第69話 関東大震災①
1923年(大正12年)3月1日
とうとう「関東大震災」と呼ばれる災害を起こす地震発生まであと半年となってしまった。
俺はこのところ執務中はずっと一人で悶々としている。
どうやったら違和感なく関東南部の住民を避難させる事ができるか散々悩んでいたのだが、上手い言い訳を全く考案できなかったのだ。
もっとも、都市計画はもともと地震を想定した対策はしていたし、防火帯となり得る公園や広い道路といったインフラ整備は提案してきたつもりだ。
だが、経済発展に伴って史実よりも東京と横浜の人口が多いのはかなり不安だ。
東京は史実よりおそらく3割は多い260万人。
横浜は市域の広さが令和と全く違っていて狭いが、それでも史実より多分だが2割多い約50万人が住んでいる。
また、東京から横浜にかけては重工業も発達して、港湾設備も史実より充実してしまっていることも大きな不安材料だ。
更には5階建以上の建物も散見される状況で、レンガ造りのような脆弱な建物では無いにしても、多分揺れには耐えられないのでは無いかとこれまた不安だ。
関東大震災は東京と横浜の被害ばかり注目されているが、実際の揺れが強かったのは神奈川県西部周辺だったはずで、この辺りから千葉にかけては津波にも要注意だ。
俺はどうしようもなくなったので、内閣総理大臣である父に対して、ほぼヤケクソ気味に国防大臣の権限において「第一回総合防災訓練」を提案して実行することにした。
ご存知の通り日本は風水害が頻発する国土だが、危機管理という意味ではこれまで本格的な訓練が行われて来なかったので、「平和なこの時期だからこそ常在戦場の心構えが必要なのです!」などとそれらしく訴えた。
9月1日というキリが良くて言い訳しやすい日程だから、この日を目標に陸海軍、警察、消防、自治会といった主な組織を総動員して大規模な訓練を行う布告を発し、準備を進めている。
本来であれば仮設住宅などの手配も必要なのだろうが、とてもじゃないがそこまで強引に押し通せなかったので早々に諦めた。
東京・神奈川・千葉・静岡各県への指示内容は以下のような感じだ。
・訓練時間中は火気を使用しない事
・当日は全ての経済・生産活動はもちろん、教育機関も停止する
・交通機関は終日運休し、指定された避難場所以外への移動は行わないよう通告する
・病院施設は外来受付を中止させ、各役所の市民窓口も休業する
・全ての国民は事前に割り当てられた避難場所へ集まるよう通達する
・5階建て以上の建物には入らないよう、また近づかないようにも通達する
・津波の危険がある為、海岸には近付かないよう通達
・崖や急斜面などには近付かず安全な場所に留まる
・陸海軍及び警察・消防は即応体制をとり、要所を固めるものとする
この避難場所を指定するとさらりと書いているが、これだってなかなか大変だった。
それでも何とか9月1日午前11時を期して軍・警察・消防は訓練を開始し、14時に解散という計画を練った。
実際に地震が発生するのは確か12時前だから十分間に合うだろうし、各家庭で火を使わなければ火災の心配も減るという計算で、東京東部の住宅密集地には特に手厚く消防ポンプ車隊を配置してもらったから、火災が発生したとしても延焼を防いでくれることを期待する。
何を大袈裟なと言われる事を覚悟の上で、事前におにぎりなどの炊き出しも計画されており、2日程度なら食料の心配もなさそうだ。
ただ、莫大な費用が発生することもあって、流石の父もかなり疑問を持ったみたいで、訓練の意義をしつこく聞かれたが、もうここまで来たら正直に告白する訳にもいかず、家庭内の味方はオリガただ一人といった感じで肩身が狭かったが。
8月30日
地震の発生まであと2日というこの日、朝から最終準備を手配していると、諜報の要である明石大将が厳しい表情で俺のところへ駆け込んできた。
珍しいな?なんかあったか?
「閣下、大変です!軍による反乱が計画されている模様です!」
クーデターか
「どういった内容でしょう?首謀者は判明していますか?」
状況から言ったら陸軍かな?
「はい、我々の潜入捜査の結果、首謀者は歩兵第1連隊大隊長の岡村
しかしその背後には歩兵第1旅団長の真崎甚三郎少将と歩兵第2旅団長の荒木貞夫少将の両名が関与しているものと思われます」
なんか聞いた事のある名前だな・・・何だったか?
思い出したぞ!最初の三名は「バーデン・バーデンの密約」を交わした連中か!
軍閥を廃し、日本国内の改革を行うのだとの趣旨でドイツ南方のバーデン・バーデンに集まった3名が話し合った内容のことを指すはずだが。
しかし軍閥は排除したし、人事も出身地を配慮したものでは無くなっているはずだが、それでも反乱するというのは「屁理屈と湿布はどこにでも貼れる」って解釈していいってことかな?
それと真崎少将って人物は、確か二・二六事件の首謀者の青年将校たちに同情的な人物として知られていたはずだったな。
史実においては荒木と共に皇道派と呼ばれる派閥のリーダー格になるのだろうが、現在はそれほど目立つ存在ではない。
それにしても山縣たち軍閥が弱まったら今度はクーデターか?
どうせ俺たちを「君側の奸」とでも決めつけているんだろうが、どうやったらそんなロジックを捻り出せるんだ?
自分たちの領分を侵されたからといって暴力に走る思考が理解できない。
他にも反乱しそうな人物がいないか詳しく調べさせる必要があるな。
この機会を利用して陸海軍内の大掃除をしておこう。
しかし軍人が政治思想を前面に出して主張しても、それに対して誰も疑問に思わないところに最大の問題がある。
21世紀の常識で言えば、軍人が主張していいのは極端に表現すれば、有給休暇を取らせろとか、残業手当を支給しろといった「労働者」としての権利だけで、それ以外は内閣と政府の従順なイヌであるべきだ。
それにしてもNTTを設立させておいて大正解だったな。それはともかく
「反乱はどのような計画か、具体的に判明していますか?」
「9月1日の総合防災訓練において展開される陸軍部隊の一部によって、総理官邸をはじめ、閣下の執務室、統合作戦本部、大蔵省、陸海軍作戦部、主な新聞社の制圧が計画されています。
決起日時は1日14時との事です!」
そうきたか!防災訓練で駆り出される陸軍部隊に紛れ込ませたら成功の確率は上がるな!
都内を軍隊が闊歩していても誰も不審に思わないから、絶好のチャンスとも言える。
そして訓練が終わる時間帯を狙い、緊張の糸が切れた瞬間を狙って決起しようというのか。
しかし、史実とは背後関係も状況も全く違うが、昨年断行した軍部の指揮命令系統の改革に対する意趣返しが目的だろう。
結局のところ、自分たちの不満を暴力によって解決しようなんて発想はコミンテルンの連中と変わらんし、結局気に食わないから反乱しようってだけでは?
「よく調べていただきました。事前に察知していれば対処は可能ですので、引き続き情報収集をお願いできますか?」
「はっ!承知いたしました!」
やれやれ・・・
取りあえず父に報告して憲兵隊を差し向けることにするか。
決起前に逮捕してしまえば大騒動にはならないだろうし。
しかし、連中は本当に巨大地震が来たら腰を抜かすだろうな!どんな顔をするのか見てみたいところではある。
早速この件は父に報告したのだが、このクーデター騒ぎが幸いして、今回の訓練の意義を都合よく見出してくれたみたいで「不心得者を炙り出す絶好の機会として計画していたのか!」と驚いてくれた。
父は当然、軍部の動向は心配していたから、俺の行動もその為の深謀遠慮と受け取ってくれたみたいだ。
いやいやいや!参ったな。
そんなつもりでは全く無いし偶然なのだが、勘違いしてくれているならそれでいいか。
8月31日
明石大将が昨日より更に深刻な表情と共に再び顔をみせて俺に報告した。
「閣下!過激思想犯による要人襲撃が計画されているようです!」
要人襲撃?クーデターの次はテロか!?
この忙しいのに。
「どのような内容でしょうか?」
「無産階級層に共感する青年が企てている計画ですが、背後ではコミンテルンが操っている状況と思われます。昨日はNTTが察知しましたが、本日はNHKの案件です」
今度はコミンテルンか・・・・しかし無産階級層に共感する青年?
そういえばそんなテロリストが1人いたな。
この状況、なんか知っているかも?
もしかして・・・
「容疑者の名前は判明していますか?」
「山口県出身の難波大助という青年ですが、父親は衆議院議員です」
やっぱり彼か…虎ノ門事件の犯人だな。
「襲撃の対象者は判明していますか?」
「現在調査中で確定はしていません」
いや多分対象者は…
「皇太子殿下の可能性が有りますので、慎重に、しかし逃すことなく実行前に捕えるようにしてください」
「!!!!承知いたしました!」
明石大将は驚愕の表情で執務室を後にした。
摂政たる皇太子殿下を狙われたら、例え殿下本人に怪我がなくとも我々の引責辞任は避けられないから発覚する前に潰さないと。
しかし無産階級って言葉はこっちに来てからは最近になってたまに聞くようになった。
資本家や地主に対する労働者、小作人の怨嗟が高まっていた史実においては第一次世界大戦終結からの戦間期、つまり現在の時点でもっと頻繁に聞く機会があったろうが、父の改革によってその辺りの不満は相当抑えられているはずだから安心していたんだがな。
それにしても次から次へと厄介事が起きるな。
この時代は思想が極端に左右に偏る傾向があるからたまらんな。
おっと。あとは明石大将と統合作戦本部長の岡田大将に任せて地震対策に集中しよう。
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