第78話 ヒトラー登場

1932年(昭和7年)2月


世界恐慌に端を発する経済的大混乱も、取り敢えずは落ち着いて来た事もあって、高橋首相は再び父に政権を返上して自身は大蔵大臣の職に戻った。

一応これからは第二次近衛内閣と言われることになるだろう。

父としては早く辞めたかったみたいだが。


3月下旬

イギリス国王ジョージ5世が来日した。

同盟国である大英帝国の元首としては初めての訪日となり、これを受けた日本国内では国民総出で歓迎する体制を整えている。

史実では勿論あり得なかったイベントで、現在の強固な日英同盟を象徴する出来事であり、世界中に大きく配信されていて話題になっているみたいだ。

また、国際連盟の総会がちょうど開催されている時期と重なったために、国王が国連総会に出席して演説を行うという歴史的な行事にも繋がった。

この国際連盟本部は耐震性を高めたうえで鹿鳴館の隣に拡大・新築されていて、その工事が完成して移転を終えたタイミングでもあり、これまた大きな記念となった。


桜が大変美しい季節の来日であり、ジョージ5世は大変お喜びいただいているみたいで安堵した。

宮中晩さん会においては俺も勿論オリガと子供たちを伴って参加し、ジョージ5世と旧交を温めたのだが、彼女の「ご威光」は相変わらず大きいと感じる部分で、イギリス国王といえどもオリガに気を使っていることは明白に感じられたから、そういった内容のメディア報道もあって国内世論は「オリガ様がいてくれてとても頼りになる」との噂でもちきりらしい。


ジョージ5世は2週間ほど日本に滞在したから、俺と彼女が奈良と京都を案内して回ったのだが、こちらでも日本文化を堪能頂いたみたいで大変喜んでいただいた。

いや、社交辞令では無くて、令和の時代に欧米の観光客が日本文化を楽しむような感覚と言えばいいのだろうか?心の底から異文化を楽しんでいただけたと実感している。

特に感動してくれたのが東大寺と法隆寺で、共に木造建築で世界最大級と世界最古の建造物だから大変驚いてくれた。

未来には国宝と世界文化遺産になるのだから当然か。


その後にロシアへ向かう事になり、大阪港まで見送りに行ったのだが、ロシアにおいては彦麿が正式に首相に就任してアレクセイ陛下を支える体制となっており、アナスタシアとも俺が10年前に訪問した後すぐに結婚していて、既に3人の子供に恵まれているという、俺からしたら非現実的なことになっている。


そのロシアにおいてジョージ5世も久しぶりにハメを外したみたいで、従兄弟のニコライさんと共謀して、お付きの人たちに対してお互いの服を交換しあって「俺は誰だ?」と驚かす遊びに熱中したらしい。

見た目がそっくりだから双方の臣下の人たちも驚いただろうとは思うが、、、子供かよ!

しかしジョージ5世もあと数年で亡くなってしまうから、少しくらいこんな時間があってもいいだろう。


このように日本と同盟国は比較的平和であったが、その頃のドイツは大きな変革期を迎えようとしていた。

アドルフ・ヒトラーとナチスによるドイツにおける政権の樹立だ。

スターリンの登場は1年以上遅かったが、こちらは史実よりも1年以上早い今年の1月初旬だった。

このあたりの事が今後の歴史にどう影響するか、とても心配だ。


今までも散々触れてきたように、第一次世界大戦における敗北と、その結果としてのベルサイユ条約によって突き付けられた内容はドイツに対しての死刑宣告に等しかった。

莫大な賠償金請求を受けたことは勿論だが、海外の植民地は放棄させられ、本国の領土すら他国に割譲せねばならなくなった。

更に軍隊は10万人以下の規模に制限され、戦車や航空機の開発と装備も禁じられてしまった。

このように外国からの理不尽な要求に対して、ドイツ国民はひたすら耐える以外の道を持っておらず、簡単に想像できると思うが、外国、特に英仏に対する怨嗟の声はドイツ国民の共通認識となっていった。


そんなドイツ国民に待ち受けていたのは以前に触れたようなハイパーインフレ、などと言うような表現が優しく聞こえるような超インフレとそれに伴う大不況だった。

このような環境に晒された時、人間の感情は大きく左右に振れる事になった。

同時にこのような状況下でもユダヤ人の生活は比較的安定していると認識され、この事が「ドイツは本当は戦争に勝っていたのに裏切り者のユダヤ人によって背後から刺された」との誤解に繋がる。


更に追い打ちをかけたのが、アメリカ発の世界恐慌で、多少は立ち直りかけていたドイツ経済にトドメを刺すような一撃を与えた。

ドイツ以外の資本主義国も同様の打撃を受けたが、英仏を中心にポンドブロック、フランブロックといったそれぞれの通貨ブロックを構成して何とか凌ごうとしていた中で、植民地を持っていないドイツとマルクは一人負けの状態に陥っており、失業者があふれ、いつ終息するかの見通しの立たない社会不安に晒され続けた。


そしてドイツ国民が二度と外国に負けない強い指導者を熱望した結果、登場したのがナチスとヒトラーという訳だ。


この男は1889年オーストリア・ハンガリー帝国のブラウナウ地方で税関吏アロイス・ヒトラーの4男として生まれる。

当初は画家を目指し、美術学校を受験するが失敗し、若いころは水彩の絵葉書などを書いて販売することで生計を立てるが、買い手の多くはユダヤ人だったらしい。

つまり、当時のオーストリアでは生活に余裕のある層とユダヤ人が合致していたとみていいだろう。

この時に買い手だったユダヤ人から侮蔑を受けたことによって、反ユダヤの思想に傾いていったという説を聞いたことがあるが、真偽のほどは知らない。

この手の話には尾ひれがついて回るのは古今東西同じようなものだろう。


俺も将来において誰にどう言われるか分かったものじゃない。


俺が作った国防大臣というポストは「側用人」にヒントを得たものだが、これにより老中らの意見は通らなくなったことで彼らは不満を抱き、結果的に側用人だった柳沢吉保は悪人に仕立てられたし、彼を寵愛した徳川綱吉は「犬公方」だの「暗愚」だのと後世悪口を言われる事になった。


しかし殺人が公認されていた戦国時代の気風がまだ残っていた荒い世相に挑戦状を叩き付け、人殺しは勿論だが犬を殺しても死刑になる!という逆の極端な意識に人々の心を改革した綱吉の政治家としての功績を俺は高く評価しているし、だからこそ軍部のクーデターに接した俺は、軍人の意識を根底から変えるために「政治家の悪口を言っただけでクビ」という敢えて極端で厳しい掟を軍人たちに強制した。


だから俺もきっとボロクソ言われるだろうし、ここは他人事とは思えないな。


それはともかく、ヒトラーはとりあえず第一次世界大戦に一兵卒として参加し、最終階級は伍長勤務上等兵。

士官でも無く下士官の最下級で、ほぼ一般兵だったから、この辺りの事がコンプレックスとなって後日、歴戦の将軍たちに無茶な命令を下す要因になるのだろう。

などと他人事のように言っているが、俺だって中尉で終わったヘタレだから、優秀な軍人、特に身近な文麿に対して無茶な命令を出さないように気をつけなくてはいけない。


大戦終結後はドイツにて後の「民族社会主義ドイツ労働者党」いわゆるナチスとなる前身の「ドイツ労働者党」の活動に傾倒するようになる。

ここからはみるみるうちに頭角を現し、党内抗争で初代党首アントン・ドレクスラーを失脚させ、第一議長に就任し、自身を「フューラー」と呼ばせる、或いは周囲からそう言われ始める。

この「フューラー」はドイツ語で指導者を意味する。

日本ではこれに「総統」という訳を付けてはいるが、ジョージ・ワシントンの「President」と同じく、この時の状況には合っていない。

本当に「総統」に相応しいのは首相と大統領の職務を兼任するようになってからだ。


事実として1923年、34歳の時にベニート・ムッソリーニのローマ進軍に触発されて「ミュンヘン一揆」を起こすが失敗し逮捕・投獄されるから、そんな「総統」は居ないだろう。


1926年には獄中にてあの有名な著作「我が闘争」を出版している。


1928年「民族社会主義ドイツ労働者党」いわゆるナチ党としての参加した最初の国政選挙が行われ、12の国会議席を獲得。


1930年の選挙ではナチ党が第二党に躍進。


そしてついに先日行われた選挙においてナチスは第一党となり、首相に就任した。


俺もヒトラーの演説は学者時代に嫌になるくらい見聞してきたが、この男の演説に対する才覚、そして宣伝担当ヨーゼフ・ゲッベルスの演出は流石だと感じたものだ。

まず、長い演説ではあっても、語られるポイントは一つか二つに絞っていることが挙げられる。

俺もそうだが、一度にたくさんの事を同時に言われても覚えられないし身にも付かないから、人間心理を上手く使っていると感じるし、繰り返し少しずつ表現を変えて何度もしゃべるところなど、この時代にしては凄いなと思う。

そして、責任が自分に向かないよう巧みに逃げているのも流石だ。

「私は私の理想が自動的に成就するなどとは決して約束しない」、「国家を構成するドイツ民族の理解とたゆまぬ努力が常に必要だ」と。


そして時に激しい言葉で「敵」を提示し、国民の向く方向をコントロールしようとしている。

為政者に限らないと思うが、国家にとっても組織にとっても必要なものは古今東西変わらない。

それは「共通の敵」だ。

敵を作って団結を促すというのは理にかなっている。


そしてこの段階でヒトラーは共産党へ攻撃と弾圧を始めている。

理由は共産党がベルリンにおいて看過できないほど議席数を伸ばしてきたため、危機感を抱いたからだろうと思われる。

つまりドイツ国民から見たら共産党を取るか、ナチスを取るかの究極の選択に迫られたという訳で、結局ナチスを選んだ。


まるで「カレー味の〇〇〇を選びますか?それとも〇〇〇味のカレーにしますか?」みたいだが、せめてイソップ寓話のように「お前が落としたのはこの金の斧か?それともこっちの銀の斧か?」と聞いて欲しい気持ちだったのかも知れない。

しかし最終的にドイツ国民は熱狂してヒトラーを讃えるに至る。


う〇こ味のカレーを選んだのだ。


因みにドイツでは21世紀に至ってもナチスは論外だし、共産党も連邦憲法裁判所の判決によって存在を否定され続けていたのは事実だ。

つまりどっちにしても〇〇〇は違憲という扱いだ。


ヒトラー率いる「民族社会主義ドイツ労働者党」( National Sozialistische Deutsche Arbeiter Partei )は、NSDAPと略称されるし、別称は、ナチ、ナチ党、ナチス、ナチス党として後世にまで知られるが、この場合の表記は「NAZI」であって、「Nachi」では断じてない。

だから「那智」とか「那智の滝」とは全く関係なく、完全に別物だから、外国人に指摘されたら即座に否定しなくてはならないし日本人同士も気を付けなくてはいけない。


それはともかく、この「民族社会主義ドイツ労働者党」という党名は誤解を生みやすい名前だと思う。

まず「社会主義」となっていて、次に「労働者」というワードも入っているから、二重の意味で社会主義系の政党だろうとの認識をもたらす。

だが、これだけ見て「社会主義と表記しているのだから左翼だな」、「共産主義の仲間だな」と早合点してはいけない。

なぜならナチスの系統である、21世紀によく使われる用語として生まれた「ネオナチ」は、極右民族主義や反共産主義などの極右思想の組織、また個人等を表す言葉として国際的に使用されるためだ。


国家が経済を統制するという意味では確かに社会主義的な方向性ではあるだろうが「民族的である」という点が大変に重要で、したがって昭和から平成にかけては「国家社会主義」、令和においては「国民社会主義」と日本で訳される事が多かった党名を「民族社会主義」とここまで故意に表記してきた。

まず、先頭に民族が前面に押し出されるのだ。

次に「ドイツ」と「労働者」の順で重要視される。


だから結論としては、ドイツ民族の集団としての社会と労働者を重視するという意味になるから「ドイツ民族社会における労働者の党」というのが正解だろう。


そしてヒトラーにとって反ユダヤ主義と反共産主義は一体であって同じ意味だ。

何故なら共産主義の生みの親であるカール・マルクスは「元ユダヤ人」であり、この人物が提唱した理念はユダヤ教の影響下にあり、結果としてユダヤ教と共産主義は同じ延長線上にある仲間であって、共産主義とは「ユダヤ人が民族国家の経済基盤である産業を破壊し、それと共に国家を超えた世界金融たるユダヤ主義のために諸民族を奴隷化するのに利用する経済的武器」と断じている。

解釈の問題だからヒトラーはそう判断したという事はご理解いただきたいが、俺の見解は全く違う。


確かに共産主義はユダヤ教の影響を受けたのは事実だろう。

それは最終的に「革命理論」へ行きつくという点でも証明される。


カール・マルクスは著書「資本論」において、労働者とは資本家から常に搾取され続ける「賤民」であると考え、これらの人々を救済する目的で資本家を倒すのが「革命」なのだから、世界の虐げられた人々は革命を目指さねばならないと主張した。

つまり現世における救済を目指したイデオロギー(宗教)だ。


一方のユダヤ教が古代において成立した動機も、現世における救済を求める為であり、神との契約を破ったがために、エジプトのような巨人に翻弄され続ける「賤民」になってしまったユダヤ教徒は、神との新たな「契約の更改(旧約聖書)」を通じて神の救いが得られるのだと信じた。

聖書とは法であり規範の事だから新たな契約の更改によって社会の規範や法律が変わり、政治構造や社会構造などユダヤ人を取り巻くもの全てが「革命的」に変化する。

そして再びヨーロッパにおいて「賎民」となったユダヤ人はいつの日か神が「契約の更改」を通じてユダヤ人に救いをもたらすのだと信じられた。


つまり、「革命」と「契約の更改」は同じ精神構造上にあるという見解で、「根」が同じなのだから地上に生えてくるものも同じだと断じたのがヒトラーで、俺はそこに賛同しない。

そもそも現実世界において資本家と金融業は同じで層であるケースが多いのだから、ユダヤ人が資本家を根絶やしにするはずがない。


ユダヤ教における預言者は神との契約を守ろうとしない為政者に対して常に警告を発する立場だったが、共産主義においては「預言者」がマルクスやレーニンであり、「賎民」は契約を守り革命を達成するためには「絞首台」や「収容所」も喜んで受け入れなくてはいけないとした考えに繋がった。

これが共産主義国で収容所が多い理由となる。



まあ難しい話は置いておくとして・・・

ここまで長々と触れてきたが、つまりナニが言いたいのかといえばこんな具合だから、本来ならば独ソが共闘する事など考えられない。

特に「ヒトラーが、スターリンと」共闘するなんてあり得ないと分かるだろう。

その意味でバルバロッサ作戦は不思議な現象ではない。


・・・だが、何故か胸騒ぎがする。


ヒトラーは民族にもこだわった。

党名について「民族的 National」とは「民族全体に対する無限のあらゆるものを包む愛情、必要とあればそのために命をも投げ出すこと」、「社会的 Sozialistische」 とは「民族同胞のための労働という倫理的義務」、「労働者 Arbeiter」とは「体を使って働かない人」に対して「体を使って働く人」、「労働を軽視するユダヤ人に対して労働を恥じないゲルマン人」を意味すると説明した。

ユダヤ人のように金融業で儲けたり、デスクワークや頭脳労働は労働と認めなかったという訳だな。


少し専門に流れすぎたが・・・


この後のヒトラーの動きについてだが、ヒンデンブルク大統領の死去後は後任を置かず、首相と大統領を兼任し本当の意味で「総統」になるのは、ほぼ確定だろう。

本来は同一人物が大統領と首相を兼務することは禁止されるべきで、けん制し合ってこそ独裁とは程遠い存在となるはずだが、結果はナチスの一党独裁体制を確立する事となるだろう。


ファシズムとは何?と問われたら、一国一党の独裁体制の事だと相当以前に記したが、民主主義の対局にある考え方で、野党が存在しないから為政者はやりたい放題だ。


とにかくこの男が将来やらかすことは「長いナイフの夜」で独裁体制を強化し、ユダヤ人を迫害する決定的な処置である「水晶の夜」を実行するだろう。

同じ事件名にはならないかもしれないし、発生日時も違うかもしれないが。


それから忘れてはいけない軍拡だ。

ヒトラーは政権を掌握するや、すぐさまドイツ再軍備宣言を行って軍拡に突き進むと公言した。

この後は空軍再建宣言、ベルサイユ条約破棄、そしてラインラント進駐と進んでいって遂には第二次世界大戦を起こすことになるだろう。


しかし、第一次世界大戦で軍備のほとんどを禁じられたドイツ軍が、このように極めて短時間で復活できた理由は以前に触れたようにソ連との間で交わした「ラパロ協定」によるところが大きいと言えるだろう。

このラパロ協定は独ソ双方に巨大な利益をもたらした。

ドイツ陸軍はベルサイユ条約の結果、僅か7個師団10万人に制限され、飛行機、戦車、重砲の保持は禁止、軍団を構成することも出来ず、参謀本部は解散させられてしまった。

この事をドイツ軍再建を目指す最高実力者のハンス・フォン・ゼークトを筆頭とするドイツ軍首脳は憂えた。

このゼークトは「ゼークトの法則」としても知られるが、第三十九話で紹介した「モルトケの法則」の焼き直し、同じような考え方だ。


一方のソ連軍にも悩みはあった。近代的な軍隊としての基礎が全くなかったのだ。

これは第一次世界大戦の結果を見ても明らかで、常に大兵力を運用したロシア軍は、自軍より寡兵のドイツ軍に全く歯が立たなかった。

特にドイツ軍砲兵の前にロシア軍は全くなす術がなかったと言ってもいい大敗を続けた。

このようにロシア軍は前近代的だったが、その後継でもある新設ソ連軍はもっと悲惨で何もなかったと言ってもいい状態だった。


そこで「ラパロ協定」が生きてくる。


ドイツは秘密裏にソ連領内で10万人の将校を育てるべく演習を行い、見返りとしてドイツはソ連軍に近代的な軍事技術を教える事によって、強大な赤軍の建設に協力するという関係が構築された。

これによりドイツはゼークトの尽力もあって優秀な将校団を育て上げ、後に徴兵制を復活させて兵力の増大を行った時には瞬く間に世界最強の軍隊として蘇った。

この一般兵は後から補充出来るが、将校には高度な訓練と教育が必要だからラパロ協定で育て上げたやり方のような事を一般に「ゼークト方式」と呼ばれる。


そして第二次世界大戦におけるドイツ機甲師団の精強さは、まさに「ラパロの申し子」とでも表現するしかないような効果を生んだ。

だからマッカーサーが戦後の日本において軍隊を廃止したのは、この「ゼークト方式」によって世界最強の日本陸海軍が復活することを恐れたからだ。


その結果、ドイツは1936年には非武装地帯であったラインラントに軍を進駐させ、臆面もなくベルリンオリンピックを開催。

1938年にオーストリアを併合し、ウィーンに凱旋し、更にミュンヘン会談でズデーテン地方を獲得。

1939年なるとチェコへ進駐し保護領にして更にスロバキアを保護国化。

これほどまでに短期間にドイツ軍が精強に生まれ変わることが出来たのはラパロ協定のおかげだ。


そしてそんなドイツを見る世界の目は厳しくなっていく。

チェコまでは同じ「ドイツ系」民族が多数住んでいるから英仏も我慢したのかも知れない。

しかし、もしこの時点で英仏が戦争を決意していたら、第二次世界大戦には至らず、ヒトラーが潰されるだけで終了していただろう。

しかし英仏国民の意識には戦争なんて真っ平ごめんだとの空気が根強く、イギリス首相ネヴィル・チェンバレンは開戦に踏み切れなかった。

「いかなる戦争も悪である」という人がいるし、俺も戦争はもちろん嫌だ。

だが、この場合も果たしてそう言えるのか?

早めにヒトラーを潰すことは可能だったし、それが出来たら後の惨禍は防げたのだから「いかなる戦争も悪」は当てはまらないだろう。


俺としても可能な限り早くヒトラーを潰したいが、英仏が本格的に協力してくれないと無理だ。


そんな状況に追い打ちをかけるのがF・ルーズベルトの登場だ。

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