第69話

「っ、瑞希、なんでここに、」

「夏向さんこんにちは。えっと、移動教室で。今来たところです」



言い訳みたいにべらべら喋って腕の中の化学の教科書を見せると、夏向さんも、ああ、少し納得したように小さく頷いてくれる。


立ち聞きしていたのが

バレているのかいないのか。


あまりにも露骨に夏向さんが動揺するから

確認するのもなんとなく憚られて黙ると、私達2人の間にはどこか歪な静寂が訪れる。


じりっとお互い探り合うのような

気まずい沈黙を破ったのは、夏向さんの方だった。



「……瑞希、最近俺について何か噂聞いた?」



その突然の質問に

内心ぎくりとしながらも、私はどうにか作り笑いで首を傾げる。



「噂?聞いてないです、なんでですか?」

「いや、今友達に言われて」



そう早口で答える夏向さんが

まるで照れたように自分の髪に触れる。


それから少し目を伏せて

何故かどこかほっとしたように息を吐く。



―――夏向さんが

ももさんのことを好きだったことくらい、とっくの昔から知っている。



私が仮にその噂を聞いていたとして

今更私に知られたくない理由もないだろうに。


思わず心の中そう不貞腐れながらも

意味深な夏向さんの態度に、なんとなく不自然さを感じてしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る