第32話 愛人契約
◇◇◇◇
それから20日が過ぎたころ。
ラブリア王国第三王子が王城にやってきた。
本来であればもう少し早くの到着予定だったが、潮目と風の関係でなかなか出航準備が整わず、予定が大幅にずれての訪問だった。
その日。
リドリアは王城内の植物園で庭師から装飾用の花を受け取っていた。
夜食会の会場に使用するもので、いまからリドリアはメイドたちと飾り付けを行う予定になっているのだ。
「これで足りますかねぇ」
顔見知りのひげじいは、リドリアがバスケットにいれた花を見て尋ねる。
「たぶん。ひょっとしたらもう少し赤色のものが欲しいって言われるかもしれないかな……。そのとき、また来てもいい?」
色合いを考えながらリドリアが言うと、もちろんだと日に焼けた顔で笑った。
「今日は王女様の婿さんがいらっしゃるんでしょう? この国は王女だけじゃなく花も見事だと思ってもらいたいですからね」
リドリアも笑顔でうなずく。
確かにそうだ。
訪問目的は「婚姻相手の確認」だろうが、この国の良さにふれてくれればいうことはない。
数時間前に彼ら一行は入城し、いまは両陛下と王太子殿下夫妻、それから王女と顔合わせを行っているところだ。
予定ではそのあとお茶会に移行し、そして休憩と衣装替えをして夜会が始まる。
王太子妃の侍女であるリドリアも本来は会場の隅にでも控えておくべきなのだろうが。
なにしろ王女メリッサが計画した誘拐監禁事件のことがある。
そのあと、メリッサは幽閉され、セナは王国の東端にある尼僧院に送られたとはいえ、逆恨みによる事件が勃発しても問題だ。
そのため、王太子夫妻の発案により、リドリアは会場装飾係に回された。
「そういえばご結婚なさったそうで」
この花とこの花を組み合わせて、と脳内で軽くイメージしていたら、ひげじいがそんなことを言った。
「ええ、そうなの」
「これはおめでとうございます」
ひげじいは麦わら帽子をとって頭を下げてくれる。
リドリアはバスケットの持ち手を右手にかけ、にっこりと微笑む。
偽装結婚当初は貴族たちから次々と言祝がれ、さすがアレックスは侯爵の息子だとおののいたものだったが、最近は王城内の使用人にこうやって声をかけられることが多い。
彼らのほうが親身に喜んでくれたりするので、リドリアも素直に応じていた。
「ありがとう。まだ生活に慣れないんだけど」
「どうか無理のない範囲でお仕事を続けてくだせぇ。王太子妃さまもきっとお喜びになりますから」
「そのつもり」
「ですが、あれですな。やっぱり結婚すると変わるもんですなあ」
ひげじいが笑うからリドリアは面食らった。
「そう?」
「へぇ。前から貴族さんにしてはわしらにもお優しいお人でしたが……。なんかこう、さらに柔らかい感じになられましたね」
「ふ……太った?」
どきりとした。あの具沢山スープだ。
最近、鶏肉ミルクスープにはまり、アレックスとふたり『おいしいおいしい』と食べ続けていたのがいけなかったか。またあれが塩気の強いパンにあうのだ。スープ、パン、スープ、パン、と無限に続けられる。
「いえいえ。そうじゃあありゃあせん。雰囲気がまあるくなったんでさぁ」
愉快そうにひげじいは笑うと、麦わら帽子を再びかぶった。
「見るからにお幸せそうでさぁ」
であるならば原因は一つ。
あれだ。
毎晩手をつないで眠っているあれに違いない。
続けてよかった。だれも偽装だと思っていない。
リドリアは確信を得た。今晩にでもアレックスにこの旨を伝え、習慣化するように提案しなければ。
「ではまた、必要なら来るわね」
「かしこまりやした」
リドリアはバスケットをさげて、意気揚々と回廊のほうへと闊歩する。
そういえば先日もセイラから「あーやだやだ。新婚って幸せそう」と言われたのを思い出した。あのときは、「ようやくひとりでお風呂に入れる」と言ったのではなかったか。
添え木が外れたため、入浴介助が必要なくなったという意味でセイラに言ったのだ。
『これでようやくひとりでお風呂に入る時間がとれる。これまでずっと一緒だったから』と。
明らかにセイラは勘違いしているようだが、勘違いさせるほど自分たちの新婚生活が同に入っているということなのだろう。
偽装だとばれていない。
そのことにすがすがしさを覚えながらリドリアが回廊を東棟に向かって歩いているとき、目の前に見知らぬ軍服を着た騎士がいた。
思わず足を止めたのは、彼の髪が茶色く、肌も日に焼けて褐色だったからだ。
(ラブリア王国の武官かしら)
異国の騎士は、きょろきょろと周囲を見回したあと、手持無沙汰のように回廊の手すりに腰を下ろした。
リドリアの視線に気づいたのか。
異国の騎士はリドリアに顔を向けた。
ああ、やっぱりラブリア王国の方だと確信を得る。
彼の瞳がこの国にはない、金色だったからだ。
(ん?)
なんだか戸惑ったのは。
この異国の騎士がやけに自分を凝視するからだ。
真っ先に考えたのは「なにか聞きたいことがあるのだろうか」ということだった。
きっと王城内で迷い、上官や王子のいる場所がわからないのかもしれない。
「なにかお困りですか?」
リドリアは近づき、そう声をかけてみた。
途端に異国の騎士はにっこり笑う。
やけに人懐っこく、まるで大型犬のようだ。
事実、上背はかなりあり、アレックスと変わらないのではないか。
彼より筋肉質で、海軍であろうことを示す白い軍服の胸はぴんと張っている。
異国の騎士は笑顔を浮かべたまま、すごい速さの母国語でなにか話し始める。
(あ、そうか。ラブリア王国語!)
きっとこちらの国の言葉がわからないのだ。
だから迷子になってしまって戻れないのだろう。
「ちょ……、ちょっと待つ。早い。ゆっくり。話す、あなた」
リドリアとて教養の一環でラブリア王国語を学んでいるが、ネイティブと同等に話せるかと言えばそれは別だ。
「話せるのかい?」
異国の騎士は弾んだ声で言う。
整った顔立ちをしているが、少し垂れ目がちだからだろうか、それともこのひとなつっこさのせいだろうか。20代半ばだろうに年よりも幼く見える。
「少し。あなた、困っている。困っている……? 助け、いる、私」
必死に単語を羅列してみるが、口から出た単語を耳が拾い、それを脳内解釈すれば「私が困っている。助けがいる」と言っているような気がする。
顔を真っ赤にしながらリドリアは必死に続ける。
「どこ行く? 私、一緒。行く」
なんなら動きをつけてやってみると、異国の騎士は嬉しそうに笑った。
(よかった通じた)
ほっとしたのもつかの間、異国の騎士が、
「君、いい子だねぇ。なんかこう、この必死さがいい。ほんといい」
この国の言葉で流暢に話すからぽかんと立ち尽くす。
「いやさぁ、めちゃくちゃ待たされるからなんかこう……。出てきたんだよね、部屋から。そしたら王城の人たちが声をかけてくるんだけど、『こちらの国の言葉、わっかりませーん』って母国語で話しだしたら、みんな顔を背けてどっか行っちゃって」
異国の騎士は肩をすくめる。
「薄情だなあと思ったけど、しめしめ、これで誰からも放置されるぞって思ってたんだ。ごめんね」
「いえ……あの。私こそ」
急にあのたどたどしい単語の羅列が恥ずかしくなって死にたくなる。
「あの……どうぞ、この王城をお楽しみください」
そう言って立ち去ろうとしたのだが、ぎゅっと手首をつかまれて驚いた。
「待って待って。もう少し話し相手になってよ」
そう言ってにっこりと微笑まれる。
リドリアは戸惑いながらも、やんわりと彼の手をほどいた。
「ですが、私も仕事が……」
よく考えればこの騎士だって仕事があるのではないだろうか。
そんな疑問が浮かぶが、異国の騎士はにこにこ笑ったまま尋ねてくる。
「君、王城に仕えてる平民?」
「いえ、両親は伯爵で……。いまは近衛騎士の妻です」
「妻! え、マジで⁉」
異国の騎士は目を丸くする。
「だって指輪してないじゃん!」
指摘されて、リドリアは慌てて胸元の金鎖を引き出す。そこにかけられた指輪を見せた。
「ちゃんと持ってるんですがサイズが合わなくて……」
「はあ? そんな夫いるの? 君のサイズ知らなかったってこと?」
「いえ。お互い仕えている方からいただいた指輪で……。まだサイズ直しをしてなくて。夫もこうやって首から下げてます」
苦笑してみせるが、異国の騎士はなぜか不機嫌そうに口を尖らせた。
「でもさぁ、そんなので納得していいの? 僕が夫なら妻にいつまでもそんな状態でいさせないよ? さっさとサイズ直しするけど。それまで別の指輪用意してさ」
「お互い忙しいので」
「だってさ。その間、妻は指輪をしてないわけでしょ? こうやって男から声かけられるかもって思ったら焦るじゃん」
焦る……んだろうか。いや、焦ってないからふたりともこんな状態なんだろうな、とリドリアは冷静に分析した。
「そうかー、君、既婚者かあ」
その間も異国の騎士は、そう言って勝手にうなだれていた。
「あの……騎士殿もそろそろ持ち場に戻られてはどうですか? 私、夜会会場に花を飾りに行くんですが、そのついででしたら王城内をご案内しますよ?」
「えー……、そうだなぁ、うん。どうしようかなあ……。そろそろ戻らなきゃいけないだろうしなぁ」
随分とサボりな騎士だ。いやそうな顔を見て、リドリアは思わずくすりと笑う。
その表情に気づいたのか、騎士はにぱり、とまた人懐っこく笑った。
「もし未婚だったら、ぼく、即プロポーズしたのに」
「それは惜しいことをしました。もう数か月ほど早ければ」
つい真剣に言ってしまう。
その態度にまた騎士が笑った。
「マジで⁉ あっちゃー……。ぼく、運がないなぁ。ねえ、だったらそっちを離婚しちゃいなよ。で、ぼくと一緒に海を渡らない?」
「いやあ……さすがに、海を渡るのは」
「離婚はいいんだ」
騎士が爆笑する。リドリアは苦笑した。
「まだ未成年の弟がいるんです。あの子が立派に独り立ちするまでは遠くにいけませんから。そういうことでしたら、きっと独身時代に出会っても、騎士殿からのプロポーズは受けなかったかもしれませんねぇ」
「だったらさ、愛人契約結ぼうよ」
「愛人⁉」
リドリアは目を丸くしたのに、騎士は乗り気な様子で頷いた。
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