第21話 王女メリッサのいやがらせ

 その半時間後。

 リドリアは競技場の隅にある倉庫脇にいた。


(新居、ねぇ……)


 倉庫の壁にもたれながら、ほう、とリドリアはため息をついた。

 話がどんどん進んでいる。思いがけない方向に。


 新居なんて。

 アレックスの家にときどき自分が顔をだす程度でいいだろうと思っていたが、彼が寮生活だったのが誤算だ。


 偽装結婚のための偽装の新居を探す必要があるのだろう。


 わあ、と競技場のほうから大きな歓声が上がった。

 いまは弓術が進められている。誰かの矢が的中したのか。


(私も早く王太子妃さまのところに戻らないとなぁ)


 アマンダとセイラにはアレックスに呼び出されたことを伝えているが、王太子妃には伝えていない。不審に思われる前に戻らなくては。


 早く来ないかな、とリドリアは周囲を見回した。


 ここは競技場の東端にあたる。

 倉庫というから小屋のようなものがひとつあるのかと思ったら、「倉庫群」だ。


 平屋の倉庫が4棟、ずらりと並んでいる。

 それぞれ収納されているものが違うのだろう。その目印のために色が違う旗が外壁に描かれているようだ。


 フィールドに最も近い倉庫には赤い旗の絵が。

 その倉庫の裏には黄色い旗の絵が。

 そうして青い旗の絵が描かれた倉庫は一番フィールドから離れたところにある。


 前の倉庫が影になっているため、アレックスが指定した青い旗の倉庫は日陰になっていて居心地は悪くない。おまけに完全に人目がない。競技に必要な物品はすでに外に出されているからだろう。


 ただ、かび臭い。

 というのも、御前試合のために予備のテントを外に出しているらしく、その未使用分が青い旗の描かれた倉庫の脇に山積みにされているのだ。


 テントの脚が乱立しているのはまだしも、風が吹けば天幕のかび臭さが漂ってきて、リドリアはなんだか鼻がむずむずする。


 ふわりとまた風が倉庫群に吹き込み、リドリアが顔を背けようとしたとき。


 こつり、と目の前で小石が跳ねた。


「ん?」


 あきらかに小石は左手側。

 東から投げ込まれた。


 リドリアは倉庫から背を離して視線を向ける。

 テントが無造作に積まれた奥から小石は投げられた。


「誰?」


 そっと尋ねると、ひょい、とばかりにまた小石が投げられた。


「アレックス卿?」


 まだ人目を気にしていて、自分を奥に誘導しようとしているのだろうか。


 リドリアは小石が投げられたほうに足を向け、歩き出す。

 倉庫の前を通り、テントが積まれているところまで近づくと、むっと天幕の匂いがきつくなる。


「アレックス卿?」

 ここ、なんだか嫌なんですけどと続けようとしたら、


「リドリア嬢?」

 予想外なことにから声がかかった。


「え?」


 反射的に振り返る。

 視界に移ったのは、いままさに到着したと思しきアレックスだ。


(え? なんで?)


 ではあの小石はなんだったのだ。

 自分をここに誘導したあの小石は。


 倉庫群の奥に行くリドリアをいぶかし気に見つめるアレックスだったが、急に「リドリア嬢!」と大声をあげて目を見開いた。


「え?」


 リドリアが小首をかしげるのと、ガタガタと物音が響くのは同時だった。

 物音にはじかれたように顔を上げる。


 テントの脚だ。

 壁に沿って立てかけられていた数十本の脚が自分のほうに向かって雪崩のように倒れてくる。


 とっさにリドリアは頭を手で覆ってうずくまるが。

 強烈な衝撃がいくつも身体や頭を打ち、右側頭部に激しい一打を受けたのを最後に気づけば意識を手放していた。



 その後。


 リドリアが目を覚ましたとき、顔を覗き込んできたのはフィンリーだった。


「あれ……」


 どうしているの、と言いかけて語尾がうめきに消える。

 二日酔いのときのような頭痛に襲われて顔をしかめる。こめかみに触れようとしてまた声を上げた。右手首が痛い。


「大丈夫? ここは医務室だよ」


 上半身を起こすと、フィンリーはベッドヘッドと背中の間に枕やクッションを差し込んでもたれやすいようにしてくれた。


「え? 医務室?」


 痛みをこらえながらそっと周囲を見回す。

 簡素な小さな部屋だ。


 ベッドが二床あり、そのうちのひとつはリドリアが使用していて、もうひとつは未使用のままきれいにベッドメイキングされていた。


 壁に沿うように薬品棚があり、その前にはスタンドを使用して手水用の金盥がおかれている。


 ふわ、と鼻先をくするぐるのは消毒用アルコールの匂いと、鎮痛用に使用される香草の香り。


 痛む右手を見ると、包帯でぐるぐる巻きにされている。ちょっとべたつくのはそのしたに膏薬を塗られているためだろう。


 左手でじくじく痛むこめかみにふれると、そこにも包帯が巻かれていた。


「覚えてる? 姉様、テントの脚の下敷きになったんだよ」

「あ」


 言われて思わず声が漏れる。


 そうだ。

 アレックスに呼び出され、その場所で待っていたら小石が飛んできて……。


「アレックス卿がすぐに引き出してくれたから倒れた時間とかも正確にわかったし、応急手当も早くてあれだったけど……。心配したじゃん」


 ほっとした様子でフィンリーが付添人用の丸椅子に座る。


「え? で。アレックス卿は?」

 尋ねたとき、ドアノックが3度。淡々と響く。


「あ。アレックス卿じゃない? ちょっと席を外してたんだ。はぁい。どうぞ」


 リドリアの代わりにフィンリーが応じる。

 扉が開いて入ってきた人物を見てリドリアだけではなく、フィンリーもぎょっとした。


 てっきりアレックスだけだろうと思っていたら、王太子夫妻も同行しているのではないか。


 アレックスが大きく扉を開き、ふたりが入室する。

 フィンリーは慌ててふたたび立ち上がり、リドリアもベッドから足をおろそうとしたのだが、王太子に制された。


「リドリア嬢はそのままで。目覚められたのですね、よかった」


 王太子ジョージは目元を緩めると、ソフィアと腕を組んだままリドリアのところまで近づいてきた。


「アレックスが変な場所に呼び出したばっかりに……。本当に申し訳ありません。なんだか貴嬢にはずっと謝っている気がしますが、どうか許してやってほしい」


「いえ、許すとかそんなんじゃなく……!」


 慌てて首を横に振るが、ソフィアは深くため息をつき、怒りの感情をにじませた目で扉脇に待機しているアレックスを一瞥する。


「ふたりっきりで会いたいのはわかりますが、場所を選んではどうでしょうか。それともなにかいかがわしいことでもしようとあのような場所へ?」


「なんだって⁉」


 いきりたつフィンリーに「違うって」とリドリアは慌てて声をかけた。


「新居や結婚式の日取りのことで打ち合わせようと……。その、お互いなかなか会えないものですから」


 ソフィアとジョージにそうとりなす。


「ですが場所は選ぶべきでした。大変申し訳ない」


 アレックスは自分に対し、深く頭を下げてくれた。フィンリーもその様子になんとなく矛を収めるが、ふとリドリアは当時のことを思い出して疑問を口にする。


「違うんです。いやあの……。確かにテントの脚が積んではありましたが、当然ですが安全に配慮されていました。それより、小石が飛んできて」


「小石?」

 フィンリーが小首をかしげる。


「そういえば……貴嬢、東のほうに歩いて行っていたな」


 アレックスも言葉を漏らす。リドリアはうなずいた。


 そして語る。

 アレックスと会うためにあそこで待っていたこと。

 テントが積まれた奥から小石が自分に向かって幾度か投げられてきたから、てっきりアレックスが合図をしているのだと思ったこと。

 そこで小石が飛んできたほうに足を向け、歩いたのだ、と。


 そうしたら全く真逆の方向から声がかかり、驚いて振り返ったところ、テントの脚が崩れて倒れてきたのだ。


「………あのさ」


 リドリアが語り終わると、室内の空気はまるで重みを感じるほどだ。

 誰もが口を開かず、それぞれが思考を巡らせていたのだが、口火を切ったのはフィンリーだった。


「まさかと思うけど、姉様、狙われたんじゃねぇよな」

「狙うって私を? どうして」


 目を真ん丸に開くとこめかみがズキリと痛み、顔をしかめたのだがそれに続いたのはソフィアだ。


「わたくしも同じことを考えました。これはその……嫌がらせ的ななにかではないでしょうか」

「私が、ですか? この私が?」


 何度も聞き返してしまう。フィンリーがさらに眉根を寄せた。不思議なものでそんな顔をするとまた少し幼く見えた。


「姉様が嫌がらせをされて、引き下がると得をする人がいるじゃん」

「引き下がるって、なにをよ。王太子妃さまの侍女ってこと? そういえば、最近この役職を希望する人がいるってアマンダが言ってたけど……」


「違う違う。アレックス卿だよ」


 焦れたようにフィンリーが言い、リドリアは目をまたたかせた。

 頭の中が真っ白になったまま目を扉脇に立つアレックスに向ける。


 いまも仏頂面だ。

 この無表情にもだいぶん見慣れたなと思いつつも、唇からこぼれ出たのは別のことだ。


「メリッサ王女、ですか」

 つまらなそうにアレックスは鼻を鳴らし、腕を組んだ。


「かもしれん。貴嬢を怖がらせて自ら婚約を辞退させようと企んでいるのかもな」

「まさかそんな」


「いや、ありうることでしょう」


 苦し気に言ったのはジョージだ。

 右手を額に押し付け、うなだれる。


「あの妹のことは誰よりわたしが一番よくわかっています。やりかねないことだ」


 うめくジョージを、いたわるようにソフィアが組んだ腕にそっと触れる。

 ありがとうソフィア、と無理に笑顔を作ったあと、ジョージはリドリアとアレックスを交互に見た。


「両陛下の耳には、先王妃陛下がゾーイ伯爵家の後見人になったことが入っています。ラブリア王国の第三王子とメリッサの婚姻についても早急に取りまとめることで合意は得ていることをあなたがたにもお伝えしたい」


「ありがたいご配慮です」

「申し訳ありません」


 アレックスは組んでいた腕を解いて頭を下げ、リドリアもベッドに座ったままではあるけれど最大限の礼をする。


「だけどあの妹のことだ。いったい何をしでかすかわからない。だから君たちがよければもう正式に結婚してはどうだろうか」


 ジョージに言われ、アレックスとリドリアはぴたりと動きを止めた。

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