第5話 プロローグ 山岸 明人4
蒼龍会若頭 郷田 善治。
まだ40代前半という若さでありながらも、その地位にまで昇りつめた実力は本物だ。
事実、他のヤクザにはない『凄み』を感じさせた。
「俺の事もちゃんと調べがついているのか」
郷田善治は懐から紙製の煙草を取り出すと、それに口に咥える。
すると、近くにいた男が自然な動作でポケットからライターを取りだし、若頭の咥えた煙草の先端に火を点けた。
「本当に何者なんだよお前」
紫煙を口から吐き出しながらの郷田善治の問いかけに対する僕の答えは一つであった。
「小説家の助手です」
それを聞いた若頭はくくくと喉の奥で笑う。
「今どきの小説家の助手って、ここまで荒事になれてるもんなのか?」
「大体そうなんじゃないでしょうか」
自分以外の小説家の助手をしている人間に会った事がないので、断言はできないが。
「そうかい……おい、伸びてる阿呆どもを回収しろ。帰るぞ」
郷田善治はそう言いながら、手で合図を送る。すると周囲の部下が地面に転がっていた二人のヤクザさん達を立ち上がらせ、そのまま撤収を始めた。
「カシラ!?」
不満の声を上げたのは強面さんであった。
「冗談じゃないですよ! ここまでやられて泣き寝入りしろってのか!?」
「やかましい。聞こえてなかったのか? 帰ると言ったんだぞ俺は」
「ケジメはどうするんだケジメは! ここまで好き放題にやられて、黙ってるなんて筋が通らねえだろう!!」
「ケジメねぇ」
郷田善治は鬼気迫る強面さんからの怒声にも全く動じる様子はない。
むしろ煙草の紫煙を吸い、肺いっぱいにニコチンを貯める余裕すら見せつけた。
「それならそこの自称小説家の助手は既に見せているぞ?」
「は?」
うーん。自称ではなく、紛れもない小説家の助手なのだが。
(保険が
どうやら事前に張った予防策が上手く機能してくれたようだ。
「今朝方、俺の口座に金が振り込まれていた。100万円だ。詳細は取材費――だそうだ」
「取材費? まさか――」
「はい。僕ですね」
とあり蒼龍会の関係者口座には事前に取材費を振り込んでおいた。取材費と銘打ってはいるが、ようは迷惑料の先払いだ。決して安くはない金額だが、リアリティのためには必要経費だと思っている。
「誤って不法侵入した堅気の男が詫びとして100万円の金を支払って手打ちにした。筋は通っている」
「でも兄貴!」
「分かってないな」
「これは既に確定事項で、親父も了承済みだ。おめえの意見なんざはなっから聞いてねえんだよ」
「!」
今の世の中なら問題視されそうな発言だが、極道の世界では普通なのだろう。事実、『親父』という名前が出た途端に、あれだけ興奮していた強面さんが大人しくなった。
「堅気の奴にボロかすにやられたてめえらの失態も不問にしてやる。何か不満があるなら言ってみろ」
「……ありません」
眼光と迫力。後は持ち前の凄みで郷田さんたちは部下のヤクザを黙らせた。
やはり大した人だ。
(……概ねプロット通りかな)
事前に想定した通りの展開に、内心で安堵する。
ただの堅気に不法侵入された挙句、組員が返り討ちにあった事など面子で生きているヤクザにとっては致命傷だ。
外部に漏れる可能性を少しでも下げるためにも、警察に相談すらしないだろう。
取材の穏便な完了。僕の目的の大半はこれで完了した。
(……あとは)
取材ついでの
そう思っていると――
「お前ら、先に帰ってろ。俺はあの助手と話がある」
「カシラ!?」
意外にも郷田さんがそんな事を言い出した。
「護衛もつけずにあいつと話すなんて危険です!」
当然困惑したのは彼の部下だ。大事な若頭と危険人物(相手から見たら多分)の僕を二人っきりにするなんて到底容認できる事ではないだろう。
「危険? 馬鹿言うな」
僕を見て、善治は皮肉のこもった笑みを浮かべて見せた。
「はなからそいつに敵意はねえよ。いや、そもそも俺達は『敵』という脅威とすら見られていないんじゃないか?」
「あはは。ノーコメントで」
正直に話すと色々と角が立ちそうなので僕は言葉を濁すことにした。
「しかしカシラ!」
「くどい」
郷田さんは尚を食い下がろうとした部下を一言で一蹴した。
「失せろと言ったんだ。お前たちの返事はなんだ?」
「……分かりました」
これ以上は怒りを買うと判断したのだろう。ヤクザ達は若頭に一礼をすると路地裏から離れていく。
数分も掛からない内に、あんなにも人気のあった生活道路は僕と郷田さんの二人だけになる。
「さて……」
部下たちが十分に離れて人の気配がなくなった所で、背後を一瞥した後に郷田さんは口を開いた。
「お前の本当の目的を言ってくれ」
それは部下たちが周囲にいない為か、先程よりもやや気安い口調であった。
「取材ですよ」
なので僕もほんの少しフランクに返す。
「とぼけるな」
しかし気を許された訳ではないようで、僕の返答に対して若頭は持ち前の威圧と眼光を遺憾なく発揮してきた。
「俺の口座は組の為の物じゃない。俺が個人で使っている口座だ。組の人間どころか、ほとんどの人間が存在すら知らない」
「お前、どうやって調べた?」
再び煙草を口に咥えた郷田に対し、僕は小さく肩をすくめて見せた。
「別に調べたわけじゃないですよ」
ミステリとかなら、ここで重要な伏線などを華麗に回収し、ネタ晴らしをする所だが、生憎ここは現実。
非常に単純な答えしか返せない。
「
「!? お前、お袋に会ったのか?」
「さて、なんのことでしょうか」
僕が会ったのはただの息子想いの母親であるオバさんだ。
「ですが、老婆心ながら一つ言わせて頂くと、息子想いの素敵なお母さんをお持ちなのですから、もう少し親孝行しても罰は当たらないと思います」
「? 何を言って――」
「お母さん。もう長くないですよ」
「!?」
「本当に子ども想いのお母さんです。息子に心配をかけたくないからとステージ4の胃がんの事を黙っていたようですよ」
母の身を案じているのか、郷田さんの顔が思案顔になる。
その顔は奇しくも、何処かのヤクザを息子に持つ余命幾ばくかの母親の顔と瓜二つであった。
(親子はやはりどこか似る)
それは当たり前の事ではあるが、今回の取材で一番価値のあるリアリティの獲得だ。
「直接会いに行ってこれからの事を話し合うぐらいしても罰は当たらないとは思います」
「……無理だ」
「若頭の俺が不在の隙なんて見せたら黄虎会の奴らが黙っていない。抗争寸前なんだぞうちは」
承知しいている。抗争寸前であること。
そして郷田善治が人一倍責任感が強い人であることも。
だから――
「ああ。その事なら大丈夫です」
「はあ? なんでそう言い切れる」
隠していても仕方ない為、僕は正直に答える事にした。
「向こうの組にも今日と同じ事をしましたから」
「……は?」
郷田さんの持っていた吸い殻が、手からこぼれ落ちる。
「今、なんていった?」
だが若頭にとってはそんなことよりも、僕の言葉の真意を確かめる方が重要なようだ。
なので僕もきちんと説明する事にする。
「黄虎組のシマにも不法侵入して組の人達にも追い掛け回されて、返り討ちにしました。余程、恥に思ったのか情報を隠されてあなた方の耳には入っていなかったようですがね」
嬉しい誤算だった。おかげ普段と同じ程度の警備しかしていない蒼龍会の屋敷内に簡単に侵入する事が出来たのだから。
「なので向こうは今、こっちに襲撃する暇なんてないです。自分達の失態の火消しで大忙しですから。抗争はいずれ起きるかもしれませんが、あなたが里帰りするぐらいの時間は稼げたはずです」
「お前――嘘だろ? それが理由でここまでの事を?」
「まさか」
それは全面的に否定させてもらう。
自分は小説に出てくるようなヒーローの様な善人などではない。
ただの小説家……その助手だ。
「あくまで取材のついでです」
なので今回の行動もただの好奇心。それだけだ。
おかげで執筆する作品の為のいいネタになった。
「じゃあ僕はこれで失礼しますね」
野暮用も済んだ。ここにいる目的はもう何一つとして存在しない。
(はやく小説を書きたいな)
十分すぎる程のリアリティを得た。後はそれを文章にして書き起こすだけだ。
家に帰るまでなんてとても我慢出来そうにない。手近なカフェに入り早速小説の執筆に入ることにしよう。
「最後に一つだけ聞かせろ」
しかし郷田さんはまだ質問し足りないのか、路地を抜けようとした僕を遮ってきた。
「……はい」
執筆の決意を固めた矢先に呼び止められた為、出鼻を挫かれたようでほんの少しイラっとしたが、顔には出さずに応じる。
「虎の奴らにもちょっかいかけたらしいが、同じだけの金を払ったのか?」
「ええ。実に貴重な体験でしたので、同じく取材費の100万円を」
蒼龍会と合わせて200万円の出費。
事前に想定した金額で取材が終わって良かった。これで帰りは節約を考えずに自らの足ではなく、乗り物を使って帰られる。
「節操のねえ野郎だ」
「筋は通さなくてはいけませんので」
普段筋書きを描いている小説家なら尚更だ。
……まあ、僕は助手なのだが。
「ですが、向こうにはあなたのような凄みがある人はいませんでした。小説に登場するキャラのモデルにするなら間違いなく蒼龍会の方ですね」
「なんだそれ。褒めてるつもりか?」
「これ以上なく」
僕の中では最大級の賛辞であることを理解したのか、「そうかよ」と笑うと郷田は道を空けてくれた。
「お前、俺のところで働く気はないか?」
これには少し驚いた。気に入られる要素など皆無であるはずの僕に、スカウトをしてくるなんて予想すらしていなかったからだ。
「お気持ちは嬉しいですが、僕はあくまで小説家の助手です。それ以上にもそれ以下にもなるつもりはありません」
この表現は適切ではない。
正確には『なれるはずがないし、なってはいけない』――だ。
しかし、もう会う事がない相手には言う必要のない事であった。
「では、失礼します」
今度は呼び止められなかった。
これで心起きなく小説の執筆に移れると足取り軽く路地裏から大通りに出ようとしたその時であった。
スマホの着信音が鳴った。
「……」
またしても執筆の邪魔が入った事に苛立ちを覚えた僕は、スマホをぶん投げてやろうかと衝動的な想いに駆られたが、電話相手には心当たりがあるので何とか怒りを抑えて、スマホを取り出だした。
画面には東 圭の文字が表示されていた。
「……」
この名前を見た時はいつも緊張する。
ヤクザさん達に囲まれた時でさえ動揺一つしなかったが、この名には何時までたっても頭が上がらない。
僕が助手を勤める小説家であり、僕の大恩人の名前であるからだ。
「すぅ」
深呼吸を一つ。
自分の中のスイッチを切り替える。
ここからは『仕事』の話だからだ。
妥協も失敗も許されない。
『仕事』とはそういうものなのだから。
「やるか」
路地裏から大通りに歩き出し、僕は着信ボタンをプッシュし、電話に応じた。
「はい。山岸 明人です」
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