第6話 歌舞伎町探偵1

 かつて不夜城と呼ばれた街がある。

 名は新宿歌舞伎町。

 大人向けのナイトスポットがよく知られている人気の歓楽街であるこの町は2024年になった今でも多くの問題をはらんでいる。 

 その歌舞伎町の中でも一際異彩を放つ建物――それが歌舞伎町タワーだ。東京都新宿区歌舞伎町一丁目に位置するこの複合高層ビルは地上48階地下5階建て、高さ約225 m。都市再生特別地区に指定されているものの、すぐ近くにはかの有名なトー横が存在し、お世辞にも治安がいい場所とは言えない。

 しかしそれも夜のこと。平日の昼間は平和な者で、精々広場に数人の浮浪者が横になっている程度。

 そんな歌舞伎町タワーを見上げる形で、写真を一枚とる。

(……我ながらいいアングルだ。執筆の資料になる)

 本来であれば一眼レフなどを使用して質のいい写真を取りたい所であるが、生憎今日の『取材』は建物の写真を取ることではないため、持ち合わせていない。

 最悪の場合、荒事に巻き込まれる可能性があるとの忠告を友人から受けた為、高価な一眼レフはあえて持ってこなかったのだ。

 まあ最近のスマホのカメラモードは意外と馬鹿に出来ないぐらいに高性能だ。代用品としては十分な成果は期待できる。

(一階はカフェのチェーン店か)

 Wi-Fiが完備され、コンセントも用意されている為に僕も日頃からよく執筆のついでに利用する。夏場の唸るような熱気を感じる今日のような日は特にだ。

(そういえば、新作のフラッペまだ呑んでなかったな)

 条件反射的に足を向けたい所だが、生憎今日の目的地はそこではない。

 誘惑を振り払い、僕は建物の外に準備されたエスカレーターに乗り、2階へ移動した。

(初めて来たけど、やっぱ派手だなここ)

 スマホを操作してネットにアクセス。事前にブックマークを付けておいた歌舞伎町タワーの公式サイトを開き、フロアガイドを確認する。

 2階は新宿カブキhallと呼ばれるフードホールになっているそうだ。

 なんでも「祭り」をテーマに食と音楽と映像が融合した全10店舗もの店が並んだこの食菜街は北は北海道から南は 九州、沖縄、お隣の韓国まで各地の「ソウルフード」が集結しているのだそうだ。

(せっかくだし、取材後にここで食事をするのも悪くないかもな)

 珍しい食事もまた小説のネタになる為、珍しい店を見つけたら取り合えず突撃してみようをスタンスとしている身としてはこれは見逃せない。

 それに加えて毎晩様々なパフォーマンス や イベントをステージで展開し、新たな交流の場所にする狙いがあるのだとか。

 エレベーターが終わり2階に到着すると、入口を見て若干笑ってしまった。

(流石は歌舞伎町と言ったところか)

 夜の街に相応しい派手さだ。午前の時点でこれなので夜はもっと煌びやかに映るのだろうと、入口の写真をカメラで撮影しながら思っていると――



「山岸 明人さん……ですね?」



 誰かに背後から名を呼ばれた。凛とした少女の声。振り返ると、先程入ってきた入り口に1人の女の子が立っていた。

 10歳ぐらいの子供だろうに、やけに目が惹かれる少女であった。

 雪のように白い肌に肩まで届く黒の髪は飾り気のないヘアゴムでツインテールに纏められているが、子供とは思えない程に手入れが行き届いており、艶やかだ。着ているのは白のワンピースで艶やかな黒髪との対比となっており、ひどく絵になっていた。

(ずいぶんとかわいい子だな)

 大きなトートバッグを肩に掛けており、文学少女という言葉が似合うほど落ち着いた雰囲気を纏っており、ミステリアスな魅力まで感じさせる。

 そして何よりの目を惹く特徴が――

(オッドアイか? 珍しいな)

 口には出さないが、内心で驚く。少女の瞳は左が金色。右が黒色であった。

 虹彩異色症とも呼ばれるその症状は、日本人だと非常に稀で確か0.0001%の確率だったはずだ。

(滅多に見れるものじゃない。写真撮りたいな)

 いや落ち着けと、流石に自制する。

 相手は女性でしかも子供だ。そんな相手に突然写真を撮らせてほしいと言う奴が、普通に気持ち悪いと思うし、社会的にアウトな行動だと思うだけの常識と理性は持ち合わせている。

(後でこっそりスケッチしよう)

 密かに心に誓った。それもそれで色々危ない気はするが、こんな小説のネタになる事を何もせずに見逃す事は僕には出来なかった。 

「あの。山岸明人さんであっていますか?」

 反応がない僕に不安を感じたのか、再度尋ねてくる少女に僕は遅れて頷く。

「うん。山岸明人は確かに僕だけど――」

 口にしてからはて? と大事な事に気が付いた。

「君は一体誰なのかな?」

 そういえばあまりにも小説のネタとして美味しい子だったせいで、この子が何者なのかという疑問を二の次にしてしまっていた。

「申し遅れました。私の名前は天野 瑠合。今日あなたの取材を受ける天野 百合の娘です」

 子供とは思えない礼儀正しさの少女は、妙に様になっている一礼を行った。

「ああ! 君がの?」

 天野 百合。それは今日の取材相手である『探偵』の名前であった。

「はい。母からあなたの案内を任せられています。お手数ですが、私の後に着いてきて頂いてもよろしいでしょうか?」

「勿論」

 僕はすんなりと少女の申し出に了承した。少女の事を疑いもしなかった。子供の悪戯にしては手が込みすぎているし、何より少女には常人とは違う雰囲気――僕の言葉で表現するなら『深み』があった。

(これはこれは――)

 職業柄、色々な人間に『取材』を行う必要があるため、多種多様な人間と出会ってきたが、少女の持つ雰囲気はこれまで出会ってきたどの人間とも違った。

(かもな)

 内心で早くも今回の『取材』の手応えを感じつつ、少女の後に続いた。

 前の彼女の髪が揺れる度に山梔子の薫りが鼻腔を擽る。

「……山岸さん。1つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ん。何かな?」

「東 圭宛に母が取材の提案を手紙でそちらに行った事は聞いています。しかし、娘の私が言うのもなんですが、母の手紙を胡散臭くは感じなかったのですか?」

「感じたね」

 胡散臭さの塊みたいな内容だった。

「でもだからこそ、都合が良かったんだ」

「と、いうと?」

 うーん。子供と話している感じがしないほどにしっかりしているなこの子。

 探りを入れるような目を向けてくる少女に、下手に意図を隠すことは悪手であることを感じた僕は正直に答えることにした。

「うん。僕が助手をしている先生――東 圭先生はミステリ―作家でね。その次の作品の主人公の探偵のモデルとして、君のお母さん――歌舞伎町探偵を自称する天野 百合さんはうってつけだと東先生は思ったんだ」

 だから僕はわざわざ新幹線を使ってまで、新宿に取材にやってきた。

 手紙の信じられない内容の真偽はともかく、天野 百合という人物の胡散臭さの『リアリティ』を収集するために。

「東 圭先生……私も知ってます。ミステリー作家の中でも伝説的なお人です」

「おお。流石は東先生だ。君ぐらいの年代の子にも知られているなんて。先生の作品は読んだ事あるのかな?」

 正直に言うと、YESという答えは期待していなかった。いくら大人びているとはいえ相手は小学生高学年程度の年齢に見える子供だ。本格ミステリ作品である東 圭の作品を読んでいる訳がない。

「はい。全作読んでます」

「……へ?」

 これには流石に素で驚いてしまった。

 何故なら東先生の作品数は――

「1985年の江戸川乱歩賞を取ったデビュー作から2024年現在に至るまでの作品全90作を全部読ませていただきました」

 少女はとんでもない事をさらりと言ってのけた。

「……まじ?」

「まじです」

「……東先生42番目の作品は?」

「嘘をもうひとつ  一郎シリーズ6弾目の短編集ですね」

「東先生の72番目」

「シルバージャックです。スキー場シリーズの1つです」

「76番目」

「ヴェネツアン・ホテル。ホテルシリーズの一作目でのちに映画化もされました」

「すごいな君」

 心の底から称賛の声が出た。この子と同い年ぐらいの時の自分も沢山の本を読んではいたが、それは色々なジャンルの本であった。

 この子と同い年ぐらいの頃に同じように一つのジャンルに絞って本を読めたかち聞かれたら、答えは間違いなくNOだ。

「ミステリーが好きなの?」

 そこまでの熱量で読書が出来るのであれば、ひょっとしたらミステリー好きなのかもしれない。

 そう思って尋ねたのだが、意外にも少女は首を横に振った。

「いいえ。あまり好きではありません」

 おや、そうなのか。だとしたら逆に凄いな。好きでもないジャンルの本を読む苦痛は僕にも分か――



「でも先生は好きです」



「え?」

 思わず足を止めてしまった。

「先生って、東先生が?」

 最近の子供は幼い時から推し活を既に始めていると聞いた事はあったが、本当にあったのかと驚いていると、少女は振り返り、僕を見て喜びとも苦笑ともつかない曖昧な微笑みを浮かべた。

「私、ファンなんですよ?」

 その表情はひどく大人びており、一瞬目の前の少女が女児ではなく女性に錯覚させる程であった。

 何かを言おうと思っていたが、

「それでは母の所にご案内させていただきます」

 そう告げると、天野瑠合は入口の自動ドアにさっさと歩いて行ってしまった。

「ああ。待って!」

 慌てて後を追いかけ、少女の隣の位置で落ち着くと、その横顔を覗き見た。

「……!」

 僕の視線に気が付いた天野瑠合はどういうわけかぷいっと顔を反らした。

(照れたのか?)

 拒否による行動ではなく、照れ隠しによる行動に見えたのは、自分のそうあってほしいという願望も混じっていたのかもしれない。

(……成程な)

 そんな少女の姿を見て、僕はふと一つの事を己の心中で決めていた。

(東先生の次回作のヒロイン、ミステリアスなオッドアイ美少女はありかもしれない)

 硬派な東先生のミステリー作品のヒロインは基本的に成人した女性だ。

 美女は出ても美少女は出ない。それが東先生の作品のこれまでのお約束であった。

 しかし、今度の作品ではそのお約束を破ってもいいかもしれない。

 そう思わせるだけのキャラの元となるモデルに出会えた。

 そう確信させる程の人としての『深み』が僕の半分も生きていないであろう少女は既に保持していた。

(これは、この子から目が離せないな)

 もし頭の中を覗かれたら確実に警察にしょっ引かれる事案と勘違いされそうな事を考えながら、僕は傑作が出来そうな予感に、上機嫌で少女の隣を歩くのであった。

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