第50話 1915年の状況

1915年(大正4年)となった。


開戦初期におけるドイツの基本作戦計画である「シュリーフェンプラン」は不発に終わった。

これはドイツ陸軍参謀総長を長きにわたって務めたアルフレッド・フォン・シュリーフェンによる計画の総称で、自国の東西に露仏同盟という強敵を抱えたドイツの現状を打破する為の基本行動戦略と言えるだろう。

彼は鉄道の発展によってもたらされた高速部隊移動という、新しいドクトリンにその活路を見出そうとした。

同時にシュリーフェンは、100万規模の軍隊の維持に巨額の費用が必要とされる時代においては、長期間の消耗戦争は不可能であるとも述べている。

そもそも戦争は短期間で終結しなければならなかったのだ。

普仏戦争での勝利の後に当時のドイツ陸軍参謀総長のヘルムート・フォン・モルトケが構想した将来の戦争計画の基本は、東部戦線でのロシアに対する大規模な攻勢と、もう一方の西部戦線における守勢防御だった。

シュリーフェンはこれに対してドイツに実現可能な戦争計画として「シェリーフェンプラン」を立案したとされる。

その計画の本質は、運用可能な軍事力のほぼ全力を開戦初期に、モルトケとは逆の西部戦線での攻勢に集中し、フランスを最終目標にしつつ、ベルギーとオランダに主力をもって進攻するというものだった。

要約すると、まずはフランスを片付けた後に東側のロシアにゆっくり対応しようというものだ。

つまり、東西同時に戦端を開くのは国力から見ても無謀な為、弱いほうのフランスをまず叩くという時間差をつけた各個撃破を狙ったのだ。

しかし、セルビアがロシアに泣きついてロシアが最初に動いてしまったことで、この計画は崩れ、無謀な両面作戦と消耗戦に引きずり込まれてしまった。

もっとも、計画通りにまず西部戦線に全力を注ぎ込めたとしても、イギリスが側面を突くだろうから成功確率は極めて低かっただろう。

露仏同盟はともかくとしても、日英同盟まで敵に回すのは想定外だったわけだ。

そして世界の戦争は全く終息の気配を見せないまま2年目を迎えた。

戦前の予想に反してフランスは強く、逆にロシアはもろかった。


そんな状況のなかで日本はヨーロッパへの戦争に介入する準備を進めている。

史実においての日本にはヨーロッパへ参戦するだけのメリットが無く、国力・経済力が不足していたとされていたが、この世界では国力・経済力には問題が無い。

1月にはロンドン宣言への加入を発表した。

これは日本は他の同盟国に無断・単独で講和しない、最後まで一緒に戦うという決意表明だ。


参戦のメリットという点で言えば、史実の日本は大陸への進出を狙っており、領土を多く保有することがその一番のメリットだが、ヨーロッパに参戦しても領土が増える見込みは無かったから、参戦に消極的だったという事は挙げられるだろう。

大戦中には中華帝国の袁世凱に対して対華21ヶ条の要求をドサクサに紛れて行ったことで、領土的野心を諸外国に疑われてもいる。


しかし、この世界における日本としては、地下資源並びに石油資源と、それらを運ぶ海上通商路の確保が何より重要だ。

よって日本政府・外務省が英仏露に対して、参戦の見返りを領土以外に求める事は当然であり、これには英仏露も受け入れざるを得ない。

自分にはあまり関係の無い他人の戦争に力添えするのだから当然ではあるが。


膠着した東部戦線と不安定な国内事情を抱えて苦戦中のロシアとしては、何としても日本に参戦してもらいたかった為、カムチャツカ半島の森林資源利用と、地下資源採掘権を日本に譲るとした内容の「カムチャツカ条約」を結んだ。


英仏とはイランをはじめとする中東方面の石油利権を日本側にも恒久的に融通することで決着したし、航路の中継点としてシンガポール、セイロン島コロンボ、地中海コルシカ島の無期限の港湾使用権と戦争継続期間における日本側船舶への燃料・補給物資の供給、そしてソコトラ島の永久割譲という条件を呑んだ。


ソコトラ島はアラビア半島と紅海の南、アデン湾の入り口に位置している島で、日本から欧州への補給・中継点として最適な場所にある。

また地政学上のチョークポイントの一つである、バブ・エル・マンデブ海峡を抑える位置にある。

更にホルムズ海峡という別のチョークポイントにもほど近く、海上交通路と石油ルートの防衛という戦略上、極めて重要な位置にあるわけだ。

ここを新たな拠点として手に入れた日本は、さっそくこの島に港湾施設と石油貯蔵施設の建設を開始する。

施設が完成次第、小規模だが駐留艦隊を置く予定だ。


また戦争の拡大により軍需物資の生産と輸送が急増しつつある状況だ。イギリスとしては関係の悪化しているアメリカからの物資に頼るだけでは無く、より遠距離ではあるが同盟国の日本からの物資を優先して欲しがった。

ロシアに対してはウラジオストク、また旅順からの南満州鉄道を使用したシベリア鉄道経由で軍需物資、武器弾薬の供給を史実以上に積極的に行っている。

こうなると日本国内の状況としては好景気に沸くのは良いけれど、生産現場の人員が不足気味となっており、女性の社会進出が進みつつある。

今後ヨーロッパに派遣する兵力にもよるが、更に女性の社会進出が進む事が予想され、見返りが当然必要になるだろうから、ヨーロッパがそうであったように、女性参政権の確立は史実より相当早くなるだろう。


Uボート対策についても触れておこう。

ドイツは開戦直後から優勢なイギリス海軍による海上封鎖に悩まされていた。

開戦4か月目の1914年末頃には食料はもちろん、北海経由で運ばれてくるほとんど全ての物資がドイツに届かなくなる。

それに対してドイツはイギリスが海上封鎖の理由を北海全体が交戦地帯であるとしたことを根拠に、その報復としてグレートブリテン島及びアイルランド島周辺を交戦地帯であると解釈し、潜水艦による史上初の通商破壊戦に乗り出した。

後にこの作戦は、民需用や中立国船籍も含めた商船などについても攻撃目標とする、無制限潜水艦作戦に発展し、それまで戦場にならなかった後方を巻き込んだ。

この主役がドイツ潜水艦、通称「Uボート」だった。

水上戦闘艦の数でイギリスに劣るドイツは、このUボートによる通商破壊戦に国家の命運を託した事になる。


この結果、1915年5月7日にアメリカ人が多数乗るイギリス客船「ルシタニア号」を撃沈したため、米独関係が悪化。アメリカの参戦を恐れたドイツは無制限潜水艦作戦を一時中断するが、この戦法によりイギリスは大打撃をこうむった。

イギリスはたまらず「本格参戦の準備中である事は承知しているが、Uボート対策は先に協力してほしい」との要求を日本に打診してきた。


それに対して日本は訓練の終了した新型巡洋艦及び駆逐艦をヨーロッパへ派遣、同時に日欧間の航路防衛、特に地中海と北大西洋の航路防衛に乗り出す。

更に追加処置として、既存の駆逐艦にも緊急措置として爆雷投下装置を装備し、輸送船の護衛に付けて送り出した。

輸送船側も長距離航行となるから、単独で航行するよりも複数で航行したほうが何かと便利なため、自然と船団を組んでの航行となり、結果として護衛の効率が上がった。

欧州ではいまだ単独航行が基本だったのだが、日本は早くから船団航行を採用することにより、Uボートによる損害を偶然ではあるが、かなり低く抑えることに成功していた。

これを見た他の連合国側も船団航行に切り替え、史実よりも被害を抑える方向に向かっていった。

また、Uボート対策で言えばイギリスはこの頃から曳航式の水中聴音機を試作して投入しており、日本もそれを購入して艦艇に装備した結果、Uボート発見に効果があった為、独自の聴音機開発に乗り出しているが、この戦争には間に合わないだろう。


一方で小型艦のように比較的早く訓練が終了したのとは対照的に、大型艦はそうもいかなかった。

俺も「榛名」乗務となって日本近海で訓練中だ。

しかし、俺は一応士官ではあるが、訓練学校を卒業後は任務らしいことをやっておらず、いわばペーパードライバーみたいなものなので苦労が絶えない。


奇しくもこのフネには有栖川宮栽仁(たねひと)王が乗艦している。

面倒なのでこれから有栖川殿下と呼ぼう。

今まで触れていなかったが、実はこの人と俺は従兄弟の関係となる。

母同士が姉妹だったのだ。例の入院騒ぎがあったこともあって俺に対しては特に親しく接してくれる。

彼は砲術士官で、虫垂炎が癒えた後は海軍士官学校を出て、海軍入隊後は更に砲術学校で本格的に学び「榛名」に配属となった。

その後、俺とは違って真面目に軍務についているから、既に一人前の海軍士官と言えるだろう。

彼が居てくれるおかげで俺が目立たなくて済むから少し楽になった。

海軍本部勤務の時は周囲が気を使っているのがあからさま過ぎて気分が滅入ることも多かったから。

その分、艦長の船越大佐は大変だろう。厄介で扱い辛い部下が2人も居るのだから気の毒ではある。

大きな艦だから頻繁に顔を合わすわけじゃないが、会うと辛い任務を一瞬忘れることが出来るから助かっている。


それはともかく、「榛名」は僚艦の「金剛」、「比叡」、「霧島」と第二艦隊第三戦隊を編成しての訓練を行っている。

因みに他の金剛型の4隻は第四戦隊を構成していて同じく猛訓練中だが、全体の実戦投入は来年となりそうだ。

同じく新型巡洋艦と駆逐艦の追加建造も進んでおり、海軍全体の人員が大幅に増えている現状だ。


ヨーロッパにおいては陸上の戦いが激しさを増しつつも一進一退を繰り返しており、ここまでの死傷者数は連合国側も同盟国側も想定を超えて積みあがりつつあり、もはや双方ともに本国のみならず植民地からも大量の兵士を徴発して投入している現状となっている。

双方の捕虜の数も膨大だ。


戦場となってしまった戦線近くの街は見るも無残な状況と聞く。

それだけで無く戦争が長引き、無計画に兵士を徴兵して戦場に送り込んだため、生産活動に支障をきたしたことによって、どちらの側の国民も生活は苦しくなっていった。

鉄道輸送も軍需品優先となったために民需品の輸送が滞ったという事もあり、特に都市部においてそれは酷くなった。

無限の我慢比べの状態が続いており、とにかく早く決着させないといけないのは、当事者全員分かっている状況だが戦争はまだまだ続く。

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