第20話 優勝者

 二時間後。


 リドリアは王太子妃のテント内で大きなため息をついてティーポットを持ち上げた。


 王太子妃ソフィアの笑い声が近くで聞こえて、リドリアは我に返る。


「もうよいではありませんか。フィンリーは健闘しましたよ?」


 ねぇ?とばかりに、お茶菓子を盛りなおしているアマンダにソフィアは小首をかしげて見せた。


「その通りかと。だってベスト8ですよ、ベスト8。初出場でこれはなかなかの好成績よ」


 アマンダはお茶菓子の並びを変えながら、もうひとりの侍女のセイラとともにティースタンドを持ち上げた。そのままソフィアの側にあるテーブルに乗せる。同時にミシェル先王妃が使用していたカップや皿を下げた。


 彼女はさっきまで王太子妃のテントで格技部門の試合を観戦し、一緒にフィンリーを応援してくれていたのだ。いまはたぶん、両陛下のテントにいるのではないだろうか。


「ですが、あれは勝てた試合です!」


 憤然とリドリアは言う。


 御前試合は4つの部門に分かれている。

 格技、剣技、弓術、馬上槍であり、この順番に試合は進行する。


 フィンリーは格技の部門に出場してベスト8まで進出したものの敗退した。

現在、フィールド内では剣技の決勝が行われているはずだ。


「なぜあんなにあっさり敵の間合いに入ってしまうのか……。もう我が弟ながら信じられません!」


 フィンリーの試合内容を思い出し、むきーっとリドリアは思い出し怒りに地団太を踏む。


 相手は確かに大男だったし、陛下の近衛騎士である黄金獅子騎士団の団員だ。なんなら、彼はその後準優勝をした。


 なのでまだ10代で学生の身であるフィンリーでは太刀打ちできない相手ではあったのだろうが、勝負を覆せるポイントがいくつかあったのに。


 そんな姉が想像ついたのだろう。


 フィンリーはソフィアに「負けた」旨の報告をし、ミシェルから労わられたあと、そそくさとテントを出て行ってしまった。追いかけてなにか言おうとしたのだが、あっさりとどこかに消えてしまうのだから逃げ足だけは早い。


 ソフィアからも同僚の侍女たちからも「怒っちゃダメ」とたしなめられているが、時折間欠泉のように悔しさが沸き上がる。これなら自分が出場したほうが負けてもスッキリするというものだ。


 リドリアがティーカップにお茶を注ぎ、ソフィアの前に差し出した時、フィールド内が一斉に沸き上がった。


「あら!」


 セイラが嬉し気に手を打ち鳴らしたのは、リドリアがソフィアのカップを入れ替え、テント奥で片づけをしはじめたときだった。


「リドリア、リドリア!」

 アマンダの上気した声は、ラッパが打ち鳴らすファンファーレと重なる。


「アレックス卿が優勝されたようよ!」

「すごいすごい!」


 へぇ、とリドリアは水をいれた盥の中に使用済みのカップをいれた。

 そういえばアレックスは副団長ではなかったか。

 有翼獅子団で〝猟犬〟といえばどこか密偵の匂いがするが、騎士らしく剣技も標準以上にできるらしい。


「他人事みたいに立ってないで。ほらリドリア。テントの外に出なさいな」

「え。テントの外……ですか?」


 ソフィアが急かすので戸惑いながら振り返る。


「そうよ。ブーケよ、ブーケ!」

 アマンダもそわそわと外の様子を見ながら言う。


「ほら! もう表彰が終わったわ!」


 いつの間にかテントを出て様子を見ていたセイラがリドリアのところまで小走りに近づく。


「片付けとかは私たちがやっておくから、ほらほら! ブーケよ!」

「ブーケ。……ああ!」


 ようやくリドリアは思い出した。


 優勝者はフィールド内で表彰され、陛下から金一封を。王妃陛下からはブーケを授けられる。


 そのブーケだが、既婚者や婚約中の者は妻に、それ以外のものはあるじに贈ることが慣例となっていた。


 アレックスの場合、去年までであれば王太子ジョージにそのブーケは手渡されていたのだろうが、今年はリドリアが婚約者としている。


「え。でも私、にわか婚約者ですから」


 偽装婚約者というわけにはいかずにそう言ったのだが、セイラにあきれられた。


「にわかでもなんでも婚約者は婚約者でしょう」

「いやあ……。というか、恩義に厚いアレックス卿のことですから、王太子殿下のテントに行かれるんじゃないですか?」

「そんなことないわよ。ほらっ」


 布巾を手に取って仕事を続けようとしたら、その布巾を奪われた。そのまま肩をつかまれ、ダンスのようにくるりとターンさせられた。


「早く、ほらリドリア! きゃあ! 来た来た!」


 セイラと入れ替わりにテントの入り口で様子を見ていたアマンダが悲鳴を上げて顔を真っ赤にしている。


 すぐに会場からは指笛と拍手が巻き起こったのが聞こえた。


(え? 本当にこっちに来てるの?)

 困惑しながらリドリアはセイラに背中を押されてテント入り口に向かう。


「というか隣は王太子殿下のテントですよね? そっちに行ってるんじゃ……」


 だとしたら赤っ恥ではないか。


「王太子殿下のところに行けば、きっと王太子殿下はアレックス卿を叩きだすことでしょう」


 ソフィアがにこやかに言う。


「ほら、テントの外でお待ちなさい。これは命令ですよ」


 そうソフィアに言われてしまえば、断るわけにもいかない。


 もしアレックスがリドリアのところに来なければ会場中の爆笑を買いそうだが、もうそれでもいいやとあきらめの境地でリドリアはテントを出た。


 まずまぶしさに目を細め、続いて想像以上の指笛や歓声にぎょっとする。


 光に慣れた目を前にむければ、フィールドからまっすぐにアレックスが花束を抱えて歩み寄って来るのが見えた。


 派手な金属音や冷やかしの声が近くで一斉に上がり、肩を跳ね上げて顔を向けると、王太子殿下のテントだ。


 王太子殿下の、というより有翼獅子騎士団が騒音を立てている。


 いずれも副団長であるアレックスを冷かしているようで「キスしろ」だの「一発かませ」だのわけのわからない声を上げていた。


 それだけではない。

 会場中の視線がこちらに向いていて、拍手がだんだんと大きくなるから怖い。


 に、いいのか、これは。


 そんな思いに冷汗を浮かべながら、リドリアはテントから離れてアレックスのほうに近づく。


 彼のほうもリドリアに歩み寄ってきていた。

 相変わらずの仏頂面だ。


 いや、仏頂面などというありふれた言葉では表現できない。もう虚無だ。彼の顔から感情というものは存在せず、無が支配しているようにさえ見えた。


「優勝おめでとうございます」


 近づいてきた彼に仕方なくそう声をかける。

 周囲に人はおらず、なにより拍手や指笛、罵声でリドリアの声だって彼にギリギリ届いているかどうかというところだ。


「ありがとう」

 平坦な声でアレックスは答えると、ブーケを差し出してきた。


「慣例だから受け取ってくれ」

「それは……光栄です」


 受け取ろうと伸ばした手をぐいとつかまれ、引っ張られる。

 たたらを踏んでアレックスの胸に飛び込む形になった。


 ブーケごと抱きしめられ、リドリアは目を丸くする。


 途端に会場からは盛んな指笛が巻き起こり、打楽器まで鳴り始めた。「まだそんなことは早い!」と怒鳴っているのはフィンリーの声に似ているが気のせいだろうか。


「このあと競技場の倉庫で待っててくれ。青い旗の描かれた倉庫だ。行けばわかる」


 耳元に口を寄せてささやかれる。


「は?」

「諸々打ち合わせをしよう。結婚式の日取りとか。貴嬢、王都の西区と東区のどっちがいい? 新居も探すことになるとは……」


 ああ、なるほど。

 自分もアレックスも忙しい身だ。


 さっきソフィアとミシェルに「結婚式の日取りと新居を」と言われたが、それを打ち合わせる日を別に作るより、このあと簡単に方向性だけでもすり合わせておきたい、というところなのだろう。


(変なところで真面目だなぁ)

 彼に抱きすくめられたまま、リドリアはあきれる。


「キース、キース!」


 有翼獅子騎士団からはいまだにキスコールがしつこい。

 リドリアが苦笑いすると、アレックスが舌打ちして身を離す。


 きょとんとした顔で見上げるリドリアの頬に軽くアレックスがキスを落とした。

 途端に地鳴りがしたのかとおもうほど会場が沸く。


 花束を握り締め、顔を真っ赤にして棒立ちになるリドリアを残し、アレックスはさっさとその場を離れて行ってしまった。


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