第3話 プロローグ 山岸 明人2

「何がしてぇんだてめえは!?」

「――無論」

 ノートを広げ、ポケットに差していたボールペンを取り出すと、ボタンとなっているクリップ部分を押し、ペン先を展開。

「小説を書くんです」

 そのまま僕はノートの紙面に自らの現在の状態のメモも兼ねた物語を書き始めた。

「……は?」

 何をしているのか分からないと言わんばかりのヤクザさん達に僕はことわりを入れておく。

「あ。僕には気にせずに存分に来てもらって結構です。小説を書きながら相手をしますので」

「「!?」」

 僕としては説明をしただけであったのだが、どうやらヤクザさん達のプライドを刺激されてしまったらしい。

「どこまでふざけてんだてめぇは!!」

「なめんじゃねえぞ!?」

 こちらの行動は挑発と捉えられてしまったようで、二人の男が激昂しながら向かってくる。

(ふざけてはいないんだけどなあ)

 冗談でもおふざけでもなくこれが僕の戦闘スタイルなのだ。

 荒事の最中に小説を書き始めるのも、別に酔狂という理由だけではない。

 その証拠に――

(ああ、

 僕の見る世界はスローモーションになっていた。

 僕に向かってくるヤクザさん達を始めとしたあらゆるモノが、止まって見える。

 これは妄想ではなく現実。

 僕の数少ない特技の1つであった。 

 『ゾーン』

 それはスポーツ選手が究極の集中状態で競技に没頭する時に時間感覚が歪んで、人によっては相手の動きが止まって見えたり、動きの全てが見えるような特別な感覚の事を指す言葉だ。

 俗に言うゾーンというものに僕は小説の執筆を行う事で入る事が出来る。

(始めて入った時は飛び跳ねて喜んだな)

 幼い頃にこの事実に気が付いた時、僕は狂喜した。

 これを活用すればより詳しく、より正確に、その瞬間を味わえるからだ。

 即ち――

(小説に活かせるリアリティの取材がはかどる)

 山岸 明人にとって、正にこの特技は神様からの気の利いた贈り物ギフトであった。

 だからこそ、僕は荒事の際には執筆を敢えて行い、ゾーンに入る事にしている。

 そうすることでその瞬間のリアリティをより深く体験し、創作意欲を意図的に刺激してやるのだ。

 その効果は抜群で、事実僕の手は手元のノートにこの瞬間のリアリティを物語として書き綴っている。

(今日は調子がいい)

 僅か三分程度で早くも1ページが埋まった。

 自分のコンディションの良さに内心で充実感を感じながら、注意深く相手を観察する。

 向かってくる二人の動きは手に取るように視る事が出来た。

(同時に来ている二人の内、僕から見て右側の人の方が少し早い。だが動きが鈍い。重心の動きもやや右寄りだ。元々痛めているのか、ここまでの僕への追跡で左足を痛めたのか)

 視た事をノートに記していると、やはり右の男から動いた。

 僕の腕を掴もうとした男の手の動きもスローモーションのようにはっきりと見えている為、捕まれる手を掻い潜り、膝を相手の鳩尾に入れてやる。

「げぇ!」

 人体の急所に打撃を受けた男は、悶絶しながら地面に沈んだ。

「てめぇ!」

 次に来たのは長身の男だ。身長178cmの僕よりも高い180越えの男。

 身体もがっしりしており、何か運動をしていたのかもしれない。

(……あ、柔道耳)

 見ると、男の耳は腫れているに変形していた。見た目が似ている事から餃子耳やカリフラワーイヤーとも称されるその耳は柔道やレスリング、ラグビーなどのスポーツ経験者に見られる物だ。

(医学的には耳介結手と言うんだっけか?)

 うろ覚えだ。後で調べておかなくてはと、ノートに注意書きを残しながら、

「ごめんなさい」

 僕は長身の男に問答無用で金的を実行した。

「っっ!?」

 言葉にすらならない男の悲鳴。同じ男として大変申し訳なく思うが、仕方がなかったのだ。

 手段を選べるほど僕は強くない。格闘技は小説の執筆の為に大体は齧ったのだが、何一つ極めることは出来なかった。どれも3流、よくて2流程度の半端なものしかないのである。

 なので容赦はしない。痛みの為に股間を両手で押さえて、前屈状態で涙を流す男性の顎を躊躇いなく蹴り上げた。

「っ!?」

 そのまま地面に倒れた男は意識はあるようだが、痛みの為しばらく動かなさそうだった。再起不能と見て問題なさそうだった。

「おおお!!」

 なので最初に地面に見事な顔面ダイビングをした強面さんの背後からの奇襲も落ち着いて対応が出来た。

 半歩横にずれながら再び足を引っかけ、強面さんのバランスを大きく崩す。

「ぎぃ!?」

 結果、強面さんは再度地面への顔面ダイビングを実行してしまったのだ。

 しかし、先程と違う所も存在した。

 「ぼきり」と何かが折れた音があったのだ。

「あ、大丈夫ですか?」

 聞きながら僕は『期待』していた。

 何故なら強面さんは結構派手に顔から行っていたからだ。

 角度と勢いを見る限り、ひょっとすると――

「るせぇよ!!!!!」

 振り返った男の鼻の骨が折れていた。

(グッド!!)

 『期待』通りの展開に内心でガッツポーズを作った。

「鼻折れちゃったんですね!」

「るせぇぇって言ってんだよ! 後、なんで嬉しそうなんだてめぇ!!」

 しまった。顔に出ていたか。

「すいません。不謹慎であると頭では理解しているものの、すごく美味しい展開なので」

「お前は何を言っているんだ?」

 痛みも忘れて真顔で聞いてくる強面さんには本当に悪いと思う。

 しかし鼻が折れた今の強面さんは小説のネタの宝庫であった。折れた花の角度や出血する鼻血の量。これは普段の生活では決して見る事の出来ない。貴重な光景――素晴らしいリアリティなのだ。

「すいません。もっと詳しく調べさせてもらってもよろしいでしょうか?」

 なので全力で僕は収集に入る。

 軽いスケッチは既にノートに書き終えてある。

 しかし小説は視覚だけでは駄目なのだ。一流の小説は五感で見られるようになっている。

 僕の尊敬する『彼』も作中では蜘蛛の味を確認するために、躊躇いなく蜘蛛に舌を這わせていた。

 僕も彼に倣う必要がある。

 つまり――



「鼻血の味と匂いを取材させて下さい」



「――なんて?」

 笑顔でお願いしたが、強面さんはこれ以上ない程に目を見開いて、呆然と聞き返してきた。

 気のせいか顔も真っ青だ。鼻血の影響で体調を崩してしまったのだろうか?

「匂いはまだ分かるが、味ってなんだよ味って! え、まさか――」

「はい。鼻血を舐めさせて下さい」

「!!??」

 今度は顔が真っ青を越えて蒼白になった。

 いや、強面さんだけではない。控えていた他のヤクザさん達もどういう訳か動揺している。

「ちょっとまて!? お前、まさかそっちの趣味が――」

「そっち? ああ、同性愛ですか? いえ、普通に恋愛対象は異性です」

 まあ、小説を書くのが楽しすぎてまともに異性とお付き合いしたこともない恋愛経験0男だが、今は言う必要はないだろう。

「なのでこれはあくまで取材です」

 話す事は十分に話したと思うので僕は強面さんを押し倒した。

「離せぇ!! ぐげぇ! なんて力だ!? 全然、離れねぇ!」

 当たり前だ。なんのために鍛えていると思っている。

「お前ら助けてくれ!! 今ならタコ殴りに出来るだろう!!」

 僕を引きはがす事は不可能と悟ったのだろう。

「……ああ、そうだった!」

「今助けるぞ!!」

 強面さんの助けを請う声に、他のヤクザの皆様がこちらに近付こうとする。

 確かに彼らにとって今はまたとないチャンス。

 強面さんにのしかかるために、今の僕は動きを止めており、素人目から見ても隙だらけだろう。

 囲まれ袋叩きにされたら、流石にただでは済まないだろう。

 だがまあ、それはそれとして。

 気になる事は一つだけだ。

 その事だけははっきりと確認をしなければならない。

 なので顔を上げ、周囲の人達に問いかける事にした。

「他の人の鼻血の味見もさせてくれるんですか?」

 威嚇でも威圧でもなく純粋な質問。

 しかしそれに対するヤクザさん達の回答はなく、それどころか近づこうとした足を完全に停止してしまった。 

「てめぇら!? なにびびってんだよ!!」

「すんません兄貴。こいつ怖いです」

「今気付きました。間違いなく関わったらだめな奴です」

 失礼な。これでもそこそこ常識人だと自負している。このようないける状況でなければ、見境なく奇行に走ったりはしない。

(リアリティの収集が出来るのは一人だけか)

 なので他のヤクザさん達が向かってこないのはひどく残念に思えたが仕方ない。

 今回は強面さんの鼻血のリアリティの収集だけで良しとしよう。

「安心して下さい。ちょっと舌で触れるだけです」

「それが嫌なんだよぉぉ!」

 多分本気で嫌がっているが、ここまで来たなら退くのはあり得ない。

 僕は鼻血舐めを速やかに強行する事にする。

「本当に申し訳なく思います。ですがこれも作品のリアリティのためですので」

「リアリティ!? なんだよそれ!?」

「いい質問ですね」

 リアリティ。

 それは創作物に命を吹き込むエネルギーであり、エンターテインメントそのもの。

 僕の創作者としての人生に大きな転機を与えてくれた特別な言葉なのである。

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