら、たぶん知っていたし。明日も、明後日も一緒に帰ろう」


 薄く目を細めて笑う、祐樹くんは眩しい。

紳士的なのか、わたしを家まできちんと送り届けてくれた。

連絡先を交換し合い、おやすみなさい、と告げられる。今のところバレてはいないようだ。


 もしかしたら、たくさんいる彼女の一人なのではと疑心暗鬼になったが、そうでもなさそうだ。


 情報収集しながら、そうして何日も経過し――……それどころか、すでに一か月が経過しようとしている。別れを告げることも告げられることもなく、いおうとするタイミングで、いいそびれることが何度も続いて。

そのうちに、いよいよ理想の彼氏、のような祐樹くんのことが気になってきてしまって――……。


 祐樹くんの自宅にテスト勉強しに行ったとき、神崎先輩に会った。そうして祐樹くんが俺の彼女、と端的に紹介する。一瞬驚いた後、そうなんだと眩しい笑顔で返された。


「兄貴のこと、どうかした?」

「ううん、大丈夫」


 当たり前の話なのだが、神崎先輩がわたしのことをなんとも思っていないのは知っていた。テスト勉強は身に入らず、祐樹くんに再び気を使わせてしまった。祐樹くんに申し訳ない。傷が深くなる前に本当のことをいって別れよう。


素直に申し出ないのは、彼にとって失礼だ。

ひきょうな私に好きになってもらう価値なんてない。

息が詰まり、祐樹くんの腕を掴んで覗き込むように顔を見る。


「いいたいことがあって」

「……何?」

「わたし、神崎先輩のことが好きだった。あの日、告白しようとしたのも先輩で――靴箱を、間違えてしまったの」


祐樹くんは黙ったままだ。

それはそうだろう、怒りで我を忘れても仕方ない言葉だろうし。


「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」


涙をこぼした自分を殴りたい。こんなことをいわれて、泣きたいのは祐樹くんだろう。ペンケースと教科書を片付け、早々に部屋を出ようと立ち上がろうとした。ぐい、と腕を思い切り引かれ、引き留めらる。


「ええと、確認するけど、兄貴はもう好きじゃない?」

「うん……」


 もう神崎先輩の事をみても、なんとも思わない。わたしが先輩にあって一番に驚いたのは、そこだった。


「俺の事は?」


 言葉に詰まる。わたしは神崎先輩を恋愛的な意味で好きじゃなくなったんだろう。あれだけ好きで、告白しようと思っていたのに神崎先輩のことよりも、もうすでに完全に祐樹くんで頭がいっぱいになっている。こんなにあっさりと他の人を好きになるものなのだろうか。もしかしたら、さっさと次に乗りかえる軽い女――いや実際にそうだ。そんなことを考え、自己嫌悪に陥る。


 回答を待っている祐樹くんを見返した。

けれど、もう一切の迷いはない。


「すごく大好き、だよ。祐樹くん」

「俺もだよ。じゃあ、ひとまずは大丈夫かな?」


 別れを告げられるかと思ったのに、そのまま受け入れられてしまった。


「気を使ってくれなくても――……」

「なんで!?」


いつの日かの素っ頓狂な声を再びあげる。

思わず、笑ってしまった。


いいのだろうか、本当に。

でも許してくれた祐樹くんに対しては、感謝しかない。小さくもう一度「嘘をついてごめんね、好きだよ」、というと祐樹くんは「いいよ、」といいながら笑った。


****


 美咲は遠くから手を振る。

少しまだぎこちない笑顔で、俺に向かって。

君が兄貴のことを好きなのは、好きだったのは、最初から知っていたよ。


あの日、君が屋上に行く前に俺は、靴箱にいたんだ。

現場を見ていたから。


正しく兄貴の靴箱に入れていたんだよ、君は。


「だって犯人は俺だし。


 ラブレターを愛おしそうに見つめるその瞳と表情が、夕日の陰りでとても美しく思えた。その視線を、兄貴ではなく俺に向けてくれないだろうかと胸をかき乱したんだから。


君が靴箱の前から去ってからすぐに、俺はそのラブレターを思わず抜き取ったんだ。一時はどうなるかと、思ったけれども――もう大丈夫そうだ。


「愛してるよ、美咲。これからは兄貴じゃなくて――、ずっと俺を見ていてくれよ」


俺は聞こえないように、カバンにしまったままのラブレターを思い返し呟いた。

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