第14話 メリッサ王女のわがまま

◇◇◇◇


 アレックスと御前試合の打ち合わせをした次の日。

 メイドたちとソフィア王太子妃の衣装をチェックしていたリドリアのところにあわただしくアレックスがやってきた。


「いかがされました?」 


 ドアノックもなく衣裳部屋が開かれたので、メイドたちは悲鳴を上げた。


 かばうようにリドリアは彼女たちの前に立ちふさがり、ジロリとアレックスをにらみつける。


「ここは王太子妃さまの衣裳部屋です。いまはご不在ですが、お寛ぎの王太子妃さまがいらっしゃるかもしれない部屋ですよ? 予定もなく訪問されるのは……」


「火急の要件だ」

 アレックスが吐き捨てるように言う。


「あいにくですが、王太子妃さまはこちらにいらっしゃいません」


 いぶかしく思いながらリドリアは応じた。

 さっき、陛下からお声がけがあり、謁見室に向かったはずだ。


「知っている。両陛下と王太子殿下が同席され、現在話し合いが続行されている」

「え? 王太子妃さまがいかがされました」


 話し合いの中心は王太子妃ソフィアのことなのだろうか。

 血の気がひきかけたリドリアに対し、アレックスはきっぱりと首を横に振った。


「違う。俺たちのことだ」

「俺たち、とは?」


 相変わらず能面のように表情を変えないアレックスを見つめ、リドリアはきょとんと尋ねた。


 真剣に意味がわからなかったのだが、アレックスはいら立った。

 小さく、だが鋭い音で舌打ちすると、「来い」と人差し指でリドリアを招く。


「両陛下と両殿下が俺と貴嬢をお呼びだ。来い」

「は?」


 なぜ一介の侍女である自分が呼ばれるのだ。

 呆然としているリドリアにいらだち、アレックスが足音荒く近づき、ぐい、と右手をつかんで引いた。


「俺たちの婚約の件で両陛下がお尋ねになるらしい。行くぞ」


 ずるずると部屋から引きずり出されながら、リドリアは今度こそ血の気が失せた。


(バレた……? 偽装婚約がバレた……?)


 それしか考えられない。


 アレックスの父親は陛下の弟だ。

 その甥っこが偽装婚約をした。


 その片棒を担いだリドリアは叱責というか懲罰というか、なんらかの処罰を受けるのではないだろうか。


 額から冷汗が噴き出し、ゾーイ伯爵家滅亡の文字が脳裏に明滅しはじめたとき。


「メリッサ王女がわがままを言い出した」


 予想もしないことをアレックスが言うので我に返る。

 相変わらず右手首を彼はぞんざいにつかみ、斜め前をずんずん進んでいるのだが、リドリアの視線に気づいたのか、ちらりと一瞥をくれた。


「いま、メリッサ王女の婚姻相手を探している最中でな」

「ああ……。そうですね。お年頃ですものね」


 確か自分と同い年ではなかったか。

 それなにまだめぼしい婚約相手はいない。


 メリッサの場合、リドリアのように家庭の事情で、というわけではない。明確な理由は知らないが、たぶん家格の問題だろう。


「確か、両陛下の寵愛が深く、なかなか良いお相手が見つからないとお聞きしていますが……」


 変な男にうちの娘を渡すものか的事情ではなかったか。


「違う」


 だがアレックスが一刀両断した。


「王女は王太子殿下を溺愛というか偏愛なさっている」

「………は?」


 今日、何度「は?」と言ったことだろう。


「俺は王太子殿下が幼少のころよりお側に仕えているが……。あの王女は少々おかしい」

「……いま、メリッサ王女を〝おかしい〟とおっしゃいました?」


 おそるおそる尋ねたというのに、アレックスは廊下をガツガツ歩きながら「言った」と断言した。


「王太子殿下への愛が重い。王太子殿下以外のものはそもそも恋愛対象外なのだ」

「え? そんな方でしたっけ?」


 思い返してみるが、王太子殿下にべったりくっついているような印象はない。


「そりゃあ公的な場でベタベタするような阿呆ではないが、私室ではひどいものだった」

「あ」


 そうだ。

 いくら貴族とはいえ、王侯貴族に拝謁できる機会はあまりない。


 せいぜい、公的な場で挨拶をのべる王族を見かける程度だ。

 リドリアが王宮に出入りし始めたのは、ソフィアが王太子妃として嫁いでからのことで、それからはしょっちゅう顔を合わせているが、それもここ数年の話。


 メリッサや王太子ジョージが小さかった頃のことなどとんとわからない。


「メリッサ王女がグイグイ来るものだから、王太子殿下はしばしば我が屋敷に逗留されたり、一時期は俺たちと一緒に寄宿舎にも入られた。まあ……」


 アレックスは口をへの字に曲げた。


「我々は王太子殿下の〝猟犬〟などと呼ばれているが、すべてはメリッサ王女対策だ。王太子殿下の寝所に潜り込もうとしたり、ひどいときには入浴室に真っ裸で入ってこようとしたからな」


 リドリアは愕然とする。


「え。実の兄妹なのですよね」

「当然だ。王妃陛下が腹をいためて生んだお子たちだ」


 リドリアにもフィンリーという弟がいるが、そんな対象でみたことはついぞない。


「言っておくが、おかしいのはメリッサ王女だけだからな。王太子殿下はいつも心を痛め、妹の奇行は過去の自分がなにかしたせいではないかと本当に悩んでおられた」


 なんとなく想像がつく。


「そこで陛下はなにか間違いが起こる前にと、隣国から申し出のあった話に飛びつかれ、ソフィア王太子妃殿下との婚姻をとりまとめたのだ」


 ふんふん、とうなずきながらリドリアはアレックスに連れられて歩く。

 すでにソフィアの衣裳部屋が入っていた建屋を抜け、回廊を渡って王城の中心部分に移動していた。


「王城内で屋敷を構え、新婚生活を送る王太子殿下を見てメリッサ王女もあきらめるかと思いきや」

「あ!」


 思わずリドリアは声を上げた。


「ひょっとしてあんなにしつこく王太子妃さまをいじめるのは、王太子殿下を取り戻そうと⁉」

「取り戻すもくそもない。もともと王太子殿下はメリッサ王女のものではなかった」


 苦々しくアレックスが吐き捨てる。

 だがリドリアはあきれ返った。


 盛大にあきれ返った。


 単純に邪魔だったのだ。

 自分の愛する兄に愛された女性が。


(ソフィア王太子妃さまはあんなに悩まれていたのに……)


 メリッサ王女になにか失礼を働いたのだろうか。

 メリッサ王女に気に入られるためにはどうしたらいいのだろう。

 義理の姉妹なのだからなんとか仲良くしたい。


 この国に嫁いでからソフィアが心を砕いているのは知っていた。


 メリッサどころか、その侍女や王女のとりまき貴族たちにまで軽んじられながらも、ソフィアは頑張ってきたのだ。


 その理由がこれでは……。

 なんだか強い疲労を感じ、リドリアは深く息を吐いた。


「王太子殿下のご結婚により、メリッサ王女の奇行もおさまるかと思いきや、王太子妃への憎悪はすさまじく、駐留外交官からも陛下に苦言が呈されるほどになっている」

「でしょうね」


 口からは平たんな声が漏れる。


 リドリアが逆の立場なら、文句のひとつも言いたくなるだろう。自国の姫が嫁ぎ先で小姑にいじめられているのだから。


「そこで本腰を入れて両陛下はメリッサ王女の婿を探し始めた。王太子殿下も対応策としてそれを推奨なさったのだ」


「ああ! そういえばお茶会でもそのようなことをおっしゃってましたね!」


 例の王太子妃主催のお茶会だ。

 そこで王太子は「王女を憂慮している。今後このようなことがないように秘密裏に話を進めている」と言っていた。


「それが、王女の結婚話、ですか」


 言葉の合間合間に息を継ぐ。

 というのも。

 アレックスの歩く速度が速すぎる。


 リドリアとて武芸で鳴らしていた。体力においては他の貴族令嬢の追随を許さないと自負している。


 だが、それにしてもアレックスの歩き方は早すぎる。

 メリッサ王女のことといい、アレックスの自分本位な歩き方といい、疲労感の理由はいろいろありそうだ。


「いまのところ、ラブリア王国の第三王子で話が進んでいるのだが」

「ラブリアって、あの海を越えた?」


「まさか海を越えてまで王太子殿下を追っては来まい」


 真剣な声にぞっとする。それほど深い愛なのか。


「だが、メリッサ王女が反発なさってな」

「でしょうね」


「俺との婚約を持ち掛けてきた」

「は?」


 完全に足が止まった。

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