第52話 ユトランド沖海戦

1916年5月18日 


遣欧艦隊はスカパ・フローを根拠地として、英艦隊との連携訓練を行いつつ待機していたが、ドイツ側の大規模な出港を察知して、にわかに慌ただしさを増していた。

日付は違うものの、これが後世「ユトランド沖海戦」(昔は「ジェットランド諸島沖海戦」、もしくは「スカゲラック海峡海戦」とも言われていた)と呼ばれる戦いになるだろう事を悟った俺は、歴史の証人となることに武者震いを覚えた。


出撃したドイツ艦隊の総数は史実より多い120隻。

これはきっと日本の増援に対抗する為だろう。

一方のイギリス艦隊は史実通りの150隻に、遣欧艦隊40隻が加わり190隻となった。

もちろん世界の歴史上、最大規模の海戦だ。

史実ではイギリスの戦術的敗北・戦略的勝利、トータルして痛み分けと評価されるが、今回はどうなるだろう。


この状況下で我々遣欧艦隊は、本隊の戦艦部隊とは別れて、ビーティ中将率いるイギリス巡洋戦艦部隊と連携しつつ、先行してくるであろうと予想されるドイツの巡洋戦艦部隊と交戦する計画が立てられた。

え?ビーティ中将の艦隊と連携するの??

うーん嫌な予感がする。

口には絶対出来ないけれど、実に不吉で全く喜べない。

史実においては、このビーティ中将率いる巡洋戦艦部隊はドイツ巡洋戦艦部隊と交戦して壊滅的損害を受けるのだが、今回は大丈夫だろうか?


ここで何故、両軍とも戦艦と巡洋戦艦をわざわざ分けるのか不思議に思われるかも知れないが、理由は簡単で、双方の速度が全く違うからだ。

戦艦は装甲が厚く、鈍重で、一方の巡洋戦艦はその名の通り速度が命!みたいな所があるから、同じ艦隊運動が出来ず、同一行動のメリットが無いからだ。

そうか。よく考えたらビーティ中将と組まされるのは必然だったじゃ無いか。

迂闊だった。俺のバカ!


そんな俺の心配をよそにノルウェーの南端からユトランド半島に向かって索敵をしつつ南下していると、遂にドイツ巡洋戦艦部隊を発見した。

隊形的には我々よりイギリス側が先行しており、遣欧艦隊はイギリス艦隊の東側1万メートル程後方を進んでいたから、発見したのはイギリス側が先だった。


海面状況は北海にしては風も緩く、かなり穏やかだったが、その代わりに薄い霧がかかりつつある状況だった。


俺は主計士官だから海戦の間はヒマとなる為、主に戦闘記録を作成する役目を仰せつかって「榛名」の艦橋に詰めていた。

砲術士官である有栖川殿下も当然艦橋にいて、俺の横に立っていてる。


「近衛さん、頑張りましょう!」


と言ってくれたので俺も


「厳しい戦いになるかも知れませんが全力を尽くしましょう」


と返した。

心の中では不安で一杯だったのだが。

よりによって初陣でドイツ巡洋戦艦部隊と交戦するなんて悪夢だ。


そんな俺の焦りをよそに遣欧艦隊は旗艦「金剛」を先頭に8隻で単縦陣を組んで進んでいた。

「榛名」は「金剛」に次ぐ2番艦として航行していたから、敵の姿を比較的早く視認できた。

敵艦隊も単縦陣で航行しており、イギリス艦隊と最初に接触する位置にあったので遣欧艦隊からは距離が遠く射程外だった。

艦橋の雰囲気も緊張感に包まれており、俺の隣では有栖川殿下がやはり緊張した面持ちで敵を凝視していた。


この時の戦力はドイツ艦隊が7隻の巡洋戦艦を主力としており、イギリスが6隻、日本が8隻の巡洋戦艦が主力だ。

そして両軍はそのまま向かい合う形で接近していき、午前11時過ぎに英独両軍は距離1万4000メートルで交戦を開始した。

日露戦争時の交戦距離は大体6000〜8000メートル前後が多かったが、主砲の口径が大きくなり、また仰角も上がった事により、射程距離が劇的に伸びたから、これまでの常識が通用しない戦いでもあった。


そしてやっぱりというか史実通りというか、イギリス側の劣勢が際立ってきた。


これはドイツに比して風向きなどの諸条件が悪く、命中率がよろしくないというのも原因だが、その設計思想に根本的な原因がある。

イギリスの巡洋戦艦は概ね以下の特徴があった。

攻撃力→大

速力→大

防御力→中


一方のドイツ巡洋戦艦の基本設計思想は違う。

攻撃力→中

速力→大

防御力→大


以上のような違いがあって、もちろん設計がイギリス担当であった「金剛」型もイギリスと全く同じ思想で建造された。

つまりイギリスの巡洋戦艦(以下面倒なので巡戦)は攻撃力はそのままに、装甲を削って船体重量を軽くし、速度の優位を確保しようとしたのに対して、もともとイギリスに対して数の上で劣勢だったドイツ側の巡戦は、少しでも損害を減らそうとして主砲の口径は小さくとも防御力、生存確率を上げる方向で設計したということだ。

良いか悪いかの比較では無いのだが、結果的に今回「も」イギリス艦隊の分が悪かった。


類を見ない程の遠距離交戦であったこともあって、双方の主砲弾は大きく放物線を描くように相手側の上に降り注ぎ、極端な表現をするなら真上から相手の弾が落ちてくるような状況となった。

ここでイギリス側巡戦の水平装甲の薄さが裏目に出て、易々と装甲を破られることで弾火薬庫に直撃を許し、主力の巡戦6隻のうち5隻が弾火薬庫の誘爆によって次々に一瞬で爆沈して波間に消えて行った。

俺は史実として知識があったから特別な驚きはないが、他の幕僚たちの衝撃はとてつもなく大きかったみたいだ。

イギリスのロイヤル・ネーヴィーは世界最強だと今の今まで思ってきたし、イギリス海軍を師匠にして日本も海軍を建設してきたのだ。

それが目の前で崩れ去ろうとしているのだから、その衝撃の大きさは計り知れないものがあっただろう。

そしてこのままだと遣欧艦隊まで全滅してしまうのではないか?と本気で思ったのではないだろうか。


イギリス艦隊とは距離が離れていた遣欧艦隊には被害が無かったものの、形勢の不利を悟った加藤司令長官は一旦反転して、英独双方から距離を取って仕切り直しを図ったが、ドイツ艦隊は混乱した英艦隊は放置しても脅威となり得ないと判断した為か、遣欧艦隊を追撃する姿勢を見せていた。

この段階で霧が少しずつ濃くなってきて、日独双方が一時、相手を明確に視認しづらい状況になった。


艦橋内の雰囲気はお通夜みたいに静まり返っており、誰もが顔面蒼白だ。

俺も恐怖で震えていたのだが、イギリス不利の戦況が予想通りだったからか、天啓とも言えるものが閃き、その内容を隣にいた有栖川殿下にささやきかけた。


「殿下、霧も濃くなりつつあって、波も穏やかなこの状況で機雷は使えませんかね?」と。


有栖川殿下は俺の言葉を聞き、一瞬硬直したが、すぐにハッとした表情になった。

こういった場面では俺は主計課だから意見具申のラインに無いが、砲術士官の有栖川殿下なら可能だ。

そして殿下の意見具申を了とした「榛名」艦長を通じて、艦隊司令部への意見具申となり、司令部から巡洋艦・駆逐艦で編成される水雷部隊へ、いまだに秘密兵器扱いとなっている連携機雷と、新開発の一号機雷の敷設が命令された。

一号機雷とは別名「浮遊機雷」とも言う。これは連携機雷の一種だが、200メートル以上の深海でも使用できるうえ、一定時間を過ぎると海底に沈降して機雷としての機能が無効になる特徴があるので、間違って味方に損害が出る恐れが低くなるメリットがある。


この時の彼我の距離は約2万メートル以上あったが、25ノットで接近して来るとして所要時間は30分もない。

この限られた時間と条件の中で、水雷部隊は見事に仕事をやり切った。

日本海海戦における連携機雷の敷設失敗を反省材料として、血の滲む思いで訓練を継続してきた事が報われる日がやってきたのだ。


そして午後1時過ぎ。

敵艦隊はますます濃くなる霧の中、日本側が設置した機雷原にまともに突っ込む形となり、7隻の巡戦全てと複数の巡洋艦に被害を受けて大混乱に陥った。

この機を逃すことなく遣欧艦隊は反転して攻撃を開始し、駆逐艦の魚雷攻撃が成功した事もあって、7隻のドイツ巡戦すべての撃沈に成功し、その他の中小の艦もその殆どを撃沈させることが出来た。


イギリス側残存戦力を指揮下に置き、巡戦部隊を撃滅した後にドイツ本隊を捜索しつつ西へ航行を続けていると、夕刻前に運よく前方に敵を発見出来た。

この時、ドイツ戦艦部隊を率いるラインハルト・シューア提督の本隊は、ドイツ艦隊の北側に位置していたイギリスのジェリコー大将の本隊と激しい砲撃戦の最中であり、ドイツ艦隊の東南側後方から接近した日本艦隊からは、夕刻を迎えて水平線に沈みつつある太陽に照らされて、ドイツ艦隊を明瞭に視認できたが、逆にドイツ側からは夕闇に紛れつつあった日本艦隊を捉えることが難しくなっていた。

この状況下で猛攻を開始した遣欧艦隊により、ドイツ艦隊は日英軍に挟撃される格好となって大混乱に陥り、一気に戦況は日英軍に傾いて、多くのドイツ側艦艇が沈没し、大勢が決した。


その後に行われた夜戦によって更に沈没艦を出した事もあって、ドイツ側の最終的な損害としては出撃した120隻の艦艇のうち実に6割を超える75隻を失い、生き残った艦艇も、その多くが傷ついた事で海軍としての継戦能力を失い、史実と違って制海権は完全に日英軍が制する事となった。


そして翌朝、スカパ・フローに帰投した遣欧艦隊は損傷艦艇の修理をイギリスに依頼した。

遣欧艦隊に沈没した艦は出なかったが、約半数は傷ついており「榛名」も敵戦艦の主砲弾を2発浴びて小破していた。


イギリス側の反応は“熱狂”と表現する以外に無い程に興奮状態だった。

難敵のドイツ艦隊をほぼ完膚なきまでに叩きのめしたのだから当然ではあるが、日本海軍への信頼度は更に増したのは間違い無いだろう。

また、俺の初陣は大勝利で終える事が出来たし、有栖川殿下は功績が極めて大であるとして、賞賛の対象となった。

これで彼の昇進と勲章授与は確実だろう。

殿下は俺にも功績があると言ってくれたみたいだが、正直な話として、俺はそれほど昇進にも興味がないから、あまり騒がないで欲しいと言っておいた。


取りあえずは生き残ることが出来たし、いいんじゃないだろうか。

これで勢いに乗って更にドイツ側の戦力を削ることが出来れば、北海側から直接ドイツ本国への侵攻も可能になるだろうし、そうなれば東西両戦線に与える影響は極めて大きいだろう。

Uボートの基地を叩くことも可能になったし、通商妨害も思うままだからドイツの継戦能力を大きく削減できそうだ。


しかし海の戦いは山場を超えたと言っていいかも知れないが、陸の戦いが気になる。

文麿は無事に頑張っているだろうか?

ロシア革命に巻き込まれたら大変な事になるが。

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