第19話 理想の結婚生活

「助けていただき、なんとお礼を申し上げればいいか……!」


 アレックスがミシェルに深々と頭を下げる。それに続いたのはフィンリーだ。


「ありがとうございます。これで姉様もようやく結婚できそうです」


 途端に「う」とうめいたのは、リドリアだ。


 これは。

 確か偽装婚約だったのではなかったか。


 そして3年後、リドリアとアレックスは婚約破棄をし、それまでにアレックスがみつけてくれた「結婚に適した男」と自分は新たに婚約を結び、結婚をする約束だったような。


「………………おかげで……結婚まで無事進めそうです…………」


 アレックスが顔を伏せたまま言う。


 やじ馬たちはすでに三々五々去って行ったこともあり、誰の耳にも聞こえなかっただろうが、リドリアにははっきりと聞こえた。結婚の前に「偽装」がついたのを……。


「フィンリー!」


 遠くで弟を呼ぶ声にリドリアはめまいを覚えながらも顔を向ける。

 一角獣騎士団の騎士たちが「もうそろそろ来い」と手招いている。


「わかった! あの、ミシェル陛下。また改めてお礼に伺います」


 勢いよく頭を下げるフィンリーに、ミシェルは「あなたいいこねぇ」とほのぼのした雰囲気で微笑む。


「それからアレックス卿! あの、あんまり挨拶に来ないから、ぼく、てっきり姉様とのこと偽装なんじゃないかって疑ってて」


 ぎくりと、リドリアとアレックスは表情をひきつらせたが、上気したフィンリーには気づかれなかったらしい。


「だってほら。アレックス卿ほどのひとがなんで結婚してねぇの?って純粋に疑問だったしさ。ひょっとして変な性癖とか」

「フィンリー!」


 素っ頓狂な声を上げてリドリアはたしなめるが、フィンリーはけろりとしたものだ。


「だけど、こんなにしっかり姉様のことを思っていてくれたなんて……! 疑った自分が恥ずかしいよ」

「…………いや、こちらこそ。挨拶が遅れたこと、誠に申し訳ない。また今度はゆっくり食事でも」


「うん!」

「〝はい〟でしょう⁉ もう、この子は! レイディング卿! 弟は普段、もっと礼儀正しいんですが、士官学校に行きだしてからなんだかもう言葉遣いもなにも」


「いつもこれじゃん」

「違うでしょう! 私はそんな言葉を教えた覚えはありません!」


「ってかもう、行っていい?」

「よくない!」


 目を吊り上げてリドリアはフィンリーを叱ろうとしたのだが。


 不意に小さな笑い声が聞こえて動きを止めた。

 視線だけ動かすと、アレックスだ。


 珍しい。

 本当に珍しいが、口元を丸めたこぶしで隠すようにして笑っていた。


 ぽかんとみつめるリドリアの視線に気づいたのか、目元を緩めたままアレックスは言った。


「いや。仲がいいのだな、と思って。それに士官学校にはいれば同じ年頃の男の中でもまれて口も態度も悪くなる。貴嬢は心配しすぎだ」

「そ……そうでしょうか」


「そうだよ」

「フィンリーは黙ってなさい!」


 ばしりと弟の肩を叩くと「痛い!」と大袈裟に騒ぎながらも、フィンリーはミシェルとアレックスに一礼をして仲間たちのほうに駆けて行った。


「元気が一番よ。ねぇ?」


 ミシェルがにこにこ笑い、アレックスが同意のために無言で首肯する。


「それでは申し訳ないけど、王太子妃殿下のテントまでご案内いただけない? お伺いしようとした矢先にこの騒ぎになってしまって」


 ほほ、とミシェルが笑う。


「これは失礼しました! こちらです!」


 リドリアが率先して歩き出す。

 その隣にアレックスが並んだ。


「リドリア嬢」


 小さな小さな声でアレックスに呼びかけられる。

 足を止めず、視線だけ彼に向けた。


「貴嬢に提案したい」

「なにをですか」


「偽装結婚だ」

「もう……それしか我々に残された道はありません」


 いまさら「偽装婚約でした」などと言えない。


 いや、ぎりぎりリドリアはいけるかもしれない。王女メリッサに全責任をとってもらい、悲劇ぶることは可能だろう。


 だが同じく悲劇を演じたところでアレックスは王女メリッサを嫁に迎えねばならないのだ。


 アレックスとしては全力で回避したい事態だろう。


(結婚……ねぇ)


 悲壮な顔で隣を歩くアレックスを一瞥する。

 氏素性も容姿も悪いところはない。

 誰もがうらやむ交際相手だろう。


 だが、結婚相手となるとどうだろう。


 家庭を築き、子を育て、なにかあれば共同で対処をする。

 そして共白髪になるまで連れ添う

 アレックス・レイディング。


 リドリアは彼のひととなりをまだ知らない。

 なにが好きでなにが嫌いで、どんなことに笑うのか。


(そもそも共通の話題なんてあるのかしら) 


 彼と生活をしてもいいが、それはまるで「上司と部下」のような関係性になるような気がする。あるいは戦友か。


 それがリドリアの理想の結婚生活か、というとやはり違う。


(……まあ偽装結婚だし)


 愛情など望むべくもない。

 きっと同居生活を送る相手にしかなれないだろう。


 そしてそれはアレックスもそう感じているに違いない。

 そんなことを考えながら王太子妃ソフィアのテントに到着した。


「王太子妃さま。先王妃のミシェル陛下がお越しでございます」


 訪いを告げてテントに入ると、紅茶を飲んでいたソフィア王太子妃が驚いて立ち上がる。


「まあ、ソフィア王太子妃殿下。お久しぶりでございますわねぇ」


 アレックスにエスコートされ、おっとりとした様子で入ってきたミシェルに、ソフィアは最大級の敬意を示すと、アマンダに指示をして椅子を用意させた。


「こちらこそ無沙汰をしておりまして……。ミシェル陛下につきましてはご機嫌うるわしゅう」

「ありがとう」


 アレックスに椅子をひかれて着席するミシェルを確認し、ソフィアも席に座りながら戸惑った声音で尋ねた。


「それで……あの。本日は」

「そうそう。あのねぇ。両陛下よりメリッサ王女のことをお聞きしましてね」


 ミシェルは初めて眉根をよせて困ったような表情を作って見せた。


「結婚の件で問題を起こしそうだとか。それで力を貸してほしいとおっしゃって……。社交界も引退した妾にはなんの力もないとお断りしたのだけど、ついさっき、偶然あんな様子をみてしまったら……」


 ほう、と憂いた表情でため息をつく。

 ミシェルの侍女が一礼をしてソフィアの側まで近づき、小声でさっきのレイディング侯爵夫人とリドリアのやりとりを説明した。


「そんなことが! リドリア、それは傷ついたことでしょう。メリッサ王女の動きをしっかりと確認しておくべきでした。わたくしの配慮が足りませんでしたわね」


 オロオロとソフィアが言うのでリドリアは慌てた。


「とんでもございません! ミシェル陛下がご加勢してくださいましたし、私の後見人を引き受けてくださいましたので」

「まあ!」

「なんというか、義を見てせざるは勇無きなり、ともいうでしょう?」


 ミシェルはそのあと、いたずらっぽく笑った。


「それに、素敵な騎士がしっかりとリドリア嬢を守ってくださっていましたから。まあ、心配はなかったのですけどね」

「アレックス卿。あなたもありがとう」


 ほっとしたようにソフィアは言う。アレックスは頭を下げて礼をした。


「いえ。我が母がご迷惑を……」

「というか、もう結婚してしまったら?」


 のんびりとミシェルが提案をする。


 ほらきた! リドリアとアレックスは脳天から杭でも撃ち込まれたかのように背筋を伸ばした。


「そうですわ! 既成事実を作ってしまえば、いくらメリッサ王女でもあきらめるでしょう。そうしましょう、リドリア!」


「いえ……その。あの、うちにはまだ未成年の弟がいますので、結婚して家を出るわけには……」


 たどたどしく反論を試みるが、ミシェルとソフィアは意気投合しはじめた。


「あんなにしっかりした子ですもの大丈夫でしょう? まずは月の半分をアレックス卿との新居で過ごし、残りは弟君と一緒に過ごして引継ぎをしていけばどうかしら」


「素晴らしい提案をありがとうございます、ミシェル陛下。リドリア、ぜひそのとおりにいたしましょう」


「いや……あの、俺も騎士団寮住まいで……。その新居と言われましても……」


 リドリアの助太刀に向かったアレックスだったが、不意にミシェルが椅子から立ち上がった。


「王城近くに王家のタウンハウスがいくつかあるはずだわ。いまから陛下にお願いに行って、ひとついただいちゃいましょう」

「まあ、よいことです! ミシェル陛下、わたくしも同行します」


「ひぃ! ちょ……っ! やめてください!」

「お待ち……、お待ちを! かような! かような提案は不要にございます!」


 ミシェルとソフィアがすたすたと出入り口に向かうのを、リドリアとアレックスは必死で制するが「遠慮しないで」「そうです。陛下もきっとご協力くださいます」と笑顔で強行突破してくる。


「し、新居はふたりで選びたいのです! な、なあ⁉ リドリア嬢!」

「そそそそそそそ、そうです! こだわりぬいた内装! 壁紙!」


 アレックスに促されて、意味不明のことをリドリアは口走るが、はたと先王妃と王太子妃は足を止めた。


「それもそうよねぇ。妾だって古い家は嫌だわぁ」

「確かにそうでした。リドリアの好みもありますでしょうし」


 ふたりは顔を見合わせてうなずき、それからアレックスを見てにっこりと微笑んだ。


「それでは近日中に結婚の日取りを決めて、新居を見つけるように」

「わかりましたね? アレックス卿」


 アレックスは、ただただ「はい」とうなずくしかなかった。

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