第38話 暫定結婚指輪

◇◇◇◇


 次の日。

 アレックスとリドリアは王都の宝飾店にいた。


 アレックスが王太子ジョージに事前に申し入れをしていたため、スムーズにことが進んだが、王家や上位貴族が主な顧客だというだけあって、紹介状がないと入店すらままならない。


「店内、私たちだけですね」


 リドリアは周囲を見回し、隣のソファに座るアレックスに小声で言う。

 店内はおおまかにふたつのフロアに別れていた。


 ショーケースが並び、商品を試着したり見て回れるフロアと、そこから一段高く取った商談フロア。こちらは椅子やソファ、テーブルが並んでゆったりと客が待てるようになっていた。


 入店と同時に王太子夫妻からいただいた指輪のサイズ直しを依頼すると、店員からこのソファスペースへと案内されたのだ。


 リドリアは緊張した面持ちでソファに座りつつも、興味津々で店内をみつめていた。こんな店、そうそう来れるものではない。だがアレックスは特に興味がないらしい。


「予約制と言っていたからな」


 背もたれに上半身を預け、ショーケースが並ぶあたりをぼんやり見ている。早く用件が終わらないだろうかとでも考えているのが丸わかりだ。


 リドリアでは手が出ない商品が並んでいるらしいショーケース。

 もちろん買えない。

 だけど見て回りたい。それは失礼なのだろうかとソワソワしていたら、店員がふたり、戻ってきた。


 ひとりは担当で、もうひとりは紅茶を乗せたシルバートレイを持っている。


「お待たせしております。サイズ直しの件ですが、ご希望の日時などございますでしょうか」


 担当が向かいの席に座り、おだやかな表情のままアレックスとリドリアに尋ねた。

 もうひとりの店員は静かに紅茶をサーブすると、一礼をして下がっていく。


「特にはないが」

 言いかけて、アレックスはすぐに眉根を寄せた。


「すぐにできないのか? 今日とか」

「それは……申し訳ありません。出来かねます」


 店員がなんとも言えない顔をする。リドリアもあきれた。


「それは無理ですよ。ゴムじゃないんだから。ぎゅーっと引っ張ったら伸びるわけじゃないんですよ?」

「奥様のおっしゃる通りでございます」


 店員がつつましく視線を下げた。


「お預かりした指輪を拝見しましたところ、特に奥様のものはデザイン性が高いものでございます。サイズを大きくすると見栄えを損なうところもございましょうし。慎重に行いたいところです」


「え。大きくしたら変になっちゃいます? だったらやめます」


 リドリアは慌てる。せっかく王太子妃さまからいただいたのだ。自分のサイズに合わせて不細工になるぐらいなら、そのままでいい。


「いえ、とんでもございません。もし不格好だと判断いたしましたら、新たに石を加えることによって指輪が持つ気品を保ちたいと考えております」


 さらなる追加料金発生ということか。


 若干気が遠くなりかけた。店員はさらっと「石を加える」と言っていたが、その辺の小石を足すわけではない。宝石だ。


「えー……っと。例えば、どのような石を……?」

「そのことも今からご相談しようと思っておりました。弊店ではあの指輪にふさわしいのはサファイアだと思っておりますが、奥様のご希望はありますか?」


 笑顔で尋ねられる。

 もともとアクアマリンが主体の指輪だ。そこに小さなサファイアを足したいのだろう。


「……あ、青系で濃いものなら……紫水晶とかはどうですか?」


 断然サファイアより安い。もごもごと提案したが、店員は困り顔でクリップボードを見た。


「紫水晶ですか。あいにく弊店には質の良いものが在庫にはなく……。あ。奥様の誕生石とかなのでしょうか? でしたらすぐにでも高品質なものを取り寄せますが」

「いえ! 違います!」


 即座に否定した。高品質なものを求めているわけではない。安価なものを求めているのだと言いかけたとき、アレックスが口を挟んだ。


「サファイアなら在庫があるんだな?」

「ございます。最高のものが」


「そっちのほうが早いんだな」

「もちろんでございます」


「ならサファイアで」

「はい」


 早速クリップボードに書き付ける店員を見て、リドリアは青くなる。


「い、いいんですか? あの」

「構わん。支払いはこちらがもつ」


「すみません……っ。私の指が太いばっかりに……!」


 リドリアは泣きたい気分でしょぼくれる。店員が間に入る形で言葉を差し込んできた。


「奥様の指は決して太いわけではございません。ただ、第二関節でひっかかってしまっているだけで」


「そうなんです!」


「女性にはよくあることでございます。手作業や裁縫など指を使う仕事が多うございますから」


 にこにこ笑顔の店員に「いえ。たぶん正拳つきの練習のしすぎです」とは言えない。ちらりとアレックスを見ると、彼も「いや、たぶん正拳つきのせいだろう」という顔をしていた。


「それで、ご要望の日にちなどはございますでしょうか? たぶん一か月ほどお預かりすることになると思いますが」


「一か月?」


 うんざりした顔でアレックスが言うから、リドリアは首を傾げた。


「なにか……ありますか? 別にいいでしょう?」

「……まあ。結婚披露宴に間に合えばいい。……あ。騎士団の披露宴もあったな。ちっ」


 苦虫をかみつぶした表情でアレックスがぶっきらぼうに応じた。


「結婚披露宴って……あの話。まだ生きてるんですか」


 リドリアは目を丸くした。

 王太子夫妻が計画立案してくれるというふたりの結婚披露宴。


 メリッサ王女の婿取りが急に進みだしたため、なんとなく立ち消えしたのだと思っていた。


「生きている。しかも最悪な形で」

「え、どういうことです」


「今日、殿下の執務机に『披露宴案2』という用紙があり、盗み見た」

「いいんですか、それ」


「結果、見なかった方がよかった」

「なにが書いてあったんですか」


「妖精王アレックス」

「……なんですか……それ」


「わからん。披露宴のコンセプトらしい」

「妖精……王」


 繰り返した途端、こらえきれずに爆笑してしまった。


 本来であれば聞こえないふりができるはずの店員も何度か吹き出し、最終的にクリップボードで顔を隠して肩を震わせている。


「け……け、け……。失礼しました、ごほんっ。その、け……結婚披露宴に間に合う形でのお渡し、ということで」


 間欠泉のような笑いをプロの自覚でもって抑え込みながら、店員が果敢にアレックスに尋ねる。リドリアも笑いすぎて肩で息をし、なんとか平静を保とうと紅茶を飲みながらも、ときどき『妖精王アレックス』のワードが頭に浮かび、口から紅茶を吹き出しそうになる。


「ああ。まだ日取りは明確ではない。だが、数か月先にはなりそうだ」

 ぶすっとした表情でアレックスは答え、紅茶カップの把手を持った。


「指輪の受け渡しは1か月後で構わない」

「承知しました。ですが職人は急がせます。その、結婚披露宴が……は、早まるかもしれませんし」


「そうですね、妖精王アレックスが爆誕する日が……」


 リドリアは言ってからまた沸き上がる笑いを必死にこらえる。店員も必死だ。血が出るんじゃないかというぐらい唇を噛んでいる。


「笑っていられるのもいまのうちだぞ。俺が妖精王なら、君は妖精王妃だからな。どんな衣装を着せられて何をさせられるやら」

「ですが奥様の妖精王妃は……いけますね」


 店員は憑き物が落ちたようにまじまじとリドリアを見た。

 リドリアもなんとなく自分の姿を想像してみる。


「そうですよね。この前、夜会で貸していただいたような深緑色のドレスに。黄緑色のオーガンジーをあわせて……。ひごを使って羽型にして、そこにレース生地を張って背中に背負えば妖精の羽根みたいだし」


「わあ! かわいいですね、その羽!」

「ですよね⁉」


 店員とキャッキャと話し合った後、同時にアレックスを見る。


「なぜ俺を見て無言になる」


 尋ねられたものの、無言になった理由を正直に言うと喧嘩になりそうなので、リドリアと店員は互いに咳ばらいをしてソファに座りなおした。


「では、いまから見積もりに入らせていただきます」

「見積もりはいらん、信用している。言い値でいい」


 言うなりアレックスは紅茶を飲み干して立ち上がる。

 てっきりさっきの『妖精王』の件で怒っているのかと思ったら違うらしい。


「結婚指輪が出来上がる間の、仮の結婚指輪がいる。選ぶぞ」

 リドリアを見下ろして言うから、きょとんとしてしまった。


「え? 仮? なんです、それ」

「既婚者です、とわかるようにしておかないと、またモリス王子のような輩が来るだろう」


 忌々しそうに吐き捨てたあと、店員を見る。


「今日持ち帰れる指輪で、俺と彼女のサイズにあうものはどれだ」

「承知しました。それではこちらへ」


 店員はクリップボードを小脇に挟んで、きびきびとショーケースのある方に歩き出す。


 アレックスも続こうとしたが、ふと動きを止め、リドリアに対して手を差し出した。


 エスコートしてくれるつもりらしい。

 リドリアはその手をとりながら、なんとなく彼の変化にこそばゆいような気持になる。


 出会った当初は歩く速度などお構いなしだったのに、最近は並んで歩くようになったし、人前ではこうやってエスコートすることも多くなった。


 偽装結婚ではあるが。

 互いに夫婦らしくなったのではないだろうか。


「指輪。本当に必要ですか? モリス王子対策だったら、もうあと数日のうちに帰国なさるでしょうし」


 腕を取って歩きながら、リドリアはこっそり耳打ちする。


「第二、第三のモリス王子が来るやもしれん」

「いやだな、それ」


「そもそもあの王子、こっちの国に来るたびに君に愛人契約をもちかけそうだ」

「えええええええ………」


「それによく考えれば指輪は便利だ。はめていれば既婚者だとアピールできるんだからな」


 アレックスは納得しているが。

 よくよく考えたらモリスがリドリアにもちかけたのは『愛人契約』だ。


 であるならば、結婚していようがいまいが関係ないのではなかろうか。

 そう思ったが、話がややこしくなりそうなのでリドリアは黙っていることにする。


「とにかく安いのにしましょう」

「野菜を買うんじゃないんだ。それなりのものを」


「そんなもったいない」

「もったいないとかの問題じゃない」


 もう頑固だな、とリドリアは思いながらも彼と一緒にショーケースの前に移動した。

 すでに店員はショーケースからいくつか見繕い、ビロードを張ったボードの上に並べてくれている。


「どうぞ試着なさってくださいませ」


 リドリアはその値段に貧血を起こしかけた。安い順に並べてくれ、と言いたいが、アレックスはお構いなしだ。

 ぐい、とリドリアの左薬指にはめ、しばらく眺めた後、すぽっと外して別の指輪をはめる。


 それを繰り返し、リドリアはただじっとしているだけだ。正直、アレックスがなにを見ているのかわからない。


 指輪なのか、自分の手なのか。


 アレックスは適当に指輪を選んでいるようだし、店員も判断基準がわからず必死にいろんな指輪をショーケースから出し始めている。


 戸惑っていたリドリアだが。

 あ、と思うものがあった。


(この指輪、可愛い)


 デザインが好みだった。


「これにする」

 途端にアレックスが断言した。


「承知しました。では、これのペアをご用意します」


 店員は額の汗をハンカチでぬぐいながら、パタパタと隣のショーケースに移動する。


 リドリアは改めてアレックスを見上げた。

 やれやれと言いたげな顔だし、なんならそれは一緒に生活しているからわかることで、他人がみればただの無表情なのかもしれないが。


(……私の、反応を見てた?)


 無造作に次から次へと指輪をはめていたが。

 アレックスが観察していたのは、リドリアの手でもなく指輪でもなく。


 リドリアの表情だったのかもしれない。


 できるだけリドリアがすきなものを。

 気に入ったものを。


 そう考えて選んでくれたのだろうか。

 

 彼の考えに気づいた途端、顔がほころんでいて。

 なんだかそれをアレックスに知られるのが恥ずかしくて。


 リドリアはわざとつんと顎を上げた。


「そうだ、あのベッドの国境。あれ、今日は撤廃します」

「そりゃよかった」


 アレックスは肩をすくめた。


「狭くてかなわなかった」

「また手をつないで寝ましょう」


「手、ね」

「なんですか」


「別に」

「国境復活させますよ」


「はいはい」


 アレックスが笑った直後、店員が「お待たせしました」と指輪をボードに載せてやってきた。


 こうして。

 暫定結婚指輪をはめての生活が始まった。

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