第5話 王太子夫妻の確認

◇◇◇◇


 リドリアとアレックスが婚約の約束をしてから1か月後のこと。


 王太子妃ソフィアの執務室に王太子ジョージとアレックスがやってきた。

 いや、正確にはジョージがアレックスを引っ張ってきた、というところだろう。


 いかにも育ちのよさそうな雰囲気を醸し出した容姿端麗な青年だ。今年24歳。妻のソフィアより4つ年下になる。茶色の瞳は砂糖がいくつも混じったお茶のように甘く、金砂をまぶしたかのような髪もやはりはちみつをとろかしたような優しさがある。


 対してアレックスはというと。

 あるじの悪をすべて抽出して流し込まれたかのように黒い。


 一か月前に初めて会った時と寸分たがわない容姿だ。

 服もそうだが髪も目も。佩いている剣の鞘まで漆黒だ。


 おまけに今日も苦虫をかみつぶしたような顔をしている。彼はこの世に生まれて一度でも笑ったことがあるのだろうか、とリドリアは不思議だ。


「突然の訪問、すみません。ソフィア」


 ジョージは礼儀正しく詫びたあと、執務室の中を見回した。

 室内には、執務中のソフィアとその事務処理を手伝っているリドリア。それから来客を取り次いだメイドしかいない。


「王太子妃様。扉の外に控えさせていただきます」


 空気を読んだのか、メイドが深々と頭を下げて退席する。一瞬迷ったもののそのメイドに従おうと頭を下げたリドリアだったが、


「あなたがリドリアですね?」

 ジョージに声をかけられ、きょとんとしたまま頭を起こした。


「さようでございます」

「このたびは、アレックスが大変失礼なことをした」


 そんなことを言いだすから目を丸くする。


「いったい、どういうわけなのでしょうか?」


 ソフィアが椅子から立ち上がった。


 今年28歳。隣国からたったひとりで嫁いできた彼女は、非常に美しい女性だ。

 夕日と同じ色の髪。若葉と同じ色の瞳をした彼女は、母国訛りなどまったくみせない流暢なこの国の言葉で尋ねる。


「わたくしのリドリアがなにか?」


 わたくしの、とちゃんとかばってくれているところがまた彼女らしい。

 それだけではなくソフィアはリドリアの執務机から離れてリドリアの側まで寄ってきてくれた。


「いえ。そういうわけではないのです。むしろ部下の不始末をわたしは詫びに来たのです」


 申し訳なさそうにしゅんとするジョージの姿は、どこか雨に濡れた子犬を思わせた。

 それがソフィアの母性本能をくすぐるのか、すぐに表情を緩ませる。


「まあ。王太子殿下を困らせるとは悪い部下ですね。いったいなにをなさったの?」


 そう言ってちらりとアレックスを見た。

 そしてふと長いまつ毛をまたたかせる。


「あら。あなたは確か、リドリアと婚約をしたアレックス・レイディング卿ではありませんか?」


 ソフィアはホッとしたように微笑んだ。


「わたくしの大事なリドリアを救ってくださり、ありがとう。そういえばまだ礼もせず……。わたくしこそ無礼者でしたわね」

「とんでもございません、王太子妃殿下」


 無表情でアレックスは言い、握ったこぶしを左胸に当てる敬礼をした。


「そのことなのです、ソフィア」

 形の良い眉根を寄せてジョージはむっとした顔をする。


「わたしはアレックスに、リドリア嬢と婚約をしてはどうかと言ったのです」

「ええ。それはわたくしもしっかりと聞きました」


 不思議そうにソフィアが言う。

 そんな主を見て、リドリアはしまったと冷汗が浮かぶ。


 あの事件の次の日。

 ソフィアはすぐにリドリアを招き、事の次第を説明するように命じた。


 リドリアはソフィアと王太子殿下に礼を述べつつ、『アレックス・レイディング卿よりお申し出があり、婚約を検討しているところだ』と言った。


 それを聞いたソフィアが『まあ、おめでとう』と笑顔で言ったのだ。


 ん?と確かにその時思った。


 『まあ、それでは婚約が決まったら教えてね』ならわかるが『おめでとう』と言ったということは、彼女はリドリアとアレックスが婚約したと勘違いしたのではないか、と。


 だが『見合いの話がある』とリドリアが告げたときにも『おめでとう』と言った。


 ということは、『進展の可能性があること』については、この王太子妃は『おめでとう』と言うのかもしれないと推測した。


 言語の壁がある。改めて真意を問い直すのもいかがなものか、とリドリアはスルーしていたのだ。


「あのとき、本当に求婚者がいればいいのですが……もし、誰かのいたずらのため、リドリアが恥をかかされるのではと案じ、わたくしが殿下に相談をいたしましたら、殿下はすぐにアレックス卿をお召しになり、『ちょうど君は未婚だから、この際リドリア嬢を娶ってはどうか』と。いえ、もちろん」


 目まぐるしくいろいろな予想を打ち立てていたリドリアは、不意にソフィアに視線を向けられて慌てて意識を彼女に集中させる。


「リドリアの意思は尊重するつもりよ? え? まさか……不本意ながらこの婚約を受けたのですか? あるいはアレックス卿が強引にことに及び、取り返しのつかないことがおこったためにこの婚約を受けざるを得ないような……っ」


「「いえ、そんなことはないです」」


 アレックスと声をそろえてソフィアの妄想を遮る。


「違うのです、ソフィア。婚約をしていないというのです、アレックスが」


 ぷんすかと怒りながらジョージがまるで告げ口をする子どものようにソフィアに訴えた。


「リドリア嬢と婚約をしてはどうかと勧めたものの、そのあと、なんの報告もわたしにはありませんでした。アレックスにそれとなく水をむけてもはぐらかすばかり。ソフィア、わたしが貴族の婚姻等々について報告をうける立場であることは知っていますね?」


「もちろんです、王太子殿下」


「それなのに一か月経っても正式文書も上がってこない。そこでさっき、任務に向かうというアレックスを捕まえ、問いただしたのです。そしたら……まだ正式にはしていない、と」


「え? リドリア。婚約したのですよね? それともアレックス卿となにか行き違いが?」


 ソフィアが不安そうに尋ねる。

 リドリアは非常に申し訳ない思いをしながら説明をした。


「今後婚約について検討をしていこうということで、アレックス・レイディング卿とは合意を得ました」


 なんだか議員の答弁のようだ。事実ソフィアは柳眉を寄せた。


「難しい言い回しをなさるのね。では、王太子殿下がおっしゃるように、婚約をしたわけではない、と?」


「婚約の約束はしました。ですが、その約束をいつ実行するかは、今後猶予期間を経て……」


「つまり、それは今日でもいいということだよね?」


 リドリアの説明をほがらかにぶった切り、王太子殿下は天使のように微笑んで、背後に控える死神のような部下を見た。


「いますぐ婚約なさい、アレックス」

「…………………………ご命令とあらば」


「お待ちなさい、アレックス卿。そのような心持でわたくしのリドリアと婚約を行うつもりですか」


 ひやりと冷気を含む声は、まっすぐにアレックスに向けられたようだ。

 冴え冴えとしたまなざしで、ソフィアはアレックスをにらみつける。


「王太子殿下に命じられたからリドリアを娶るというつもりではないでしょうね」

「…………………………さようなことは決してございません」


 うめくようにアレックスが言う。


「そう。それはよかったわ。わたくしのリドリアが不幸になるところなど見たくはありませんし」


 ソフィアがにっこりと笑う。ジョージも笑みを深めた。


「大丈夫ですよ、ソフィア。わたしが信頼を置くアレックスが、あなたの大事な侍女を不幸にするわけがありません」

「そうでしたわ。申し訳ありません、わたくしとしたことが」


「いいえ。そのようにとられかねない行為をしたアレックスが悪いのです。そして、部下の過ちを正すのは上に立つ者の役目です」


 ジョージはふたたび天使の笑顔でアレックスに告げた。


「婚約なさい、この場で。わたしとソフィアが証人になりましょう」

「…………………………リドリア嬢」


 数分に及ぶのではないかと案じられた沈黙のあと、地獄を見てきたような顔でアレックスはリドリアを見た。


「こ……………………………婚約を、してくれるだろうか。正式に」

「私は……かまいませんが」


 気の毒になりながらもどうしようもない。国王に次ぐ高位者が命じ、その妻が支持しているのだ。

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