第75話

「じゃあ夏向さんだったらどうするんですか?」

「え?」



唐突な私の質問に

首を傾げた夏向さんがもう一度こちらを見下ろす。


どこか困惑の滲むその瞳

目が合って、真っ直ぐ見上げたまま、私は笑う。



「本気で好きな人がいても、ちゃんと好きだって言わないんですか?」



そう笑ったはずなのに

声が微かに震えているのに自分だけが気付く。


昼間の廊下。

友達と話す夏向さんが胸の奥を過る。



“好きな人がいるから”



私の気持ちに応えなかった夏向さんは

初めからずっとももさんのことが好きだった。


一度別れてしまったからって

届かなくったって


その気持ちは簡単に消せないことは、私だって、もう知っている。


だけど。



「……言えないんだよ」



そうどこか寂しそうな目をする夏向さんに

私は思わず首を傾げてしまう。



「なんでですか?」

「なんでって……そりゃ相手に拒否されたら辛いだろ。本気なら本気なだけ、相手に気持ちを打ち明けるのが怖くなる」



私か、それとも自分自身か

何かを嘲るように笑う夏向さんがそうぽつりと呟いて息を吐く。


それを黙って見つめる私に

夏向さんはゆらりと顔を上げると、少し遠い目をして弱く笑った。



「……本気なのは、どうせ俺だけだから」



どういう気持ちで夏向さんが

この言葉を口にしたのか分からない。


変わらず黙り込んだまま何も言えない私に

見限りをつけるみたいに夏向さんはふいと視線を逸らしてしまう。



「お前にも本当に好きな相手ができたら分かるよ」



そう言い残す夏向さんは

私の返事を待たずに、そのまま練習準備へ戻ってしまう。


体育館の片隅。

1人残された私は、その背中を呼び止めることもできずにただぼんやり眺めてしまう。



夏向さんが見せたどこか寂しそうな眼が

胸の奥、強く染みついて、私は思わず目を伏せた。

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