第31話 仲良し夫婦エピソード

 その日の晩。

 慣れない松葉づえでよちよちとベッドに近づき、どすんと腰を下ろす。


「骨には異状がなくてよかったな」


 アレックスが松葉杖を受け取り、壁際に置いてくれた。

 ついでに、添え木で固定された足を持ち上げるのを手伝ってくれる。


「私、本当に頑丈にできてますね」


 脛はあんなに腫れていたのに、ひびさえ入っていないと医師が断言していた。


「丈夫なのはいいことだ」


 アレックスが真面目な顔で言う。

 彼もリドリアも寝間着姿だ。


 リドリアとエイヴァンの誘拐監禁事件後、男たちとセナは逮捕された。


 男たちはすぐさま獄に入れられ、明日から憲兵たちによる審問が始まる。セナは伯爵令嬢ということで男たちとは別の牢に入れられ、関係各所と調整中だというが、尼僧院送致になりそうだとリドリアは聞いた。


 メリッサはというと。

 ラブリア王国王子が入城するまで王城内の塔に幽閉だと聞く。


 リドリアは王太子妃ソフィアより即刻病院送りになり、その後、帰宅した。


 アレックスのほうも事件の報告を王太子ジョージに行った後、速やかに帰宅を促され、リドリアの希望通り具沢山スープを買って大使館内にある新居に戻る。


 帰宅はふたりとも同時ぐらいで、お互いぐったりしながらも食事をし、交代で入浴した。


 脚が保定されているリドリアは、バスタブに入ることは簡単だったが、出ることができなくなり、アレックスに救助要請をした。


 バスタオルでぐるぐる巻きになった状態を何度も確認され、アレックスによってバスタブから無事引き出してもらったのがついさっきだ。


 その引き出し方もよく考えればひどい。


 横抱きにしてとはいわないまでも、後ろから羽交い絞めのようにして引きずりだされたのだ。


『これはない!』とリドリアはその場で非難の声を上げた。


 リドリアとしては、自分の前にアレックスが来てくれればよかった。彼の首に腕を回してリドリアをバスタブから立ち上がらせてくれればことが済んだのに。


 まるで水死体を引き上げるような扱いではないか。


 そうアレックスに抗議したら『前に回って抱き起した時、バスタオルが外れたらどうするんだ!』と叱られた。


 リドリアはそのときのことを思い出しながら、寝室の照明を落として回っているアレックスの背中に詫びた。


「……すみません、アレックス卿」

「なにがだ」


「新婚生活というより、介護生活ですよね」


 ぷ、と珍しくアレックスが噴き出した。

 リドリアはいたたまれない。初日は腕を負傷して家事が滞り、今日は足を怪我して入浴の手伝いまでさせたのだから。


「だが気楽だ。想像しているよりも断然心地よく過ごしている」


 ベッドの端にアレックスが座ると、少しだけマットレスが沈んだ。


「ならいいんですけど。あ」

「なんだ、どうした」


 やれやれとばかりにベッドに横になろうとしたアレックスが動きを止めた。


「いえ、あの。たいしたことじゃないんですが」

「なんだ」


「メリッサ王女に言われたんですよ」

「メリッサ王女に? なにを」


 途端にアレックスの顔に緊張が走る。リドリアは慌てて手を振って何でもないとアピールする。


「その……本当に私がアレックス卿を好きなのか、と。なんか自分と一緒ぐらいのレベルで好きなのではないか、と」


 リドリアはあの地下牢での話をする。

 メリッサはジョージ王太子殿下のそばにいるためにアレックスと結婚したい。それと同じぐらいの熱量でリドリアはアレックスと結婚したいのではないか、と。


「あの変態王女。妙なところで察しがいいな」


 アレックスがうめく。リドリアは変態という言葉を指摘訂正すべきかどうか迷ったが結局聞き流すことにした。


「いまはまだメリッサ王女ぐらいしか疑問に思っておられないようですが……。鋭い方は鋭いのでしょう」

「このままでは偽装が露見する可能性があるということか」


 リドリアはうなずく。


「だからこう、なにか仲良しエピソードが欲しいんですよ」

「仲良しエピソード?」


 いぶかし気に繰り返すアレックスを、リドリアは真剣に見つめた。


「誰かが指摘した時、『何言ってるんですか。私とアレクは毎日こんなことをしているんですよ!』的な」


「……毎晩、夫婦生活をしている、でいいのではないか?」


 リドリアは顔をしかめた。


「そりゃあ百戦錬磨のアレックス卿は実話を交えたエピソードも語れるでしょうが……。私、そんなことしたことないのでつっこまれたらあっさり嘘がバレます」

「……それらしく言ったらどうだ」


「そのそれらしくがわからないと言っているんです。だからですね、なんかこう。仲良し夫婦が行うべきほんわかエピソードを捏造しましょう」

「なんだ? 行ってきますのチューか」


「私もそれは考えましたが、できれば実践できるものがいいので」

「なんだ」


「夜、眠るときに手をつなぐというのはどうでしょう」

 こぶしを握り締めてリドリアはアレックスに顔を近づけた。


「手をつないで? 子どもみたいだな」

 アレックスは眉根を寄せる。


「なにかあったときにそれを他人に言うのだろう? バカにされそうだ」

「アレックス卿のようにゴツい男性がやるからいいんですよ。ギャップ萌えです」


「それは女性そちらサイドの話だろう?」

「妻にせがまれて、まったく困ったものです、と言っては?」


 それでもアレックスは不服そうだ。リドリアは「では」と指を折る。


「一応ほかにも考えてはいます。食事を食べるときは「あーん」ってやる、一緒に入浴、寝るまでずっと一緒に過ごす」


 言いながらリドリアはふと気づく。


「……これ、全部してますね」

「介護生活でな」


 アレックスが真面目にうなずく。


 リドリアの腕が動かしにくいときはアレックスが食事介助をしてくれたし、今日は入浴介助をしてくれた。いつも腕か足を怪我しているから移動に不便で、アレックスが隣で付き添ってくれる。


 なんということだ。

 自分たちは気づかぬうちに仲良し夫婦生活を送っていた。


「……わかりました。これを脳内でアレンジして、介護ではなく仲良し夫婦エピソードとして落とし込みます」


 リドリアは肩をすくめた。


 そもそも男性社会で過ごしているアレックスは、自分のように「新婚生活ってどんな感じ?」と聞かれることも少ないかもしれない。


「変なことを言いましたね。では、眠りましょう」


 リドリアは苦笑いして枕を整え、仰向けに寝転がる。添え木のせいで足が動かしにくいが、まあそのうち慣れるだろう。


 アレックスもベッドわきのテーブルにあるオイルランプの灯を落とし、自分の隣で横になる。


 おやすみなさい。

 そう言おうとしたとき。


 不意に右手をぎゅっと握られた。


 びっくりした顔のまま隣を見る。

 黒いレース越しに見るような。


 そんな視界の先で。

 アレックスは無表情のまま天井を見上げている。


「まあ、やってみるのは悪くない」


 ぼそりとそんなことを言う。


 リドリアはまじまじと彼を見つめた。

 見つめた後、「そうですね」と笑う。


 笑って彼と同じく天井をむいて目をつむる。


 右手を握る彼の手はとても大きい。


 すっぽりとリドリアの手を握りこみ、そして手のひらには剣を握る者特有のマメがある。リドリアも同じところにマメを作っていた。


 親近感を覚えるその手はざらりとしているけど、とても暖かく。

 そして優しく握られていた。

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