第6話 ああこれは先手を打たれた
「おめでとう、アレックス」
「おめでとう、リドリア。よかったわね」
ジョージは拍手をし、ソフィアはリドリアにハグをした。
「ではわたしは執務室に戻って早速アレックスの婚約に関する書類を作成することにします。お邪魔しました」
ぺこりとジョージはソフィアに頭を下げ、足取り軽く扉に向かった。
「ああ、そうだ、ソフィア。午後に行われるガーデンティーパーティーには何色のドレスを着るのですか? わたしもタイの色をあなたに合わせたいのですが」
くるりと振り返り、無邪気に尋ねる。
ぽかん、と。
ソフィアだけではなくリドリアも彼を黙って見つめた。
「え? 妹のメリッサが主催する茶会ですが……。あなたのところにも案内が来たでしょう?」
戸惑いながらジョージが言う。ソフィアの視線に気づき、リドリアは慌てて首を横に振った。
「本日のご予定にそのようなものは……。招待状もいただいていませんし」
言いながら、必死に頭を動かす。手持ちのソフィアの衣装。靴、バッグ。アクセサリーを思い浮かべながら、ジョージに対して頭を下げながら尋ねた。
「失礼ながら王太子殿下。お召し物の色やデザインについて教えていただけますか? 早急に王太子妃さまのお衣装を……」
「わ、わかりました。ええ、すぐに連絡します。ソフィア。きっと妹はわたしが参加するから招待状をあなたに出さなくてもいいと思っているのです。妹の無礼については、わたしから叱りますので……」
ジョージが慌てたように言葉を尽くすが、ソフィアは優しく微笑んで首を横に振った。
「いいのです、王太子殿下。どちらにしろ午後にも公務が入っています。ねえ、リドリア」
言われてリドリアはためらいながらも、しぶしぶ首を縦に振った。
公務はある。
それは確かだ。
だがすべて日延べが可能なものばかりだ。王女メリッサの主催するガーデンパーティに参加しようと思えば参加できる。
だが。
招待状がこなかった。
これがすべてだ。
王女メリッサのいやがらせだ。
「メリッサにも困ったものだ。きつく叱った上に、両陛下にもこの件については報告し、厳重注意を行うとともに、例の……メリッサの婚姻話を早急に進めたいと」
「いいのですよ、王太子殿下。どうかここでおおさめくださいませ」
「ソフィア……」
「そんな顔なさらないでください。あ、そうだ」
意識して軽やかな声をあげたソフィアは、か細い指をあわせてリドリアを見た。
「1週間後でしたら、確か公務のない日がありましたわね。その日に、王太子殿下とそれからあなたたちふたりとでお茶会をしませんか? 庭の東屋で」
ぎょっとしたのはリドリアだけではない。アレックスもだ。
「え⁉ 私たちもですか⁉」
この婚約、偽装なんですけども、と言いかけて必死で飲み込む。
それが本当のことだとはいえ、いまここで言える雰囲気ではない。
目の前ではようやく気分が上がってきたジョージとソフィアが笑顔で見つめあっている。
「それはいい考えですね、ソフィア!」
「まあ、ありがとうございます。ではお話をすすめますね」
このふたりの雰囲気を崩したくない。
それはさすがに空気の読めないアレックスにもわかったようだ。
入室時よりもさらに苦虫をかみつぶした顔になったものの、無言の行に入った。
「あの……私たちふたりだけが王太子ご夫妻と一緒にお茶を飲むなど……その、畏れ多いので」
リドリアは散々迷った挙句に口を開いた。
よく考えれば、こんな4人で茶を飲んだところで話題が尽きるのは目に見えている。
そればかりか期間限定婚約であることが露見する可能性もある。なにしろ王太子妃の勘は鋭い。
「ほかにも参加者を募ってみてはどうでしょうか。きっと皆さまは私たちの話なんかより王太子殿下ご夫妻とお話しできる機会を探しているでしょうから」
ひとが増えれば王太子も王太子妃もそちらの対応に力を裂かざるを得ない。リドリアはそう読んだのだが。
ソフィアが長いまつ毛を伏せて美しい顔に影を落とす。
「ですがわたくしにはそのような……気軽にお茶会をお誘いする方はいらっしゃいません。招待状を出しても断られることは明白ですわ」
「そんなことはありませんよ。むしろこれは王太子妃さまの交友関係を広めるいい機会ではありませんか」
当初は自分たちから目線を外すために言い出したことだが、よく考えればこの口実を使って王宮内で孤立している王太子妃の味方を獲得することができるかもしれない。
「ですが……わたくしと仲が良いとわかれば厭うかたもおられるでしょう」
ソフィアはゆるゆると首を振る。王女メリッサのことだろう。
王太子妃主催のお茶会に参加したとなれば、今後メリッサの目の敵にされることは明白だ。
王女メリッサはまだ嫁ぎ先が確定していない。
外国に嫁ぐのであれば国内に残る王太子妃に恩を売ればいいが、国内の有力貴族に嫁ぐのであればいまここで王太子妃に肩入れするのは賢明ではない。
そんな判断の元、有力貴族たちは動いている。
「では、俺と同じような立場の人間を呼ぶのはいかがでしょう」
再び重い沈黙に支配された室内で、無言の行を終えたらしいアレックスが口を開いた。
「アレックスと同じ、とは?」
ジョージが小首をかしげる。
「王太子妃殿下は、王太子殿下の文官や主要な侍従官とは親しくしておられるようですが、俺のような武官とはまだ付き合いが浅い。考えたくはないが、今後不測の事態が発生し、ご夫妻の護衛に馳せ参じたとき、誰が味方で誰が敵かわからないようでは業務に支障をきたします」
淡々とした口調は、提案であると同時にどこか王太子妃を責めているようにも聞こえる。
リドリアはむっとした顔でアレックスを見上げた。
「王太子妃さまがあなたたち王太子殿下の護衛官のことを知らないのは仕方ないでしょう。文官や侍従官は王宮内で毎日顔を合わせるし、一緒に業務をすることもいっぱいありますが、あなたたちはずっと任務だなんだって外に出てるんですから」
「だが覚えようと思えば覚えられたはずだ。嫁いでこられて3年は経っているだから」
「その3年のうちに何回顔を合わせたと思うんですか。私だってあなたとこうやって話をするのは2回目ですけど」
「知ろうと思えばできただろう、と俺は言っている」
「知る必要はなかったの。だって王太子妃さまには王太子妃さまの近衛騎士がいますしね。ね? 王太子妃さま」
ふんっと鼻息荒くリドリアはソフィアを振り返る。彼女にも当然近衛騎士はいる。いるが、アレックスたちのような手練れかと言われたら実は自信がない。
というのも王太子妃つきの近衛騎士は10代半ばから22歳までの若年層によって構成されている。ほとんどが容姿で選ばれた貴族の少年たちで、いうなれば飾りなのだ。なんなら来年からその近衛騎士に弟も入る。弟の技量を見ればそのほかは推して知るべし、だ。
「その、ひとつ気にかかるのですが」
眉根を寄せて発言したのはソフィアではなくジョージだ。
「は、はい?」
なんだろうとリドリアがおびえるが、ジョージは険しい顔のままアレックスを見上げる。
「いま、リドリア嬢はアレックスと2回しか話したことがないといっていたようですが」
しまった、とリドリアは唇をかみ、お前な、とばかりにアレックスがにらみつけてきた。
「それは本当なのですが、アレックス」
「……………………そうだと、自分も認識しております」
「信じられません! 釣った魚にエサをやらなければ死んでしまうのですよ⁉」
なんかちょっと格言が違う気がするが、ジョージは釣りえさのゴカイでも見るような目つきでアレックスを注意した。
「婚約したからといって女性がそのまま結婚してくれるわけではないのですから。リドリア嬢を丁重に扱ってください」
「しかと承りました」
「手紙は毎日送るように」
「…………………はい」
「メモで済まそうと思ったでしょう。いけません、手紙です。ときどきは会って会話をし、花も贈るように」
「はい」
「いま、誰かに花を手配しようと考えたでしょう。いけません。自ら選びなさい」
ジョージのほうが年下だろうに、その叱りっぷりは堂に入っている。思わず吹き出しかけたリドリアだが、ソフィアがついっと動いたことに気づいて目をまたたかせる。
「まさかと思いますが、適当なところで結婚し、適当に結婚生活を送ればいいとおもっているのではありませんね?」
ソフィアはリドリアに並ぶと、アレックスを冷えた視線で刺した。
「なんなら婚約も数年後解消すればいいと。そう考えているのではないでしょうね」
ぎくり、とアレックスだけではなくリドリアも顔をこわばらせる。
「王太子殿下」
だがソフィアはそんなふたりを一瞥しただけであえて何も言わず、柔らかな声で夫に笑みを向けた。
「ぜひ、お茶会に殿下の〝猟犬〟たちをお呼び願いますか? わたくしも会いとうございます」
「かまいませんが、業務の関係があります。集められるだけでいいですか?」
「もちろんです。そしてそこで公表しましょう」
にっこりとソフィアは笑みを深めた。
「〝猟犬〟の副団長は正式に婚約者を迎えたのだ、それは王太子妃が大事にしている侍女なのだ、と」
ああこれは先手を打たれた。
アレックスとリドリアは内心で「ぎゃふん」とうめき声をあげた。
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