第26話 仕事復帰

◇◇◇◇


 リドリアがアレックスと大使館の平屋で同居してから3日目。

 ようやくアレックスからも許可が出てリドリアは王宮に出仕した。


「もう大変だったんだから、この数日さ」


 王太子妃の執務室で簡単な業務の引継ぎを終えた途端、アマンダが口を尖らせた。


「ごめんね。なんか急ぎの用件はいった?」


 執務机の側にある文書箱に近寄る。

 文書箱はいっぱいになっていた。


 手早く、急ぎとそうでないもの。それから私用と公用をふりわけながら、ふと違和感を覚える。


「え。なんか侍女希望の願書が多くない? 王太子妃さまが募集かけてたの?」

 振り返ってアマンダに尋ねる。アマンダは渋い顔で首を横に振った。


「違うわよ。あのお茶会以降、ポツポツと『侍女の空きはないか』って問い合わせは来てたみたいだけど、御前試合からこっちもう、すごい勢いよ。王太子妃様の人気は上がるし、王太子妃様の侍女をしていたら王太子殿下の近衛騎士と知り合うきっかけもできるとか。噂になってんのよ、あんたとアレックス卿が」


「あー………」


 力が抜けたためか、手に持っていた文書がダバダバとまた文書箱に落ちる。


 偽装結婚なのに。


 いや、そもそもをいえば王女メリッサとセナにいじめられた結果の偽装婚約なのに。


 なにがそんなに耳目を集めるのか。


「王太子妃様は新しく侍女を雇うつもりはないようだから、いまのところ応募の手紙については、侍従官を通じてお断りの手紙を書いてもらうよう依頼して」


 アマンダは引継ぎのためだけに来てくれている。今日、それをするのはリドリアだ。


「わかった。王太子妃さまは?」

「もうすぐセイラと一緒に来ると思うわ。衣裳部屋にいるの」


「衣裳部屋? 今日、なにかあったっけ」


 侍女希望の文書だけ文書箱から漁りながらリドリアが尋ねると、「今日じゃないけど」とアマンダがまた苦み走った声を出す。


「メリッサ王女の結婚相手が近々来るらしいのよ。で、そのときの謁見用衣装とか、夜会用の衣装とかをいま、確認してるってわけ」


「ラブリア王国の第三王子だっけ。まとまりそうなの?」

「まとまりそう、じゃないの。まとめるの」


 アマンダがリドリアの鼻先に指を突き立てる。


「そうじゃないと、あんた新婚なのにすぐ離婚させられるわよ? 虎視眈々とまだ狙ってるんだから、あの王女はアレックス卿を」

「まさか」 


 と笑ったあと、アマンダからの無言の圧を感じてリドリアは文書を仕分ける手を止めた。


「え。本気なの?」


「すっごい嫌がらせはまだ続いてるからね。茶器保管庫に置いてたテーブルクロスは赤ワインで汚されるし、昨日は庭を王太子妃さまが散策されていたら『いまは王女がお越しの時間です』とか言って追い返されるしさ」


「はあ? 逐一王太子殿下には伝えてるんでしょう?」


 アマンダは首を横に振る。


「王太子妃様が、穏便にっておっしゃるから。まったく、こっちは王太子殿下の妻よ、妻。王女なんていずれこの王城から出る立場だってのに。それにさ、あんたのことも探ってるからね」


「私?」


「いつ現場復帰するのか、とか。怪我の程度はどんな感じだ、とか」

「なんて答えたの?」


 リドリアの言葉に、アマンダは人の悪い笑みを浮かべた。


「けがの程度はわかりませんが、新婚なのでどうやらご夫君がベッドから離さぬ様子。王太子妃様も苦笑いです、と答えておいた」

「ちょっと待ってよ!」


 悲鳴を上げるが、アマンダは笑った。


「あながち間違ってないでしょ? 三日前に王太子妃様がフィンリー君を呼び出してリドリアの状態をお聞きになったとき、あの子、真っ赤になって『姉は大層アレックス卿に愛されているようで服を着替える暇もないぐらい』って」


「違う! けがで! 服が!」


「はいはい。理由なんてどうでもいいわよ。王太子妃様はご機嫌だったわよ。リドリアが幸せそうでなによりって」

「………………だったらいいけど」


 もうそういうしかない。

 誰かひとりでも幸せであれ。

 気分は聖者だった。


 がっくりと肩を落として文書の仕分けをしていると、扉の前で待機している近衛騎士が訪いの声を上げた。セイラと王太子妃ソフィアが戻ってきたらしい。


「あら、リドリア。腕や身体はもういいの?」


 セイラが扉を開き、ソフィアが軽やかに入室してくる。リドリアは片膝を曲げて礼をした。


「誠に勝手をしまして……。本日よりまた、お側で仕えさせていただきます」

「もちろんよ。こちらこそよろしく」


 顔を起こすと、柔和な笑みを浮かべておられるのでリドリアはほっとした。

 セイラがするりと部屋の隅に行き、ペンで紙になにか書き付けている。どうやら衣装は決まったのだろう。不足分を発注したり、王太子と衣装の色をあわせたりするための文書を作っているのかもしれない。リドリアはソフィアに尋ねる。


「ご衣裳が決まったのですね」

「そうなの。それでね、あなたに謝らないといけないのだけど」

「私ですか?」


 びっくりして目を丸くすると、ソフィアはしょんぼりとした顔で言う。


「あなたとアレックス卿の披露宴のことです。王太子殿下とふたりで企画しましょうと伝えていたのですが、今回のラブリア王国王子訪問で日延べしそうなのです」


「そんなこと、なんの問題もありません!」


 なんなら永久に延期で構いません、という言葉はさすがに飲み込んだ。


「アレックス卿が所属する騎士団の団長さんが結婚祝いの場を設けてくださるそうで……。そちらも昨日聞かされたところで……。ふたりで日にちのことを相談していたんです。だから延期になるほうがとても助かります」


 口から出まかせを言ったが、ソフィアは心底ほっとしたようだ。


「まあ、そのような企画が。正式に日が決まったらわたくしからもなにか贈りたいわ。教えてね」

「とんでもないことです。お言葉だけで」


 ぺこりと頭を下げるけれど、ソフィアはアマンダとセイラに目くばせをした。たぶん『決まったら報告しなさい』ということなのだろう。


「今日の当番はリドリアとセイラになるのかしら」

 ソフィアが執務室に座り、尋ねる。


「はい。私はこのあと下がらせていただきます。侍従官が1時間後にいらっしゃると思いますので、公用文書などはそのときに」


 アマンダが説明をする。その間に、リドリアは仕分けた急ぎ用公文書をソフィアの前に差し出した。


「侍女の応募が多いのだけど、わたくしとしてはこの三名でしばらく過ごしたいの。だめかしら」


 いくつかの文書に視線を走らせたあと、ソフィアはふと思い出したというように顔を上げた。


 アマンダは下がるつもりで支度をし、リドリアは次の文書を用意し、セイラは書付を終えたところだった。


「私たちはそれで……」

「問題はございませんが」

「王太子妃様の御心のままに」


 三人が目を交わしながら答えると、ソフィアは肩の力を抜いたように笑う。


「よかった。まだ誰に心を許していいかわたくしにはわからなくて……。もうこの国に嫁いで三年だというのに、こんなことでは失格ね」


「そんなことはございません」

「そうです。それにメリッサ王女が嫁がれましたらまた状況も変わりましょうし。そのときにまたお考えになられては?」


 アマンダとリドリアが言うと、ソフィアは形の良い眉を下げた。


「あなたたちは既婚者ですから。この先、お子ができることもあるでしょうね。そうなったときのことを考えて本当は増員をしておかないといけないのでしょうけど」


 言われてアマンダは口ごもるが、リドリアは胸を張った。


「私はそんな心配まったくありません! なにかあってもアマンダの子を背中に背負いながら仕事をする覚悟です!」


 ぽかんとしばらくソフィアとアマンダはリドリアを見つめる。

 噴き出したのはセイラだ。


「ってことは、アマンダは産後すぐに復帰ってことね」

「ちょっと。それなら私が私の子を背負うわよ」

「いいわよ、私、これでも弟を立派に育てたんだから、あなたより育児の経験はあるわ」


 三人できゃっきゃと話をしていたら、ソフィアの顔も次第にゆるんできた。


「ではもし、この先わたくしも王太子殿下の御子をみごもったときは、みなさんにお願いしていいかしら」


「もちろんです!」

 おまかせあれ、と三人の侍女たちは請け負った。


 ソフィアは微笑み、それからまた視線を文書に戻す。


 嫁いで三年。

 いまだソフィアに懐妊の兆しはみられない。 

 そのことが大きなプレッシャーになっていることをリドリアたちはわかっている。


「では私はこれで下がらせていただきます」

 アマンダが頭を下げる。ソフィアは笑顔で頷くのを確認して退席した。


「リドリア」

 セイラが紙を二枚持って近づいてくる。


「ラブリア王国王子ご訪問時の衣装の件なの。これを王太子殿下の執務室にお届けしてもらえる? 私は再度、王太子妃様と不足分の衣裳についてご相談したくて」

「もちろんよ」


 リドリアは請け負うと、一枚用紙を受け取ってソフィアの執務机に近づく。


「こちらを王太子殿下のところへお届けしますが、よろしいでしょうか」

 ソフィアはざっと視線を走らせ、うなずいた。


「よろしくね、リドリア」

「かしこまりました」


 一礼をして、リドリアは執務室を出た。


「お気をつけて」

「ありがとうございます。王太子殿下の執務室に行ってきます。すぐ戻りますので王太子妃をよろしくお願いします」


 扉の前にいる王太子妃の近衛騎士たちが会釈をしてくれる。リドリアも笑顔で返しながら心の内が温かくなる。


 つい半月前までは『これも22歳になるまで我慢だ』とばかりに浮かぬ顔で警備をしていたが、王太子妃の評判が上がるにつれ、近衛騎士を見る目も変わってきたのだろう。尊敬の目で見られると、近衛騎士たちも次第に胸を張るようになった。


 執務棟の二階廊下を軽やかに歩いていると、向こうから二人連れの騎士がやってきた。


 ふと目に留まったのは、彼らがアレックスと同じ有翼獅子騎士団の軍服を着ていたからだった。


「これはリドリア夫人」


 騎士のひとりが軽い敬礼のあとにそんなことを言うからドギマギする。そうかもう自分は既婚者なのか、と。


「いつも夫が世話になっております」


 これであってんのかな、と戸惑いながらも頭を下げると、ふたりの騎士は大恐縮した。


「こちらこそ副団長には本当に世話になっております。先日も業務が終わらぬところを手伝ってくださったばかりで」

「おれなど金欠の時に飯を食わせてもらってます」


 そんなことを真面目な顔で言うから噴き出してしまった。

 なによりアレックスの人間らしいというか、先輩らしいエピソードが聞けて得した気分だ。


「あの、それでリドリア夫人」

「はい?」


「エイヴァン・リドリー卿をお見かけしませんでしたか? あるいは、王太子妃の執務室を来訪なさったとか」


 騎士に尋ねられ、リドリアは目を瞬かせた。一瞬『誰だ』と思ったものの、あれだ。


 セナの婚約者だ。


「いえ、お見かけしませんでしたし、ご訪問もありませんでした」

 首を横に振ると、騎士たちは互いに顔を見合わせて口の端を下げる。


「やはりメリッサ王女の執務室では?」

「だがさきほどうかがったが、訪問はなかった、と」


「まさか王妃陛下の?」

「それこそ御用がないだろう」


 騎士たちが言い合うので、リドリアは首を傾げた。


「エイヴァン卿はこちらの執務室に行くとおっしゃったのですか?」


 この棟には、王妃、王太子妃、王女の執務室があり、それぞれに必要な部署と部屋、倉庫がある。対して王城の北側には、王、王太子が使用する執務棟があり、本来王太子つきの近衛騎士たちである彼らはそこに詰めているはずだ。


「ええ。待機の者に『セナ嬢に呼ばれたので少し席を外す』とおっしゃって……」

「ところがまったく戻ってこられず……。交代勤務者もおりますので、仕方なく探しに来たのです」

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