第17話 レイディング侯爵夫人の命令

「あなたがリドリア・ゾーイ伯爵令嬢ですか」


 急に名前を呼ばれてぎょっとする。


 例の日傘の一団だ。

 先頭を歩く年かさの女性がリドリアを見据えていた。


「ええ、そうですが……」


 リドリアが困惑気味にこたえると、ふくよかな女性が「まあ」とまろやかな声を上げた。


「では、あなたが王太子妃殿下の侍女の? 確かアレックス卿とご婚約を結ばれたのでは?」


 ふくよかな女性が情報通なのか、それともその話題はすでに出回っているのか。


 オロオロとうろたえている間に、「レイディング侯爵夫人。この娘がそのようです」と、年かさの女がさっと道を開ける。


 奥から出てきたのは、日傘をさしかけられた30代にもみえる女性だった。

 着ているものがすでに別格で、髪型や化粧も非常に品が良い。


 そして。

 どこかアレックスに似てもいた。


「あなたが? で? 隣のその近衛騎士は誰です。一角獣騎士団のようですが」


 どこか金属を打ち鳴らしたような声音でレイディング侯爵夫人が尋ねた。


「私の弟でフィンリーと申します。お初にお目にかかります、リドリアと申します」


 慌ててリドリアは片膝を曲げ、ドレスのスカート部分をつまんで礼をした。


 レイディング侯爵夫人の侍女たちからは「礼儀は知っているようね」「でもごらんなさいな、あのお召し物。家格が知れてよ」とこれ見よがしな声が聞こえてくる。


「そういえば、爵位は弟に継がせるのよね。それさえなければ考えてもよかったのだけど……。いえ、それはないわね。ゾーイ伯爵領なんてたかがしれている」


 ふう、とレイディング侯爵夫人がため息をつくと、侍女たちが一斉に笑い出した。

 カッとなったのはリドリアよりも先にフィンリーだった。


「無礼だな!」


 怒鳴って一歩踏み出そうとしたのだが、それより先にふくよかな女性がおっとりとレイディング侯爵夫人の前に進み出た。


「こんにちは、レイディング侯爵夫人。お久しぶりでございますわねぇ」


 にこにこと笑顔を崩さずに話しかける。

 だが、レイディング侯爵夫人には覚えがないらしい。怪訝な顔で「こんにちは」と返して、すぐにリドリアに視線を戻した。


「リドリア・ゾーイ伯爵令嬢。あなたがなかなか挨拶に来ないものですから、こちらからうかがったわ」

「それは……あの、大変失礼しました」


 慌ててリドリアは頭を下げるが、納得いかないのはフィンリーだ。


「そっちが挨拶に来るべきでは? 姉はアレックス卿から婚約を申し出られたのですから!」

「フィンリー!」


 すでに周囲は人だかりになっている。


 レイディング侯爵夫人はそもそもある程度の人数でかたまっているが、こちらはリドリアとフィンリー。それから謎のふくよか女性とその侍女だけだ。多勢に無勢なうえに、目立ったところでいいことはなにひとつない。


「あら。でも、そういった話が上がったのなら、あなた、挨拶ぐらいいかないと」

 ふくよか女性が「めっ」とばかりにフィンリーに言う。


「え、そうなんすか」

「そうよ。あなた、ゾーイ伯爵家を継ぐんでしょう?」


「はい」

「だったらお姉さまのためにも、あなたが相手の家に乗り込むつもりで。ね?」


「しまった……。マジっすか」

「でもいいわよ。若いんだし、仕方ないわ。いまからいろいろ学べばいいの。それに本来は、殿方のほうからうかがうのが正式なんだし」


 ふくよか女性はにこにこ笑い、侍女に「ねぇ?」と言った。「そうでございますね」と侍女も応じる。


「というか、その婚約話を破棄していただきたいの。わかるでしょう?」


 レイディング侯爵夫人が切り出し、それまで反省していたフィンリーがまなじりを上げた。


「はあ⁉ どういうことっすか!」

「あら。姉君から聞いてないの? メリッサ王女との婚約話が持ち上がっているのよ」


 しれっとした顔でレイディング侯爵夫人は言いながら、パタパタと扇で風を送った。


「姉様、どういうこと⁉」

 フィンリーに詰め寄られ、リドリアは必死で首を横に振った。


「確かにメリッサ王女がアレックス卿との婚約を求められたけど、この前の話し合いでそれは反故になったはずよ」

「そんなのあなた、真に受けたの?」


 あきれたようにレイディング侯爵夫人が言う。リドリアはぐっと言葉に詰まって彼女を見た。


 明らかに、自分を軽んじている。


「そもそも、王太子ご夫妻の先走ったご厚情でこのような話が持ち上がったのでしょう? 本来なら……あなた、うちと家格が釣り合うと思う?」


 言い返せないリドリアと、怒りのために言葉も失うフィンリーをしり目に、侯爵夫人は滔々と語った。


「アレックスは昔からとてもやさしいし、仁義に厚い子なの。だからきっと主君である王太子殿下のお声がけを断れなかったんだと思うのね。その意を汲んで陛下が今回、このような縁組を提唱なさったのだわ」


 侯爵夫人のセリフに、侍女たちは一様に追従した。


「さようでございますよ」

「それなのにあの娘の思い上がり」

「恥ずかしいことこのうえないですわ」


「あなた、空気を読んで自分から断ろうと思わなかったの?」


 心底不思議そうに侯爵夫人に言われ、リドリアは腹をくくった。

 周囲の好奇心に満ちた視線も後押しした。


(婚約を断ろう)


 そうだ。ここまで言われてしがみつくほどの縁談ではない。

 そもそも「一度は婚約した」という実績は作ったのだ。


 もういい。

 弟の縁談には差し障るまい。


「そうおっしゃるのであれば」

「そ……っ! そんなもん、こっちから願い下げだ!」


 怒鳴りつけたのはフィンリーだった。


 リドリアはあっけにとられて隣にいる弟を見上げる。見上げてから、「ああ、この子、こんなに大きくなったのね」と思ったが、それよりなによりフィンリーは激怒していた。


「そもそもこっちはあんたの息子から婚約を申し出られて……っ! それで! ぼくも認めて! それなのに、なんだよ、それ!」


 もう語尾は滅茶苦茶だったが、ふくよかな女性が手を差し伸べ、フィンリーの背中を撫でた。


「そうよねぇ。こちらは乞われたから応じたのに」

「そうっすよね⁉ ぼく、間違ってないっすよね!」


 半泣きのままフィンリーがふくよかな女性に訴えている。

 それに同調しているのは、見物人たちだ。


 あまりにも侯爵家と王家が傍若無人なのではないのか。

 ゾーイ伯爵家はいいように振り回されている。


 そんな空気感があった。


(な……なんとか、この場をおさめないと)


 いまのところ、悪役になっているのはレイディング侯爵家だけだ。


 だがいつ、王太子妃に飛び火するかわからない。リドリアは焦りながらレイディング侯爵夫人に向き合った。


「このお話は、いずれアレックス卿を交えて……」

「待った―――――――!!!!!!!!!!!!」


 遠くのほうから怒声が響き渡ってきたかと思うと、当の本人がものすごい勢いで登場した。


 アレックス・レイディング卿だ。

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