第4話 互いに利のある話
「王太子妃さまも、『それはよいことです。リドリアはよい娘です』とご支持なさり、俺は貴嬢と見合いするためもあってここに来たんだ」
「は……あ。まあ、ですが」
リドリアは手をひらひらさせた。
「卿のお気持ちはわかりましたので、私のほうから王太子妃さまにお話をしておきます。互いにご縁がなかった、と」
「いや、それは困る」
組んだ足をぶらぶらさせ、貧乏ゆすりをしながら不機嫌を隠そうともせずにアレックスは言った。
「あの王太子殿下の期待に満ちた瞳は裏切れん。王太子殿下の望みは、すなわち俺の望み」
「なんか……変なところで律儀なんですね」
あっけにとられるリドリアを、アレックスははすかいににらみつけた。
「それにこの見合いを断ったら、第二、第三の見合いが待っている」
「そんななんかの刺客みたいに」
「さっき、貴嬢の話を聞いてこれは幸いと思った」
「私の……話ですか?」
「貴嬢、すぐには結婚できない事情があるのだろう?」
「ええ……まあ」
「ならば好都合。こちらとて結婚などできればしたくない。王太子殿下の『結婚=幸せ』のほとぼりが冷めるのを待つため、とりあえず"婚約の約束程度”で互いに手をうたないか?」
「”婚約の約束”? なんですかそれ」
リドリアは顔をしかめた。
「結婚の約束が婚約でしょう? その婚約の約束ってなったら……婚約約?」
「名称などどうでもいい。貴嬢とてその年で婚約者がひとりもいないと世間体にまずいのではないのか? なんなら弟御の結婚話にもさしさわるぞ?」
「弟の?」
いぶかしげに尋ねると、アレックスは真面目くさった顔でうなずいた。
「未婚の小姑がいるのだ。そんな家にお前は嫁ごうと……」
「思わないですね! 思わない! 大変! 私だけの問題ではかった!」
「そうだろう、そうだろう。な? これは互いにとって利のある話なのだ」
アレックスは足を解くと、テーブルに両肘を乗せてリドリアに顔を近づけてきた。
「正式な婚約をしてしまうと、婚約破棄にまた膨大な手間がかかる。だから、あくまで当人同士で『将来結婚しようと思っている』程度でとどめようではないか。一応契約書だけ作成はしておくか?」
にやりと笑うアレックスの顔は、とても侯爵の息子とは思えないほど邪気に満ちている。
この人があの天使のような王太子殿下の腹心かとおもうと、心強くもあり不安要素でもあるが。
「そう……ですね。で、弟が成人を迎えたら」
「約束は反故だ。貴嬢だって、俺みたいな相手が一生の伴侶はいやだろう?」
言われてなんとなく考えてみる。
王太子の覚えがめでたい高位貴族。容姿端麗ではあるが性格に難がある。
恋人としては確かにいいかもしれないが。
一生涯の伴侶となると。
(少し……ひるむかも)
そんな風に思っていたら、ここぞとばかりにアレックスが詰めてきた。
「なんならそれまでに、貴嬢の相手を適当にみつくろってやってもいい」
「本当ですか⁉ それも契約書に書いててくださいよ!」
思わずリドリアが前のめりになる。
「俺は嘘は言わん。嘘が言えんからこんなことになっている」
「真実味があります。だけど契約書に加えてください」
「わかった。では、世間的には我々は婚約の約束をした、と。で、3年後に別れる。それまでに俺はお前の結婚相手を探す。これでいいな?」
「かまいません」
リドリアとアレックスは互いに目を見つめあい、深く頷きあった。
◇◇◇◇
その日の午後。
なんだか疲れ切って屋敷に戻ったリドリアを待ち構えていたのは、弟のフィンリーだった。
「どうだった⁉ 姉様!」
玄関扉で待機していたメイドに外套や帽子、バッグを渡していると、二階からフィンリーが駆け下りてくる。
「あれ……? なんか嫌な男だったりしたのか?」
姉の表情を素早く読んだのか、階段の真下で足を止めて不安そうな声を漏らす。リドリアは慌てて首を横に振り、彼に近づいた。
「違うわ。ただ、初めてあんなに長く殿方とお話したから疲れただけ。とてもいい方だったわ」
「なんてひと?」
それでも慎重にフィンリーは尋ねる。
「アレックス・レイディング卿とおっしゃるの」
「アレックス卿⁉ あの王の猟犬の⁉」
フィンリーが素っ頓狂な声を上げる。リドリアは驚いた。まだ学生である弟のほうがよく知っているとは。
「え、有名なの?」
「超絶有名じゃん! 猟犬の副団長だろ⁉ なんで姉様が知らないんだよ。王太子殿下の側近中の側近じゃないか! 王太子殿下がお小さいころからずっと護衛をしているめちゃくちゃ強い人だよ!」
「そうなの。それで……ほら、姉さんは王太子妃さまの侍女でしょう? 私は気づかなかったけど、どこかで見ておられたらしくて……」
「へぇ……いや、でもさ。アレックス卿、まだ結婚なさってなかったんだ」
「みたいねぇ」
「おかしくない?」
「おかしい?」
「だってアレックス卿の御父君は侯爵だよ? アレックス卿だってもう20代半ばだろう?」
「そうね。25歳とおっしゃってたわ」
「姉様と年齢的には釣り合うけど……。普通それぐらいにはもう結婚してたり婚約してるもんだろう? なんで残ってんの」
「残ってるって。もう、あなた士官学校に通い始めてから本当に口が悪くなったわねぇ」
昔はきれいな言葉遣いだったのに、最近はどんどん崩れてしまっている。
リドリアが顔をしかめたが、フィンリーは我関せずだ。さらに顔をしかめた。
「なんか、おかしくね? 変な性癖とかあんじゃねぇの?」
「性癖って!」
リドリアはぱちりと弟の肩を叩いた。
「よそでそのようなことを言うんじゃありませんよ⁉」
「んで、そのアレックス卿は姉様になんて?」
「なんて、って?」
「婚約したいって?」
「婚約……そうね。ええ、婚約について前向きに検討しましょう、って」
疑るような弟の視線からするりと抜け出ると、リドリアはわざとらしくため息をついてみせた。
「ああ疲れた。少し自室でゆっくりするわ。婚約に関してもあとは大人どうしで話すつもり。なにか決まったらまたあなたにも報告するわね」
そう言って立ち去るリドリアだが、背後からは「なーんかあやしいな」というフィンリーの声が追いかけてきていた。
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