第71話 震災恐慌と昭和金融恐慌

1923年(大正12年)10月


地震から1か月が経過して復興に向けて動き出している。

都心部の被害は大きなものでなかったのは幸いで、政府関係の建物や国連関連施設も何とか全壊は免れており、活動と機能に問題は生じていなかった。

住宅地の被害は大きかったが、港湾設備や臨海部における工場の被害も大きかった。

元々が軟弱な地盤であり仕方ない面もあるが、復興には結構な時間と資金が必要になるだろう。


だがしかし、史実の関東大震災における東京と横浜の合計被害額は46億円。

その半分弱を各種商品類の在庫被害が占めており、建物被害が約30%、家財什器の被害が約15%だったから全体の被害額のうち実に90%以上を占める結果となっていて、道路や橋梁、港湾設備と言ったインフラの被害額は全体の10%以下、4億円ほどだ。

これは東京においては地震の揺れよりも火災による損失が極めて大きかったからで、今回の被害についての全体の集計はこれからだが、火災も犠牲者も極めて少なかった事から、恐らく史実の3割以下くらいの被害額で済むだろう。


そして今年度、日本の国家予算は25億円強だ。

史実におけるこの時代の国家予算はだいたい15億円前後と記憶しているから、今回の被害額とほぼ同じ金額だ。

つまり、史実では国家予算3年分の被害を受けたことになる。

ただでさえ民心が荒んでいた事はこれまで何度も触れてきた通りだが、これは大変なインパクトをもたらす数字だったはずだ。



更に問題となるのは復興費だが、史実だと6億円かかったはずだ。

そして6年かけて復興を図ったと記憶している。

しかも仕方ない事とはいえ、国家予算を首都圏へ集中した事で地方がおざなりになってしまい、反発は大きかったと記憶している。

それは当然そうなるだろうな。


その問題となる資金だが、俺は父と高橋蔵相に相談して、直ちにアンソニー・ロスチャイルドへ連絡を取り、10億円の融資依頼を行った。

アンソニーからは見舞いの言葉と共に、無利子融資の支援の受諾を行う旨の返答がきた。更に仲間のユダヤ資本家たちにも声を掛けて追加資金を集めるから、日本の必要額を言ってくれとの有難い内容の電信も届いた。


以前も触れたが、これまでの好調な経済を基にした国庫の貯えに加えて、戦争特需などの儲けがあるから、地震の復興だけなら実際には資金を借りる必要は全く無い。

問題は震災恐慌と昭和金融恐慌を起こさせないことに使用したいわけだ。

その為の10億円で、金額的には過剰だが足らないより遥かに良い。

これを利用して一旦、銀行の体力増強を図り、民間の不安と懸念を払しょくすれば震災恐慌は起こさずに済むだろう。

そして、それが達成出来れば昭和金融恐慌も乗り切れる。


令和において一般に誤解を生じがちなのが、昭和金融恐慌と昭和恐慌だ。

これは別物で、原因も違うという事は認識してほしい。


昭和金融恐慌とは単に「金融恐慌」とも呼ばれていたが、これから4年後に起こる恐慌だ。

これはある政治家の衆議院予算総会での不用意な一言から始まった。

その内容はというと「今日の正午頃、とうとう東京渡辺銀行が破綻しました」と事実無根の発言をしてしまったのだ。

これが発端となって、何とか震災恐慌から立ち直りかけていた日本で金融不安が再び表面化し、全国の銀行窓口に預金者が殺到するという「取り付け騒ぎ」が発生し中小の銀行にダメージを与えた。

そのことが原因で資金繰りに行き詰った鈴木商店が倒産し、結果、煽りを受けた台湾銀行が休業に追い込まれたことで金融恐慌が日本本土各地で再燃した。


この政治家は大蔵大臣だったから、当然聞いた人間は全員信じてしまったのだが、何故こんなことを言ったのかは判然としないものの、東京渡辺銀行が経営的に厳しかったのは事実らしい。

しかし、何とか破綻を乗り切ってさあこれから巻き返すぞと東京渡辺銀行側が安堵していたら、後ろから大蔵大臣に撃たれてしまった感じなのではないか?


また「鈴木商店」と聞いて、田舎のショボい店を連想した人は認識が間違っている。

当時は三井や三菱に並ぼうかという程の大商社だったし、21世紀でも神戸製鋼所・帝人・J-オイルミルズ・双日・IHI・太平洋セメント etcといった鈴木商店の流れをくんだ様々な大企業が存在している。

ともかく、この事態を受けて問題の大蔵大臣の後任となった高橋是清蔵相が、片面印刷の200円券を臨時に増刷して現金の供給を増やし、銀行もこれを店頭に積み上げて「見せ金」に利用するなどして信用不安の解消に努めたので、金融不安は収まったという何ともやるせない事件?事故?だった。

簡単に表現すると金融システムが未熟だったのが原因と言わざるを得ないだろう。


さて、ここから先はしばらく史実とそれに関しての感想だけ淡々と記載していく。気が滅入ると思うが我慢していただけると幸いだ。


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【 関東大震災の復興に際してはモルガン商会やロスチャイルドも外債を引き受けてくれたらしいが、金利は相当高かったと思われる。

金融の停滞で震災手形が発生し、緊急勅令によるモラトリアム支払い猶予を与えた。

復興には相当額の外債が注入されたが、モルガン商会は1931年(昭和6年)までに10億円を超える震災復興公債を引き受けたとの事だ。

因みに、当時の大卒サラリーマンの初任給は月給50円程度の時代で、日本の国家予算の65%に達する恐ろしい金額だ。

戦後恐慌に加え、日英同盟が解消されてしまった頃から政府は資金繰りに苦慮していたが、特にこの復興事業は国債・社債両面での対外債務を急増させた。

また第一次世界大戦終結後の不況下にあった日本経済にとっては、震災手形問題や復興資材の輸入超過問題なども生じた。

更に震災不況から1927年の昭和金融恐慌、そして1929年(昭和4年)の世界恐慌から昭和恐慌に至る厳しい経済環境下での社会不安から、国民を食わそうとした軍部の台頭、五・一五事件、二・二六事件と世情と社会情勢はどんどん悪化していくことになるが、その最初のきっかけは間違いなくこの地震だろう。


これまで述べたことを順番に並べてみると下記の如くだが、恐慌と災害と戦乱ばっかりで発狂しそうになる。


・1920年(大正 9年)戦後恐慌

・1922年(大正11年)銀行恐慌 ワシントン軍縮会議 日英同盟破棄

・1923年(大正12年)関東大震災←今ここ

・1923年(大正12年)震災恐慌 

・1927年(昭和 2年)昭和金融恐慌

・1929年(昭和 4年)世界恐慌

・1930年(昭和 5年)昭和恐慌

・1931年(昭和 6年)満州事変

・1932年(昭和 7年)五・一五事件

・1933年(昭和 8年)昭和三陸津波 国際連盟脱退 ルーズベルト政権・ヒトラー政権誕生

・1934年(昭和 9年)室戸台風、東北大飢饉

・1936年(昭和11年)二・二六事件


何かの祟りか?と思うような不幸の連続だ。

「⚪︎太郎電鉄」でこんな状態になったらリセットボタンを押したくなるだろう。

何度も出てきてしつこいが、スペインかぜの及ぼす悪影響も無視できない。

結局のところ、災害という不幸に見舞われ、最悪のタイミングで世界恐慌が発生し、人心の荒廃が進んでいったのがよくわかると思う。


ここには金本位制の事は触れていないが、世界各国は第一次世界大戦時に金本位制を停止していたが、大戦終結後には復活していた。

しかし、世界恐慌のあおりを受けて再び金の輸出禁止に踏み切った。

一方で日本は世界恐慌中の1930年1月になって金解禁に踏み切ったのだが、これまた最悪のタイミングであり、諸外国が金輸出を停止している中で多額の金が海外に流出していった。。。


本来ブレーキを踏まなくてはいけない時にアクセルを踏んだようなものか。

クルマが壊れるだけでは済まない。

それにしても金が流出した話をするのはこれで2回目だな。。。


あんまり金本位制について詳しく触れないが、これは国家の金保有量と兌換紙幣の発行額を同額にしようとする政策で、イギリスが19世紀に始めた制度だ。

イギリスから見たらメリットが大きかったのだが、結局、世界経済の発展と共に通貨発行額が大きくなってきた事によって終了している 】

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辛抱強く読んでいただき感謝する。


以上、ここまで長々と史実と感想を並べてきたが、日本が震災を機に奈落の底に落ちていくのがご理解いただけたのではないだろうか?

ただし本格的に奈落に落ち始めるのは満州事変からと言えるだろう。

何故なら、例えばスペインかぜも世界恐慌も、時期や程度の差はあっても世界的に起こった事であり、皆さんお互い様と言えるのに、満州事変以降は明らかに違っており世界が敵になっていくからだ。


ポイントは関東大震災をきっかけとした政府と民間、つまり日本の金融と財政が、震災恐慌・昭和金融恐慌、世界恐慌・昭和恐慌と4連続で打撃を受け続けたという事実だ。ダウン寸前なのに、まだ打たれ続けるボクサーのようなものか。

何もしなければノックアウトは近い。


そしてこのような危急存亡の折に有効な対策を打てない政治家たちの無能ぶりに業を煮やした軍部が、国民を食わすために武断政治と大陸進出という手段に出るが、これに便乗したのが新聞をはじめとしたメディアだ。


特に朝〇新聞は満州事変以降はリベラルや反戦の看板を自ら降ろし、軍部迎合一色に染まっていき、1930年代後半からは近衛文麿の戦時政府を積極的に支持するに至った。

具体的には五・一五事件の実行犯たちの事を「赤穂義士」のごとく礼賛し、支那事変・日中戦争時には中国を懲らしめるという意味の「膺懲支那(ようちょうしな)」を前面に押し出して、主戦論を主張する軍部の御用新聞として君臨し、更に日独伊三国同盟締結時においても「バスに乗り遅れるな」と騒いだ。

地獄行きのバスだったにもかかわらず。


大東亜戦争においては毎●新聞や●売新聞といった他紙と同様の戦争翼賛報道を行い、国民を地獄へと誘導し大本営発表をそのまま垂れ流した。

そして戦後は何事も無かったかの如く振る舞い、一転して左派の御用新聞となった。

こんな不名誉を新聞社の皆さんに与えないためにも、普段からよく意思疎通をしなくてはいけないな。


それはともかく、史実の恐慌に対する策としては今の段階で潤沢な資金を市場に回し、震災恐慌と昭和金融恐慌が起こらないようにして、悪い流れとならないようにする事が肝要で、震災恐慌が起こらなければ昭和金融恐慌も発生しないというシナリオがベストだ。

しつこいが、そのためのロスチャイルドからの10億円の無利子融資だ。

そして次に世界恐慌と昭和恐慌のセットに備えるという二段構えの対策を取ろうと思う。


史実においてもそうだが、政府は既に日露戦争遂行の為に外国から債権という形で多額の借金をしている。

そしてこの債権の金利は昔も今も「複利」であるという点には注意を要する。

日本人は計算が得意なはずなのに、この複利計算が苦手な人が多い。

これは20世紀後半からの教育に問題があって、大正時代の日本人はこれをほぼ全員が理解していた。

現在の教科書にも

「複利法とは一定期毎に利息を計算して元金に繰入れ、この元利合計を次期の元金とする法なり。

(元金)×(1+利率)(期間)=元利合計

但し利率は利子計算期の利率、期間は利子計算期の数とす。」


と簡潔に説明されていて、複利で預金や借金がどのように大きくなっていくのかを直観的に理解する方法に「70の法則」がある。

これは複利でお金を借りた(預けた)場合に、お金が2倍になるのにかかる年数を概算で求める手法である。具体的には、


・金利が5%以下の場合

     70÷金利=2倍になる年数


・金利が5%より高い場合

     72÷金利=2倍になる年数


という式で表される。


つまり、金利が2%であれば、借りた金額の元利合計が倍になるのは、35年後ということだ。6%であれば12年後になる。

よって、史実においてモルガンやロスチャイルドから集めたという、多額の借金の支払いも加わって財政は大変なことになったのは容易に想像できるだろう。


さてここからが本当の勝負だな。

父や高橋蔵相とよく打ち合わせを行って、まずはこの震災恐慌を可能な限り小さな傷で済むようにしなくてはいけない。


そうでなくてはとても世界恐慌に対処できないから、それまでに体制を整えよう。

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