第34話 王女の登場

◇◇◇◇


 そのあと。

 リドリアはいたたまれない気持ちで立っていた。


 場所は謁見室だ。

 室内には両陛下と王太子夫妻。それからラブリア王国第三王子がテーブルを囲んでいる。


 そこに。

 なぜだかリドリアもいる。


 王太子妃ソフィアの侍女として、ではない。

 リドリアはモリスの側に立たされていた。


 侍女も執事も下げられ、謁見室には国王の侍従官ふたりと、それぞれの王族に従う武官がひとりずつ、計5名の武官がいるだけだ。


 そんな室内になぜリドリアがいるのかと言うと。

 ラブリア王国第三王子モリスが強引に引き入れたからだ。


『王宮を歩いていましたら、僕の恋人モン・プティトゥ・シェリーを見つけました』

 と、微笑みながら。


「あ……あの。私、メリッサ王女をもう一度お呼びしてまいりましょうか」


 誰もが身じろぎもせず、物音ひとつたてない室内で、リドリアは意を決して発言した。


 そうして逃げよう。脱兎のごとく。


 ちらりと王太子ジョージの背後に控えるアレックスに視線を送ると、彼も力強く頷いてくれた。


「そ、そうですね。リドリア。メリッサの部屋まで行ってもらえるだろうか。アレックス、彼女に同行を」


 ジョージが振り返って、自分の席の背後にいるアレックスに命じた。

 かしこまりました、とアレックスが言うより先に、リドリアはモリスの側から離れようとしたのだが。


 歩き出そうとした瞬間、右手首をつかまれて制された。


「いやあ、別にいいよ、リドリア。君はここで待ってればさ」

 にこにこ笑って自分の手首を握るのはモリスだ。


「いえ、そういうわけには参りません。あの……だいぶん、お待たせしてしまっているようですし」


 リドリアは両陛下の席に視線を走らせる。

 国王は苦み走った顔で下唇を噛み、王妃は額に左手を当ててうなだれてしまっていた。


 リドリアが謁見室に連れ込まれてかれこれ30分は経過している。

 それなのに王女メリッサは姿を現さない。


 そもそもモリス王子が部屋を出て王城内をうろうろさまよっていたのも、『待てど暮らせど王女が来ない』からだったはずだ。この段階でモリス王子は1時間近く待たされていると知った。


(これは……モリス王子が怒っても仕方ないのでは……)


 リドリアはハラハラする。

 自分のことを「僕の恋人」などと称して謁見室に引き入れたのも、腹いせの一環なのだろう。さもありなんだ。


 婚姻を持ちかけてきた国に海を越えてやってきてみれば、盛大に待ちぼうけをくらわされているのだから。


「さ、座って座って」


 モリスがにっこり笑う。リドリアはひきつった笑みを浮かべながら、首を横に振った。


「いえ、あの……。王子をこれ以上お待たせするわけにはいきません。私がいまから」


 呼びに行きます、と言おうとしたリドリアだが、後半は自分の悲鳴でかき消えた。

 というのも、いきなりモリスが立ち上がり、リドリアを横抱きにしたのだ。


 そのまま自分の席に座る。リドリアは彼の右腕に背を預け、ちょこんと膝の上に横向きに座る形で拘束された。硬直するリドリアを見つめてモリスは微笑んだ。


「来るまでこうやって待ってたらいいよ」

「王子」


 さすがに忍びないと思ったのか、モリスの背後で武官が咳ばらいをする。


 リドリアは半泣きになったまま、無言で武官に『助けて』と訴えた。

 口ひげを生やした武官は『しばし待たれよ』と目で応じ、咳ばらいをした。


「王子、お戯れもそこまでです」

「あ、このショコラ食べる? おいしいよ」


 だがモリスは彼を完全に無視し、左手を伸ばして皿の上のボンボンショコラを指でつまみ上げた。


「はい、あーん」


 笑顔のまま唇に運ばれるが、リドリアは必死で首を横に振った。


 これは介護でも食事介助でもない。確かにリドリア的には望んだシチュエーションかもしれないが、相手はモリスではないし、こんな衆目のもとで行われることでもない。


 せめてこの「膝の上に座らされている」状態をどうにかしようとするのに、さすが軍人というか。うまい具合に位置をとられて微妙に態勢がとれない。


 じたばたともがいていると「動きがかわいい。子猫ちゃんミミ」とからかわれる始末。


 恥ずかしくて死にたくなっていたら、かちゃりと剣の鯉口を切る音が近くで聞こえて動きを止めた。


 モリスの武官だ。


 佩刀に手をかけ、重心を低くしていつでも抜刀できる態勢をとっている。

 なにに警戒しているのかと視線を転じると。


 アレックスだ。


 いつの間にかジョージの側を離れ、リドリアの、というよりモリスのすぐそばまで近づいていた。


「モリス王子には大変ご迷惑をおかけしておりますが、その娘は自分の妻であります。お戯れはそれまでにしてお返しください」


 相変わらずの仏頂面の平坦な声で。

 下手したら棒読みのセリフにしか思えない口調だったが。


 彼の瞳には確かに怒りがあり、有無を言わせぬ迫力もあった。

 だからこそモリスの武官も警戒したに違いない。


「リディ、来い」


 アレックスはわずかに腰をかがめて両腕を広げる。

 リドリアは迷わずに彼の首に腕を絡める。今度はモリスも邪魔するつもりはなかったようだ。


 リドリアはすんなりとアレックスに抱き上げられた。


「残念」


 モリスがおどけて肩をすくめると、武官が「たいがいになさいませ」と叱りつけた。


「申し訳ありません、モリス王子。その娘はわたくしの侍女でして。つい最近王太子殿下の近衛騎士であるアレックスと婚姻を結んだのです」


 ソフィアが声をかけると、モリスは人懐っこい笑みでうなずいた。


「そうなんですってね。彼女から聞きました。でも、ほら」


 テーブルに頬杖をつき、モリスは笑う。


「リドリアのことを僕の恋人モン・プティトゥ・シェリーと紹介しても、近くに侍らせていても彼は何も言わないから」


 金の瞳でアレックスを射た。反射的にリドリアはアレックスにしがみつく。アレックスもリドリアを抱く手に力を込めた。


「別に妻に興味のない男なのかなぁって。だったら僕が持ち帰ってもいいかなぁって考えてたんだけど」


 からかうように笑っているが、目元がゆるんでいないのが怖い。


あるじがいなければぶん殴っていた」


 アレックスが言い返すからまたぎょっとする。一応相手は王子だ。だからこそリドリアも我慢していたというのに。


「モリス王子、すみません。彼はわたしの部下で……。無表情ですが愛情深い男なのです」


 ジョージが慌ててとりなす。モリスはなんでもないことのように笑った。


「ええ、知ってます。〝猟犬〟と呼ばれる近衛兵だとか。いやあ、よく躾けてらっしゃる」


 その言い方にカチンと来たようだが、「アレックス。こちらへ」とジョージに指示されてアレックスはリドリアを抱き上げたままその場を離れた。


 アレックスがリドリアをソフィアの席の側でおろしてくれたので、リドリアはすぐさまソフィアの椅子のひじ掛けを握り締めた。嵐が来ようが地震が発生しようが、もうここを離れるもんかとしがみつくと、ソフィアがいたわるようにその手を包んでくれるので涙がこぼれずに吹き出た。


「もう大丈夫ですよ。わたしもアレックスもいます」


 隣の席からは王太子ジョージも小声で声をかけてくれて、さらに涙が湧き出す。肝心の夫はなにも言わないが、それはさっきからモリスをにらみつけているからに他ならない。


 一層の緊張感を漂わせた謁見室は、もはや縁組をする両国同士の親善の場という雰囲気から程遠い様子だ。なんなら話題の中心は〝愛人〟だ。


「では、王女もまだ支度に準備がかかるようですし。今日のところはいったん下がらせていただきます」


 朗らかに宣言し、モリスが立ち上がるから両陛下がぎょっとした様子で目を見開いた。


「いましばらくお待ち願いたい!」

「誰か! メリッサを急かせて!」


 国王が制止のために立ち上がり、王妃が悲鳴を上げる。

 この室内では自分がその役目を引き受けるべきだろうかとリドリアが逡巡したとき。


「メリッサ王女のご入室です!」

 衛兵が訪いを告げた。


 ほ、と誰もが肩の力を抜く。

 扉が重々しく開き、メリッサ王女が近衛兵ひとりと侍女をつれて入室してきた。


 しん、と室内が静まる。

 王女メリッサは。

 同性のリドリアでさえ息を呑むほどの美しさだった。


 ジョージもかなり美形の部類ではあるが、着飾り、きっちりと化粧を施したメリッサは完璧な女性美を備えていた。


(これなら……。モリス王子もきっとお喜びになるでしょう)


 リドリアは安堵した。

 確かにメイクやヘアセット、衣装合わせに時間を取りすぎたが、それでもかように美しい女性を妻に迎え入れられるのだ。なんの文句もあるまい。


 期待したのはリドリアだけではない。

 王太子夫妻も、それから王妃もモリスの反応をうかがおうと視線を移動させ。


 そして。

 身体をこわばらせた。


 モリスはその場に立ったまま、腕組みをしてはすかいにメリッサを眺めていたのだ。


 メリッサはというと。

 そんな視線などみじんも気づいていないとばかりに、つんと澄ましてしずしずと進み、モリスの隣に移動する。


 モリスの隣に用意された自分の席に、さも当然だとばかりに無言のまま座った。

 メリッサの近衛兵が場の空気を読み、侍女に「部屋の外で待機を」と告げる。うなずこうとした侍女を制したのはメリッサだ。


「王太子妃の侍女もいるじゃない。いなさい」


 リドリアのことを一瞥してそう命じる。

 しばらく、誰もなにも言わない時間が流れた。


「ねぇ、君。僕になにか言うことない?」


 立ったまま、親し気にモリスは問いかける。


「お座りになったら?」


 メリッサがすげなく答え、自分の侍女に「お茶を」と伝えている。


「メリッサ!」

 王妃が鋭く名を呼ぶが、メリッサは気にする風でもない。


「国王陛下」

「なんであろうか、モリス王子」


 モリス王子が恭しく一礼をしたあと、目を細めて微笑む。


「此度の婚礼の件、ラブリア王でありわが父にお申し出をいただいたとき、あくまでこれは対等な立場での縁組であり、両国の末永い親善を願うためのものとのことでしたが」


「もちろんである。その言葉に嘘偽りはない!」


「ですが、時間には大幅に遅れる。それに対する詫びもない。これでは『会いに来い』と呼ばれていいように利用される属国のようだ」


「そのようなことは!」


「我がちちは対等な婚姻を望んでいます」


 顔面蒼白な国王に、モリス王子はにっこりと微笑んだあと、メリッサに視線を移した。


「君、僕にたいしてなにか言うことはないのかい?」

「女性の支度に時間がかかることも知らない殿方と、なにを話せと?」


 メリッサ、とまた王妃が悲鳴を上げる。

 だがモリスの笑い声がそれを消した。


「この婚姻が気に入らない?」

「だってあたしが望んだことではありませんもの」


 淡々と答えるメリッサに、モリスは芝居がかった仕草で肩をすくめて見せた。

 そのあと、自分の武官に目くばせをする。


「出よう。このことを父上に伝える」

「かしこまりました」


 そうして歩き出したモリスだったが。

 国王が勢いよく立ち上がるので足を止めた。


 室内の誰もがモリスを制するのだと思った。

 退室を防ごうとするのだ、と。


 だが。

 国王はまっすぐメリッサのところに行くと、いきなり娘を張り飛ばした。


 勢いが良かったためか、それともメリッサ自身、まさか父がそのようなことをするとは思わなかったせいか。


 防ぐということをせぬまま、派手な音を立てて椅子ごと転倒した。


 室内の誰も声を上げられない。

 張り飛ばされたメリッサもだ。


 真っ赤になった頬のまま、呆然自失の体で父である国王を見上げていたが。

 国王はすぐさまメリッサの肘を取って立ち上がらせると、モリスのもとまで引きずって行った。


「教育どころか躾けもできておらぬ娘で誠に申し訳ない」


 国王はモリスに深々と頭を下げる。

 そしてメリッサに言い放った。


「モリス王子に非礼を詫びるか、それとも王族の身分を放棄して平民となり、市井に放逐されるか。いますぐ選びなさい」


 メリッサは状況把握ができないのか、それとも恥辱のために脳が考えることを拒否しているのか。


 依然として床に尻をつけ、国王に肘を引っ張られた。

 まるで罪人のような姿勢で小刻みに震えている。


「メリッサ!」

 国王に大声で怒鳴られ、メリッサは唇を引き絞ったものの。


「非礼を……どうぞ、お許しください」

 モリスに対して頭を下げた。


「なあに。僕も大人げないことをたくさんしましたので」

 場違いなほどな気楽さを含んでモリスが笑った。


「互いに水に流しましょう。それではこのあとの夜会で」


 室内の誰もが『それでは僕はもう母国に帰ります』と言わなかったことにほっとした。

 少なくとも今晩の夜会には出てくれるらしい。


「お待ちしております」

 ソフィアが立ち上がって一礼をする。


「お部屋までご同行しましょう」

 ジョージが申し出ると、モリスはさらに陽気に笑った。


「そうですか? じゃあ未来のお兄さんと一緒に行こうかな」


 モリスとジョージ。それから互いの武官が付き従う形で謁見室の扉に近づいた。

 衛兵が扉を開く。

 その直前に、モリスはくるりと振り返り、いたずらっぽく笑った。


「もちろんリドリアとご夫君も夜会に参加してよ。僕からのお願い」


 そう言って軽快な足取りでモリスは出ていき、ジョージはずううううんと肩を落としてそのあとをついていく。


 ぱたり、と扉が閉まった。


 途端に。

 張り詰めた糸が切れたように誰もが脱力する。


 ただひとり。

 メリッサだけは号泣していたのだが。

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