第35話 夜会に参加するふたり
その数時間あと。
規則正しく三度鳴らされたノックに、リドリアは返事をした。
時間的にアレックスに違いない。
「すみません、すぐに開けます。しばらくお待ちを」
リドリアは化粧台の前から立ち上がり、かたわらのスツールに乗せたバッグを手にする。
扉へと急ごうとしたものの、足を止めて再度自分の姿を確認した。
王太子妃が貸してくれた
参加同席が急に決まったため、何の用意もしていないリドリアに、ソフィアが用意してくれたものだ。
一緒にアクセサリーの貸し出しも申し出てくださったが、さすがに遠慮する。
首元には、金鎖に通した結婚指輪代わりのアクアマリンの指輪があるのみ。
だが意外にこれがいいアクセントになっていた。
既婚者です!!!!!!
光を反射し、淡い水色を散らすたびにそうアピールしているようだ。
リドリアは夜会用ドレスを改めて確かめると、次いで髪の毛に目をやる。
化粧だ着替えだとバタバタしていたら、アマンダが手伝いに来てくれたのだ。
『王太子妃様の御用はセイラとメイドに託してきた! ちょっとだけなら時間とれそう!』
そう言って、リドリアの金色の髪をすごい勢いで結い上げ、庭師のひげじいからもらったというバラやシラハギで飾り付けてくれた。
『向こうの王子が強引なんだって? やだ、ちょっと泣かないでよ! 化粧が!』
コームやヘアピンをつかって髪を固定しながら鏡越しで尋ねるアマンダに、気づけばリドリアは泣きながら『愛人にされたらどうしよう』『海の向こうに誘拐されたらどうしよう』『フィンリーにもう会えない』と泣きついた。
『大丈夫よ! あなたはあのアレックス卿の妻なんだから! どーんとしておきなさい! 王太子妃様もきっと手助けしてくださるから』
アマンダは去り際にどんと背中をたたく。
『王子には王女メリッサだけ持ち帰ってもらいましょう! すべては王太子妃様のために!』
その言葉がぐずついたリドリアの心に芯を取り戻した。
そうだ。
嫁いで以来の懸案事項である『王女メリッサ』。あの愛欲王子はその目の上のたんこぶをこの王城から取り除いてくれる。
『すべては王太子妃様のために!』
力強くそう言うと、アマンダは笑って頬にキスをしてくれた。
『それでこそ私の相棒よ』と。
そしてアマンダは王太子妃の準備のために戻り、リドリアは化粧と仕上げを行ったのだ。
「お待たせしました」
手袋をはめ、扉を開く。
目の前にはやはりアレックスがいた。
手持無沙汰だったのか、左足に重心をかけるようにして休めの姿勢をとり、廊下に飾られた静物画を観ていた。
そのアレックスも。
当然だが夜会用に正装していた。
正装といっても彼はれっきとした軍人であるため、軍服の礼装だ。
モリスのように海軍ではないので黒を基調とした生地に金色の刺繍を入れたジャケット。ズボンは濃灰色で、横に臙脂の縦線が入っている。
肩からは金色の
彼の階位を示す勲章が胸にはぶら下がっているが、リドリアには果たして彼がえらいのかどうなのかこれだけではわからなかった。
ただ。
完璧に着こなされたその姿に、リドリアはしばし見惚れた。
軍神というのはこういう人を言うのだろうと思ったし、弟のフィンリーにはぜひ彼のようになってほしいとも思った。宝飾品の類などまるでないのに、それでも豪華さと品が同時にある。
どれぐらいリドリアは彼を見上げていただろう。
ふと気づく。
彼も、自分を見つめていることに。
「あ……すみません。いつもの軍服姿じゃなかったから」
不審がられただろうか、とリドリアは慌てた。
「かっこいいですね、その軍服。礼装用ですか?」
「ああ」
アレックスは小さく咳ばらいをした。
「礼装用で、と王太子殿下がおっしゃったので」
「そうですか。よくお似合いですよ。うちのフィンリーも大人になったらアレックス卿みたいになってほしいです」
うんうん、とひとりうなずく。だが今もってまだ悪童の代表格のようなあいつをどうやればこんな大人の男にできるのかはちょっとわからないが。
「いや、その」
「はい?」
なんか戸惑いを含んだ声にリドリアは再び彼を見上げた。
「リドリア嬢も……いや、嬢というのもあれだが。君も、いつもと違う」
眉根が寄り、少しだけ背をそらすようにしたアレックスを見て、リドリアは肩をすくめた。
「王太子妃さまのご厚意に甘えてお借りしました。こんな上質なドレス、初めて着ます」
「いや、その髪も……」
「あ、これは侍女友達のアマンダが」
「匂いも違う」
困ったような顔で断言され、犬か、とツッコみたい衝動に駆られる。
「バラかなぁ。あ、化粧品に香水が混じってるのかも。いやなにおいですか?」
小首をかしげると、まるで喉に何かを詰まらせたような顔をしたあと、ぶっきらぼうに首を横に振った。
「いい匂いだ」
言うなり。
珍しく彼の目元が赤くなる。
ひょっとして照れているのだろうかとリドリアが目を丸くしたことに気づいたのだろう。
アレックスはさっさと制帽を深くかぶって顔を隠すと、リドリアに対して肘を差し出した。
「行くぞ」
「いい匂いでした?」
「うるさい。肘を取れ」
「髪型、いいでしょう?」
「わからん。歩くぞ」
「でも化粧がちょっと……。もっとこう、アイラインと口紅とかも最近のものにすればよかったんですが、持ち合わせがないし、似合わないし」
腕を組んで歩きながら、ちらりとリドリアは廊下の窓に視線を向ける。
夜の帳がおりたため、窓ガラスが鏡面化していた。
もう少し流行りの化粧をすればいいのだろうが、派手な造作をしているわけではないので、似合うとは思えない。結果的にいつもと変わらない化粧になった。アマンダに言われて少しだけ口紅のいろを発色のいいものにしただけだ。
「もともと地味顔ですしねぇ」
苦笑いして窓ガラスから顔を背けると。
アレックスの視線に気づく。
制帽のつばを少し上げるようにして見下ろしてくるから、威圧感を覚えて肩を縮めるのだが。
「いや、きれいだとおもう」
きっぱりと言われてあっけにとられた。
あまりに予想外だったためか、なにもないところで躓き、「おいっ」とアレックスを驚かせてしまった。
「す、すみません! いやまさか……そんなことを言われるとは思っていなかったので」
汗で化粧が崩れそうだ。平常心、平常心。
そう唱えていたら、アレックスは顔をまっすぐ前にむけてぼそりと言う。
「俺は嘘はつかん」
「……そう、ですか……。それは、どうも」
こちらを見ようともしないのでアレックスがどんな表情をしているのかはわからないが。
制帽で顔を半ば隠してしまっているところから察するに、彼も照れているに違いない。
アレックスとリドリアはひたすら顔を赤くしながら、夜会会場へと早足に向かう。こんなに駆け足な正装ふたりというのも珍しいに違いない。
急がずともいいのだが、それでも少しでも足を止めたら互いに何を言っていいのかわからないし、赤くなった顔を見られるのも気恥ずかしい。
結果的に「呼吸が上がって顔が赤くなった」ふたりになるため、必死に足を動かした。
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