第70話 関東大震災②


1923年(大正12年)9月1日 午前11時58分


その瞬間はやってきた。


『関東大地震、若しくは大正関東地震と呼ばれる地震の震源は、相模湾もしくは河口湖付近、または神奈川県西部とされ、そのマグニチュードは7.9と推計されている。激しい揺れによって建物が倒壊し、間の悪いことにちょうど昼時だったこともあって、各家庭では昼食の準備のために、かまどや七輪に火を起こしている家庭も多かった。

このため多くの火災が発生した。

更に能登沖にあった台風の影響による強風によって東京・横浜を含む関東の広い地域が延焼によって消失し死者は10万人を超え、特に焼死者が多かったとされる。

まさに日本国始まって以来、未曽有の大災害となった』


以上が史実だ。


既に地震発生前の午前11時に、今回クーデターを計画した主要メンバーは憲兵隊によって逮捕されており、軍の規律保持と避難訓練そのものに影響は出なかった。

この為、避難訓練は続行されており、内容としては地震に加えて風水害までを想定したものだった。


そこへ、予想外の強烈な揺れが襲った。


軍人の誰もが生涯で初めて経験する揺れであり、一瞬パニックになりかけたが、そこは百戦錬磨の日本陸海軍だからすぐに態勢を立て直し、訓練ではなく実戦へと移行することになる。


まず火災だが、史実に比して火災は極めて少なかったものの、ゼロではなく、消防隊と軍が協力して直ちに消火活動が行われたことにより、大規模火災は何とか免れることが出来た。

次に地震により倒壊した建物からの被災者救出と併せ、がれきの撤去も同時に実行されて、通行路の確保を行った。


しかし軍人と違って一般市民はパニックに陥った。

当然の事ながら訓練だと思っていて「早く終わらないか」とか「面倒な事をやらされて迷惑だ」と言い合っていた市民が大半だったから、本当に揺れ始めた時のショックは測り知れないものだった。


結局、残念ながら人的被害はゼロには出来なかった。

諸事情によって避難所に行けなかった人、指示に背いた人、理由は様々だろうが自宅に残った人も少数だが存在したからだ。

それでも10万人以上の死者を出した史実に比べたら極めて軽微な被害者で済んだと評価できるだろう。


地震発生直後に俺はまず周囲の状況を確認し、父と直ぐに連絡を取り合って善後策を進言した。

父をはじめ、内閣のメンバーは全員、本当に地震が起こったことに対して驚いており、「訓練をしていなかった場合の被害」を想像して恐怖に慄いていた。

それ以上に関係者全員が驚いたのが、陸軍によるクーデター計画の発覚であり、関係者の取り調べと背後関係の洗い出し、他にも関係者がいないかなどの憲兵による捜査が始まった。


そのまま翌日の朝となって、何とか落ち着きを取り戻してきた状況だったので、一旦自宅に戻ろうかと思い、国防大臣執務室で身支度をしていると明石大将が駆け込んできた。


「閣下!要人襲撃の対象者が判明しました!」


判明したか!やはり皇太子殿下か?


「内閣総理大臣、近衛閣下です!」


えっ!?なんだって?父なの?


「間違いありませんか!?」


「我々の調査によれば、ロシア系と思われる怪しい人物が難波大助に接触しているのを確認しており、その人物を逮捕しました。残念ながら先ほど拘留中に自殺してしまいましたが、死ぬ前に総理の名を口にしたとの事です」


何だって?参ったな。。。


「容疑者の動向は把握していますか?」


「常につかず離れずで監視しておりますが、昨日から桜田門周辺を徘徊しています」


流石だ。NTTもNHKも優秀だ。しかし、コミンテルンは父が邪魔だったか。

難波大介は都合よく利用されてしまったのか?


「犯人はステッキ状の仕込み銃を使用すると予想します。私はこのあと総理と共に専用車で桜田門を通りますから、発砲前に逮捕してください」


「…!?はっ!すぐにそのように手配いたします!」


明石大将は一瞬疑問に思ったみたいだ。

なんで武器が仕込み銃って断定できるんだ?と

しかし誤魔化す余裕も無いし、緊急事態だからすぐに忘れてくれる事を期待しよう。


しかし・・・取りあえず一安心かな・・・

いやあ…いろいろあるな。


その後、父と共に桜田門まで来た時に難波大助らしき人物が路上に飛び出し、棒状のものをこちらに向けた瞬間に、配備されていたNTT職員たちが飛びかかって逮捕し、その後に背後関係が厳しく詮議されたが、結局コミンテルンとの繋がりは白状せず、真相は闇の中となった。

これが後世「大正桜田門事件」と呼ばれる事になる近衛首相暗殺未遂事件の一部始終だ。


直ぐにこの未遂事件の発生と犯人の名前を知った難波大助の父親がやって来て、土下座され許しを請われたが、未遂だったので気にしないように言っておいたし、議員本人の犯罪ではないのだから議員辞職の必要性もないと念を押した。

史実だとこの人は責任を取って蟄居し、餓死してしまうのだが今回はそうはならないだろうし、彼の選挙区から後世、有名な政治家が排出されることになっていたが、この史実も修正される事だろう。


翌日からは軍や警察のみならず、住民総出で片付けが行われるようになり、空き地には早くもバラックが建てられるようになってきた。

そして運良く訓練と災害が重なってくれた事に安堵してくれているみたいで「予言者が居る」などの騒ぎにはなっていない。

いやこれ、本当に心配した事で、なぜピンポイントで分かったのか?と思われたら厄介だった。

一般国民にはバレなかったみたいだが、俺の親しい人物で疑念を深めた人はいた。

だが、それよりも問題なのは地震の際に軍がクーデターを起こそうとしていた事と、共産党支持者が父を襲おうとしていた事実は何処からともなく広まって、東京在住の国民の多くが知るところとなって大暴動に発展したことだろう。


赤坂や六本木にある反乱に関係した陸軍の拠点に対して、数万人もの老若男女の大群衆が押し寄せ、責任者を出せと騒ぎ始めたのだ。

通常、群衆によるデモというのは男性が殆どを占めるのは古今東西に共通する話だろう。

近年では第二ロシア革命の際に「パンを寄越せ!」と主婦層が訴えた以外に記憶が無い。

しかし今回は子供連れの女性層が過半数を占めていたみたいだ。

きっと父の政策が女性層に共感を呼んで、近衛内閣が倒れたらせっかく認めてもらった自分たちの権利まで再び奪われてしまうのではないか?との思いに駆られたみたいだ。

民衆は、陸軍が地震の混乱を利用して卑怯にもクーデターを起こそうとしたのだと誤解し、国民が大変な時に内閣と政府の隙を狙って反乱を起こすとは何事だ!恥を知れ!などと叫んでいたそうだが、それは少し事実誤認だな…


しかし陸軍としてもまさかこれ程の人数、しかも女子供相手に武力で鎮圧するわけにもいかず、また反乱未遂による逮捕者を出したのは事実だったから、責任者たる将官や参謀たちが直接群衆の前に出て土下座して許しを請う羽目になった。

普段ふんぞり返って偉そうにしている人たちだから、相当な恥辱となっただろう。


また陸軍は後日、摂政の皇太子殿下からも正式に勅勘を書面にて被る事態となり、恐懼した総理より軍の規律を糺すよう改善命令を受けた俺は、軍組織の規律遵守の体制づくりを始めることになった。

今まで手をつけたくても出来なかった部分だから良い機会だ。

結局今回逮捕された連中のクーデターに至る理由は、父と俺が「陛下や摂政殿下を騙して栄光ある帝国陸軍を弱体化させようとしている」と考えたみたいだ。

アホらしい。

本当にそんな考えだったら装備品の開発に注力なんてしないだろうに、目の前の事しか見えていない。

それと最終的に白状した事としては、自分たちの出世が遅れると危惧したという個人的な損得勘定だった。

ますますアホらしいが、しかし史実ではこれから「桜会」のような秘密結社を作る動きが出たり「五・一五事件」に「二・二六事件」とクーデターが連発する時代となる。


背景には頻発する恐慌による混乱と、地主と小作人の理不尽な関係、財閥と労働者間に発生した貧富の格差の拡大という事実があり、クーデターに共通するのは彼らには彼らなりの正義感があって、日本を何とかしたいとの思いがあった事だが、そう思う事自体が完全に間違いで、軍人は政治に口を出してはいけないし、武力を国内に向けるなど言語道断である事を徹底させなくてはいけない。


最終的には公私の区別なく軍人が政治的発言をすることは禁じられ、違反者は憲兵隊によって即時逮捕される事が決定し、士官学校と陸海軍大学などの軍関係への入学に際しては一番最初に教える項目とした。

ついでに軍人勅諭も根本から改められ、いわゆる民主的・近代的な内容に変更した。

これで後世「戦陣訓」のように、生きて虜囚の辱めを受けず…などのような無意味な布告も出ないだろうし、出させてはいけない。

また兵隊なんていくらでも補充できるが、小銃には菊の御紋が刻印されており、また大金がかかっているから紛失などもっての外であるなどといった逆転した価値観も改めさせよう。

本当の意味で近代化を進めないとこれから危険な方向に行きかねない。

以上が後世に「九・一事件」と呼ばれる事になる軍部の反乱未遂事件とその後の顛末だ。


こうして陸海軍にはクーデター未遂騒ぎをきっかけに大幅なメスが入ったが、これとは別に共産党関係者の氏名と彼らが潜伏していた複数箇所のアジトの場所も、誰が情報を流したのか結局分からずじまいだったが全て知れ渡り、こちらも大群衆に包囲された。

群衆の中では「近衛総理が暗殺された」「共産党員が井戸の中に毒を投げ込んだ」などの根拠のない流言蜚語が自然発生的に飛び交う事態となり、ヒステリー状態での暴言に始まって投石、放火騒ぎへとエスカレートして、更には共産党員に対するリンチ、虐殺へと発展した。

被害者の中には片山潜や福本和夫、岩田義道、山本懸蔵らに加えてコミンテルンとみられる複数の外国人が含まれており、共産党組織に大打撃を与えた。

ソ連から送り込まれたコミンテルンの連中も、日本人の凶暴さを改めて知った事だろう。


憲兵隊や警察などの国家権力によって殺害されたのなら、むしろ「殉教者」だと宣伝できたかもしれないが、民衆によって殺されてしまっては自らの正当性を主張できなくなってしまう。せいぜい日本人の凶悪さをアピールする程度だし、政府や内閣に責任問題は及ばない。

何せ共産党には活動禁止と非合法化を布告した際に解散命令を出していたのだから。

しかし警察は同時多発的な暴動発生に気付くのが遅れた為に、被害者を拡大させる事態になってしまったのは悔やまれる。


共産党が悲惨だったのはこの事件をきっかけに、今回は被害者だったにもかかわらず、日本国内での非合法活動の継続すら困難になってしまった事だろう。

日本国内にはこれまでも共産党に対するアレルギーは存在していたし、父の布告以降は国民が口に出して非難する対象となっていたが、この事件以降は「日本国民の敵」と認定され、誰もが積極的に党員の存在を警察に通報するようになったから、彼らは地下に潜る以外の選択肢が無くなり、同志を増やしてソ連が有利になるように日本を誘導するなど全く不可能になった。


こうなってしまった理由は、完全にデマなのだが「未曾有の混乱を利用して井戸に毒を入れた」と思われたのが致命的だったらしい。

まあ日本に対してある種の破壊工作を常に狙っていたのは事実だから、完全に無罪とは言えないかな。

これら一連の事件は発生日時から「九・四事件」と呼ばれるようになる。

そして結局、これら一連の騒動の責任を取って難波大助の父は議員辞職した。

死者も出ているし仕方ないだろう。


俺としてはこれには大いに驚いたし、パニックから発生した流言の怖さと、日本人の凶暴性がもし将来こちらに向かってきたらと考え戦慄を覚えた。

今回は国民の圧倒的な支持があったから助かったが、これから先もそうであるとは限らないので、国民に寄り添った政治を行おうと強く思った。


桑原 桑原


**今後は2日に1回AM:700公開予定です**

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