第15話 婚約継続? 婚約破棄?
荒くなりそうな呼吸を整える。
手を引っ張って歩いていたアレックスもようやく足を止め、「早かったか?」と不審げに尋ねた。
「ええ、まあ。いやそうじゃなく……。え? アレックス卿との婚約? え? 私としてませんでしたっけ。婚約」
偽装ですけど、という部分はかろうじて飲み込む。
というのもすでに謁見室はすぐそばだ。
衛兵もリドリアとアレックスに気づいて、訪いの用意をしている。不用意な発言は避けるべきだ。
「そうだ。俺は貴嬢と婚約している。だが、強引に割って入ろうとしているのだ」
「いや、強引がすぎる」
「そこまでしてこの国に残り、王太子殿下に付きまといたいらしい」
リドリアはドン引きした。さすが王女。普通の感覚を持ち合わせていない。
「建前上、俺たちの婚約は王太子殿下と王太子妃が勧められた。それであるならば、本人たちの同意を得ていないのではないか、と。ならば貴嬢のためにも婚約破棄をし、新たに俺と婚約をしてはどうかとメリッサ王女は仰せだ」
「はあ……」
まあ、それでもいいが。
それが表情に出たのだろう。ぎろりとにらまれた。
「両陛下は俺と貴嬢をお召しになり、いまから事情を聴きたいとおっしゃっている。くれぐれも頼むぞ」
「なにをです」
「婚約継続の件だ! 貴嬢と婚約破棄すれば、俺はあんなとち狂った女を嫁にとらなくてはならなくなるんだぞ⁉」
顔を近づけ、小声で凄まれる。
(まあ……。そういうことになるわよね)
リドリアが婚約破棄をした瞬間、メリッサ王女は名乗りを上げるだろう。
そもそもリドリアとの婚約を認めていないアレックスの母は王女との結婚に喜ぶだろうし、父親も息子が結婚すればいいのだから相手は問うまい。
一番の被害者はアレックスというところだろうか。
「行くぞ」
衛兵が訪いを告げた。
アレックスがリドリアの手首ではなく手を握る。
たぶん、仲良しこよしの婚約者を演出したいのだろうが、この仏頂面では「犯人を引っ立てた警吏」ではなかろうか。
せめて自分だけでも笑顔のほうがいいのだろうかとも考えたが、無表情の男の隣でヘラヘラ笑っているのも変だ。
リドリアは不安しかないままに謁見室に入室し、ぞっとする。
室内には王族しかいなかった。
真正面の豪奢な椅子には王と王妃が。
その右手側には王太子夫妻が。
左手側には王女が座ってリドリアとアレックスの登場を待っていた。
「アレックス・レイディング並びに婚約者のリドリア・ゾーイ伯爵令嬢。陛下のために参じました」
淡々とアレックスが告げて頭を下げる。
リドリアも手を握り締められたまま、カーテシーを行った。
「堅苦しい挨拶はなしでいこう。アレックス、さあ」
最初に声をかけたのはバイロン王だ。
アレックスはあっさりと顔を起こしたが、リドリアはオドオドとそれに続く。
ジョージ王太子殿下とよく似た色の瞳が柔和に緩み、リドリアは若干ほっとした。
「少し確認をしたいのだ」
バイロン王は甥でもあるアレックスに言い、ちらりと隣に座る王妃に視線を走らせた。
彼女は無言のまま小さく頷く。
可憐で美しい王妃の目元にはうすくくまが見える。娘のわがままのせいで疲労困憊しているように感じた。
「此度のお前の婚約の件だが、王太子がかかわっていると聞いた。それは本当か?」
「ええ、そのとおりでございます」
アレックスはバイロン王にきっぱりと告げる。
「ほら! ね? お父様、あたしの言ったとおりでしょう⁉」
華やいだ声を上げたのはメリッサ王女だ。
リドリアは視線をそっと彼女に向けた。
こうして間近で見ると、兄である王太子とよく似た外見をしている。ジョージ王太子が母親似でもあるため、双子と言っても差し支えないほどふたりは酷似していた。
「アレックス。お兄様に命じられて断れなかったんでしょう? この場で言いなさい。本当は嫌なんだ、って」
メリッサ王女は立ち上がり、アレックスに命じた。
「アレックス」
こつりと音がして顔を向ける。
今度立ち上がったのはジョージ王太子だ。
「確かにきっかけを作ったのはぼくかもしれません。ですが、ぼくの目から見て、君はこの婚約を嫌がっているようには見えなかった。そのことについてはどうなんだい?」
「お兄様は黙っていて! アレックスが本音を言えないでしょう⁉」
言うなり、両陛下のところまで跳ねるように進んだ。メリッサ王女はそのままバイロン王の首に腕を回してだきつく。
「ね? いいでしょう、お父様。アレックスは侯爵の息子だし、あたしが降嫁しても申し分ない身分だわ! いとこ同士っていうのがちょっとあれだけど、まぁ別に法を犯しているわけじゃないし?」
プレゼントをねだるようにメリッサ王女が言う。
「メリッサ。座りなさい」
弱弱しい声で王妃が注意する。メリッサはぷう、と頬を膨らませると、すとんとバイロン王の膝の上に座った。
まるで子どもだとリドリアはあきれる。
「確かにきっかけは王太子殿下のお声がけでした。ですが、それより以前に俺は彼女を知っていました。王太子妃殿下の侍女でありましたし」
アレックスが言う。抑揚はないが、よくとおる声で、両陛下だけではなく、王太子夫妻も彼を見た。
「王太子殿下の近衛騎士団のなかでも彼女は噂になっていました」
たぶんそれは「やけに強い侍女がいる」ということなのだろうと、リドリアは思った。
「そして初めて彼女を王城の回廊で見かけたとき、なんと……その、美しいのか、と」
関節技のことを言っているのだろう。
だがバイロン王も「ほう」とうれし気に言い、王太子夫妻は目を見かわして安堵の笑みを浮かべている。
「そのため、王太子殿下より婚約してはどうかとお声かけいただいたときは、内心喜んだものです」
偽装婚約を持ちかけられる、と。
そんな真実を知らない王族たちは「なんと」「それは喜ばしい」と小声で話し合っている。
(うまいこと言うなぁ……)
リドリアだけがアレックスに仰天していた。
この男、無口だと思っていたが違う。必要とあらばベラベラ嘘をしゃべる。
「さ、メリッサ。もうわかっただろう?」
バイロン王はひざの上から娘をおろすと、優し気に声をかけた。
「確かに王太子の発案によってふたりは出会ったわけだが、アレックスはリドリア嬢を憎からず思っていたのだ。な?」
「でもあたしはアレックスが欲しいの!」
メリッサ王女が金切り声を上げた。
「海のむこうにお嫁になんかいかないわ! あたしはお兄様の側を離れないんだから! だからアレックスと結婚するの!」
もう支離滅裂だ。
リドリアは思った。
この王女とはかかわりたくない。
いざとなったらアレックスを切り捨てよう。それが最善だ。
(そうだわ。ここで婚約破棄されたって私にはノーダメージ)
天啓を得た。
そうだ。
リドリアはアレックスと婚約をしていた。愛し合っていた。
だが横やりが入り、泣く泣くリドリアは身を引く。
(私は同情されこそすれ、非難されることも、ましてや『一度も婚約をしたことがない令嬢』ではなくなる!)
ならば弟の縁談にも差し障るまい。
そのリドリアの読みは。
すでにアレックスに察知された。
するどい視線を感じて、反射的に身構えると、アレックスが呪いを込めたような眼で自分を見ている。
「アレックス」
あきらめを含んだ声でバイロン王が甥の名前を呼んだ。
「メリッサがこういっているのだが……。もし、お前に少しでもこのメリッサの意をくんでやろうという思いがあれば」
「陛下! さきほどのアレックスの言葉をお聞きになっていなかったのですか!」
王太子がいきり立つ。語尾はバイロン王と王妃の重いため息が重なった。
「それにリドリア嬢に対しても失礼です!」
ジョージ王太子の言葉に、一斉に王族の視線が自分に集まった。
「いえ。あの……その、私は」
別に破棄でも構いません。
とっさに言いかけたが、かぶせ気味にアレックスが「陛下」と声を張った。
「もし王太子殿下が、臣下の妻を目に留め、『気に入ったから召すように』と仰せになり、その妻を手籠めになさったらなんとなさいます」
「そのような!」
バイロン王が声を上げるのを、きっぱりとアレックスが首を横に振って制した。
「いえ。敬愛すべき王太子殿下は決してそのような愚行はなさいますまい。しかし陛下。苦言を呈しますが、いま、陛下が俺に対してなさろうとしているのは、まさにそれと同じことではございませんか」
ぐ、とバイロン王が息を呑む。
「臣下の配偶者を強制的に召し上げるなど……。名君のなさりようとは思えません」
「そう……そうであるな。余が間違っておった」
バイロンがうめく。「お父様!」とメリッサが悲鳴を上げるが、バイロンは手を振ってそれを打ち消す。
「よいことを言ってくれた、アレックス。これからも王太子によく仕えよ」
「お父様!」
「ふたりとも行ってよい」
命じられ、アレックスとリドリアはここぞとばかりに素早く一礼する。
そのまま退室しようとしたのに、メリッサが駆け寄ってきてぎょっとする。
「あんた、失礼ね! あたしにアレックスを譲りなさいよ!」
どん、と突き飛ばされた。
転倒するのは防げたが、よろめくのは止めようがない。アレックスが支えてくれて難を逃れる。
「やめなさい、メリッサ!」
「いい加減になさい!」
王太子と王妃が同時に叱責し、バイロンがうなだれながら再度命じた。
「早く退室しなさい、ふたりとも」
アレックスにかばわれるようにしてリドリアはようやく謁見室を出る。
扉が背後で閉まるのを聞きながら、リドリアは思った。
この婚約は失敗だった、と。
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