第24話 偽装結婚生活が始まる

 次の日の朝。

 目覚めると、そこにはアレックスがいた。


(いや……そりゃ、一緒のベッドで寝たんだからいるはずなんだけど)


 右を下にした状態でリドリアはすぐ隣に眠るアレックスを改めてみる。


 男前である。

 閉じた瞼に並ぶまつげは長く、鼻梁はすっと伸びている。肌は日に焼けているが、きめ細やかで陶器のようにも見えた。首筋は太く、リドリアやフィンリーなどとはまるで違う。


 その首元にちらりと見えるのは銀色の鎖。寝間着の中に入っていて見えることはないが、王太子殿下から譲られた指輪が通されているのをリドリアは知っていた。


 アレックスの薄い唇はかすかに開き、耳をすますとすうすうと寝息が聞こえた。ちょっとだけかわいいじゃないかと心の中で突っ込んでしまった。


 なぜこれでいままで誰とも結婚しなかったのか。

 答えはひとつだ。


 女と付き合うと面倒くさい。

 そんな理由で幾人も女性が涙を流してきた。なんて罪作りな男だ。


「む」


 不意にアレックスが声を漏らした。

 窓越しに六時の鐘が鳴ったことに反応したらしい。


「おはよう」


 ばちりと目を開いてアレックスが言う。

 しげしげと無遠慮にみつめていたリドリアはうろたえながらも「おはようございます」と返した。


 非常に寝起きがいいというか、つい数秒前まで眠っていたとは信じられないほどのスムーズな動きでアレックスは上半身を起こすと、さっさとベッドから抜け出した。


「けがの調子はどうだ」

 首を左右にかしげてポキポキいわせたあと、アレックスが聞いてくる。


「あ、そうだ」

 指摘されてようやく気付いた。


 そうだ、昨日自分は天幕の脚に押し倒されて体中に打撲を負ったのだ。

 上半身を起こそうとして右手をベッドにつき、顔をしかめる。


「まだ痛いのか」

「いえ、痛いというか……。動かしにくい。わあ」


 寝間着の袖をめくりあげて右腕を確認しようとしたリドリアは声を上げた。

 覗き込んできたアレックスも「おう」とわけのわからない声を漏らす。


 パンパンだった。


 手の甲から肘にかけてはちきれんばかりに腫れあがり、濃い茶色になっている。

 まるで肌色の手甲防具をつけたようになっていた。


「痛く……ないのか?」


 いぶかし気にアレックスに言われ、リドリアはおずおずとうなずく。

 こんなに恐ろしい外見だというのに、痛みはない。


「ただ、関節で曲がらないんです」

「そりゃそれだけパンパンならな」


 アレックスは腕を組み、妙なことに感心している。

 続いてリドリアはこめかみに左手をやるが、こちらはもうなんともない。折を見て包帯を外し、傷を確認しようと思いながらベッドを降りた。


 ふと。

 互いに寝間着同士で向き合う。


「そういえば昨晩が初夜だったな」


 アレックスが淡々と言う。ぎょっとしたが、まあそうなるかもしれない。


 彼の首には銀鎖が見える。そこには王太子からいただいた指輪が通されていた。それはリドリアも同じだ。リドリアは金鎖に通して王太子妃からいただいた指輪を通して首から下げている。


 互いの結婚指輪はサイズがあわずに指にはまらないのだ。


「ぐっすり眠ってしまった」

「私もです。さすが大使のメイドですね。ベッドメイキングもばっちり」


「そのメイドが今日も掃除に来るだろうか」

「たぶん……そうじゃないですかね」


「いかん。適当にシーツを乱しておこう。メイドが怪しみ、王太子妃になにごとか言われては困る」


 言うなり、アレックスはベッドに近づき、無造作にシーツを引っ張ったりしたあと、とりつくろった風を装って掛け布団をかける。


「これでよかろう」

「そこまで気づきませんでした」


 ちょっとドン引きした。


「我々は潜入捜査もするからな。やはりソファで眠らなくて正解だった」


 うむうむとうなずいている。


「あ。でも気になるようならメイドの訪問を控えてもらいましょうか。数日は私が在宅しているわけですし。家事は私が」

「その手では無理だろう」


 アレックスが一瞥する。


「バケットパンのようだが」

「時間だけはあるんですから、片手で大丈夫です。それに少し動かしたほうが浮腫むくみも減る気がするんですよね」


「浮腫みなのか、それは。腫れではないのか」

「まあ、やってみます」


 リドリアが笑うと、アレックスは小さくため息をついて最終的にはうなずいた。


「わかった。無理するな。あと、寝室だけはメイドに手伝ってもらえ。そして我々が初夜を過ごしたのだということを知らしめるのだ」

「わかりました。それでですね、アレックス卿」


「なんだ」

「私、着替えたい」


「寝間着でいろ」

 昨日のことなど忘れているだろうと、しれっと申し出たのに、瞬殺された。


 両親を亡くして以来、どんなに体調が悪かろうがリドリアはフィンリーの教育のためにも「朝起きたら着替える」を徹底してきたというのに。


「このあと家事をしたいですし、寝間着では」

「上からガウンを着て動け。というかけが人なんだから家事もほどほどにしておけ」


「でも明日は勤務が入っています。そのリハビリも兼ねて」

「その腕の様子では数日勤務は無理だろう。王太子妃殿下にその旨伝えておいてやる」


「うう……。王太子妃殿下に数日お会いできないとは……。くれぐれもよろしくお伝えください」

「うむ。では、俺は隣室で着替える。そのあと朝食にする予定だから、貴嬢も準備を整えて食卓に来るように」


「わかりました」

 こうして、新婚初日が始まった。

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