第2話 プロローグ 山岸 明人1

 


「待たんかい我ぇ!!」



 故に、現在僕は極道と呼ばれるヤクザの皆さんから全力の逃走を実行中であった。

「待ちませーん! さっきも言いましたが、僕はただの小説家の助手です! あなた方と敵対している組とは何の関係もない一般人なんですってぇ!!」

 顔に傷があったり、腕から派手な入れ墨が見え隠れしていたりしている男性を先頭に、僕を追いかけてきている明らかに堅気ではない皆様は、この辺り一帯をシマにしている今どき珍しいバリバリの武闘派ヤクザ……蒼竜会の人達だ。

 皆、殺気立っており、捕まればただでは済まさない事を口よりも目で語ってくれている。

 本来であれば市民の味方の警察に助けを求める所だが、生憎今回はその手を使う事は端から不可能であった。

「やかましい! 突然、取材させてくれとかしつこく言って来たかと思うと、堂々と屋敷の中に不法侵入して親父の前に行きやがって!」

 ――そう。先に不祥事を起こしたのはこちらの方なのだ。警察に駆けこめば捕まるのは現時点では間違いなく僕の方だろう。

「いやあ、それに関しては本当に申し訳ない」

 ああするしか僕の目的を果たす方法がなかったとはいえ、結果的に蒼竜会の皆様の面子に泥を塗ってしまったのは本当に申し訳なく思う。 

「てめぇ。本当はうちと敵対している黄虎会の鉄砲玉だろう!? 始まろうとしていた抗争の一番槍のつもりで来たんだろ!! それ以外の目的なんて考えられんぞ!!」

 僕を追いかけるヤクザさんの中でも特に強面の人が唾を飛ばしながら叫んでくる姿は、鬼気迫る表情であった。

「いやあ、誤解ですって」

「だったら何が目的だごらぁ!」

 取り付く島もないとは正にこの事。こちらの弁明は聞き届けてもらえそうにない。

(……穏便に話し合いで解決ってわけにはいきそうにないかな)

 仕方がないとはいえ、蒼龍会の皆様は完全に僕を敵対組織の一員だと思っていらっしゃる。捕まれば、よくてリンチ。悪いと命はないだろう。

(……おや?)

 路地裏に逃げ込んだのだが、離れた前方に二人組の男性が見えた。

 まだ若い男達だ。23歳の僕と同い歳ぐらいだが、露骨に僕を睨みつけてくる所を見ると、通りすがりの一般人というわけではなさそうだ。

 二人は蒼龍会の人間で、回り込まれたと見るのが妥当だろう。

「流石は地元のヤクザさんだ」

 この辺り一帯の地図と地形の内容は事前に頭の中に叩き込み、回り込まれ辛いルートを逃走経路にしていたつもりだったが、相手の方が一枚上手であった。

(地理と土地勘は向こうが圧倒的に上手か……さて、どうしたものかな?)

 強引に突破することも考えたが、これはこれでこの展開は都合がいいので足を止めた。

「はぁはぁ……観念、しやがったか」

 背後を振り返ると、僕を追いかけてきていた三人組のヤクザさん達もまた足を止めていた。っその誰もが汗を流し、強面のヤクザさんにいたっては肩で息をしている。

(無理もない)

 強面さんの年齢はどう見て中年。ぽっちゃりとした見た目からも普段から運動をしているようには見えない。ここまでの追いかけっこはさぞ体力的にきつかったことだろう。見ていると可愛そうになるぐらいに息が上がっていた。

「先程、僕の目的は何か? と尋ねられましたね」

 少しの罪悪感も手伝い、休憩時間も確保する為にも先程の彼からの質問に答える事にした。

「大した事ではありません」

 にこりとコミュニケーションの基本である笑顔を浮かべながら、僕は自分の目的を口にした。



「今のこの状況になりたかったんです」



「「「「「「……」」」」」」

 絶句。その表現が正に適切であろう。

 僕を包囲するヤクザさん達は一人残らず信じられないものを見る目で僕を見ていた。

「……どういう、意味だ?」

 息が上がっているヤクザさんの呼吸が整うのには、まだしばらくの時間が有しそうな為、僕は説明の補足を行う事にした。

「実は僕が助手をしている作家先生の次回作で主人公がヤクザに追いかけられるシーンがありましてね」

 タイトルはまだ決まっていないが探偵が主人公のミステリ物になる予定だ。

「そのシーンの描写を書くために、一回助手である僕が実際に体験しておきたかったんですよ」

「……は?」

 強面のヤクザさんをはじめとして、蒼龍会の組員の皆さん全員が俺を見る目が、今度は珍獣を見るそれになっていた。

「冗談……だろう?」

「いたって真剣ですが?」

 むしろなんで冗談だと思われるのか。これが分からない。

 読んでもらう小説を書く。それが僕の生きる意味であり、目的だ。

 ならばその為に、いい小説を執筆するために取材に命を賭けるなんて当たり前の事じゃあないか。

「……ふざけるな!!」

 強面ヤクザさんは激怒した。

(視線だけで人を殺せる目って、こういうものを言うんだろうな)

 しかし向けられる激情に対して僕は生憎と微塵も恐怖を抱かなかった。

(良いな)

 むしろ感謝している。

 何故なら強面さんの反応は小説のネタになる『美味しい』反応だったからだ。

 普段の日常で殺意すら籠った目で見られるなんて滅多に出来る事ではない。

 なので僕にとっては小説のネタになるリアリティの提供――ご褒美でしかない。

「そんなふざけた嘘で俺達を騙せると思っていたのか!? じゃあ、なにか!? お前はその小説のたかが1話を書くために俺達の組にわざわざ喧嘩を売って、危険を勝ったってのか!?」

「はい。そうですよ」

「!」

 即答した僕に、強面ヤクザさんがややたじろいで見えた。しかし構わず僕は続ける。

「正確には、一話ではなくプロローグの冒頭の導入部分です。ご存知ですか? 最近は序盤にインパクトを読者に与えなければ、読んですら貰えないんですよ」

 読者を喜ばせる、作者の書きたい物を書く。両方やらなくっちゃいけないのが、小説家の辛い所だ。

 まあ、僕は助手なのだが。

「……お前、イカれてんのか?」

 また言われたか。よく言われる為、僕の返しの言葉はするりと口から出た。

「僕なんて狂人としてはまだまだ三流――よくて二流がいい所です」

 尊敬する『彼』であれば、もっと危険な超常的なものにまで首を突っ込んでいるはずだ。

 それに比べて僕が直面しているのは、ただの同じ人間に殺されるの危険でしかない。

 なんの問題にもならない。

「てめえの頭のネジが飛んでいるのはよく分かったよ。なら、死ぬ覚悟も当然出来ているんだろうな?」

「……確かにあなた方には多大なご迷惑をかけてしまいました。その事は本当に申し訳なく思います」

 嘘ではない。本心だ。

 不法侵入はれっきとした犯罪である。決して許されざる行為だし、それに怒る彼らの怒りは正当だ。

「なら――」



「ですが断ります」



「なに!?」

 だがそれはそれとして死ぬつもりは毛頭ない。

 理由? そんなの決まっている。

「死んだら小説が書けませんので。僕は普段通り帰宅して、今回の一件をリアリティとして小説に反映させます」

 なのでと、僕は背筋を伸ばし、腰から頭にかけて一直線になるように腰を曲げる。

「どうか見逃して下さい。この通りです」

 上半身を90度まで倒したお辞儀。相手に心からの謝罪を態度で示すための最敬礼というものである。

「ふざけんじゃねえ!!」

 強面ヤクザさんが殴りかかってくる。

(まあ、こうなるよな)

 流石に簡単に許して貰えるとは思っていなかった為、驚きはなかった。

 罵倒ではなく暴力による返答が来ることも想定済み。

(後ろめたさがある身からすれば殴られてあげたい所だけど――)

 ちらりと自分へと迫る男の拳を観察する。

 殴られるリアリティは十分すぎるほど取材している。

 執筆の参考のために、その手のプロの人から直接顔面を殴ってもらったことすらあるのだ。

 なのではっきりと断言出来るが、強面さんの拳はまるで脅威ではなかった。

 体重を無駄に前にかけすぎているし、拳の繰り出し方にもキレがまったくない。

 控えめに言っても、ただの素人のパンチであった。

(これを受ける意味はないな)

 そう結論付けた僕は拳を横ステップで交わしながら、足を引っ掛けた。

「ぃ!?」

 体重を無駄に前面にかけすぎていた強面さんはそれだけで勢いよく前のめりに顔から地面に激突してしまう。

「てんめぇ!」

 極力痛みの少ない対処方法を選んだつもりであったが、それでも僕の反撃は他のヤクザさん達の怒りをさらに刺激してしまったようだ。

「やっぱりぶっ殺されたいようだな!」

 残りの彼らは完全にこちらと一戦交える覚悟を決めた様子である。

 ほんの少しだけあった穏便に済む可能性はもう何処にも存在しないのを肌で感じた。

「仕方がありません」

 出来れば手荒な事をしたくなかったのだが――

(これはこれで、展開だ)

 何故なら小説の喧嘩の場面のいいネタになるからだ。

「そちらがその気なら僕も『得物』を出させていただきます」

「!」

 得物という僕の言葉に、今にも殺到しそうであったヤクザさん達の動きが止まる。

 彼らの警戒に満ちた視線に晒されながら、僕はいつも携帯している武器をポケットから取り出した。

「……なんだ、それ?」

 ヤクザの一人が訳が分からないと言わんばかりの顔で僕が取り出した『得物』を見る。

「それが、得物?」

「はい」

 これこそが紛れもなく小説家の助手である僕の武器――




「見ての通り30ページのA7ノートとボールペンです」



 物語を書き綴る為の紙とペンであった。

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