第3話 男側の事情

「焦って……いたのかもしれませんね」


 口にしてみたものの、さっきセナに愚弄されたときよりも傷は浅い。


 そもそもがっつり恥ずかしい場面をみられたのだ。とりつくろったところでどうにもならない。


「ただ、焦ったところで……弟が18歳で成人し、すべてを引き継ぐまでは後見人としての役割がありますから。実際には結婚できないんですけどね」


 リドリアは苦笑いして紅茶を口に含む。

 茶葉がいいのだろう。香りも味もしっかりしていて好みだった。


「弟御はいまいくつだ」

「15です。ですからあと3年は私、しっかりと家を守りつつ王太子妃さまのために尽くさねばなりません。結婚なんて夢見るだけです」


 肩をすくめると、「ふうん」と単調に相槌を打たれた。


「なあ。これは提案なんだが」

「なんですか? あ。ここ、マフィンもおいしいらしいんですけど、召し上がります?」


 よく考えれば彼は恩人だ。


 お茶だけではなくなにか食べて帰ってもらったほうがいいだろう。リドリアが手を挙げて店員を呼び止めようとしたが、「いらん」ときっぱりと断られた。


「俺も結婚をせかされていてな」


 いらんと断られたけど、ここはやはりお勧めするべきか。何度までこのやり取りをするのがスマートかと頭の中でシミュレーションしていたリドリアだが、目をぱちくりさせてアレックスを見つめた。


 辛口に評価しても、美形の部類には入るだろう。

 軍人ではあるが、嫌味なほどに筋肉がついた身体ではない。鞭のようにしなやかで、力強さを感じる体躯だ。


 王太子の腹心となれば出世も約束されているであろうし、セナは『卿』と敬称をつけていた。ということは上位貴族だ。


「あの、卿は……おいくつで?」

「先月25歳になった」


 ぶっきらぼうに言われ、おやと驚く。確かにこれほどの優良物件が結婚どころか婚約者もいないというのは不思議だ。


「あ。女性に興味がないとか」


 リドリアは手を打つ。まれだが恋愛対象が異性ではないひとがいると聞く。彼もそうなのだろうか。


「でしたら王太子殿下にお申し出なさってお好きな方と養子縁組なさってはどうでしょう」


 提案してみたのに、冷たい一瞥を食らった。


「性欲の対象は女だ」

「さようでございますか」


 ではどうして、とリドリアが言う前に、アレックスはふたたびカップに手を伸ばした。


「ひたすら面倒くさい」

「面倒……くさい、ですか?」


 小首をかしげるリドリアの前で、酒でもあおるかのように紅茶を一気飲みした。


「俺とて侯爵の息子だ」

「こ……っ。侯爵……さまで」


 リドリアは恐れおののく。市井のマフィンなど食わしている場合ではなかった。

 だがアレックスは意に介していない。


「父はまだ健在だ。いずれ侯爵位は兄が継ぐだろう。だから父も母も俺をどこかの高位貴族のところへ婿にやりたいようで、十代のころから次々縁談を持ってきていた」

「まあ……貴族ならありがちですよね」


 王族など3歳同士の婚約も聞く話だ。貴族の子弟はなにか相当な理由でもなければ10代でなんとなく将来の相手がいる。


「だが、いちいち面倒くさいではないか」


 苦虫を数千匹もかみつぶしたような顔でアレックスは言い放つ。無造作に空になったカップをソーサーに戻し、椅子の背に上半身を預けた。


「まずは手紙を送ってご機嫌をうかがい、そのあと出かけるための約束をとりつけ、令嬢が楽しめそうな場所に連れて行き、話を合わせ、なんならちょっと小洒落た店だのなんだのを予約し……」


 言いながら途中から「はっ」と吐き捨てた。


「超絶面倒くせぇ」

「……面倒くさいとお思いならやらなければよいのでは?」


 リドリアは不思議だ。アレックスは高位貴族の息子なのだ。適当に手紙を書き、適当にどこかで顔合わせをし、適当なところで結婚してしまえばいいのではないだろうか。


 この容姿だ。年頃の娘なら誰でもなびくだろうに。


「子作りだけさせてくれ、とは言えんだろう」


 じろりとにらまれてたじろぐ。


「そりゃそうですよ! え! まさか言っちゃったんですか⁉」

「俺とて常識は持ち合わせている。言うわけないだろう」


 冷ややかに応じられ、ほっと胸をなでおろした。


「だが王侯貴族の結婚などとどのつまりは、子作りだ。ならばもう、それだけでいいではないか」

「いやあ……そんな。野鳥だってそんなに直球勝負はしませんよ。まずは求愛ダンスを踊るじゃないですか」


「その求愛ダンスがもううんざりなんだ」


 初めて熱のこもった声で言われたから、なんだか気の毒になってきた。この人はこの人なりにいろいろ努力してきたんだろうか。


「じゃあ……その、適当に無難なデートコースを立てて誘ってみたらどうですか?」

「貴嬢は女の恐ろしさをしらんのか。そんなことをしてみろ、社交界でどんな悪口を吹聴されるか」


 眉根をしかめて言われる。


「まあ……想像はできますが」

「女どもはちやほやすることを男に求めるし、そのちやほやの度合いが人によって違う」


「そうでしょうねぇ」

「すぐ泣くし」


「泣かせたんですか」

「ぜったい嘘泣きだ」


「どうかなぁ」

「で、五回見合いをしたが、いずれも『なんかこう、性格が合わない気がする』と言って断られたところで、もうやめた。面倒くさい。結婚などせん。二十歳になったときに、両親にもそう告げた。それ以降、あきらめたのか見合い話は持ってこなくなった」


「さようですか」

 まあ、泣かされる女が増えていくよりはいいかもしれない。


「だが、王太子殿下に叱られた」

「あら」


 ぶすっとした顔でアレックスは空のティーカップを見ている。


「ご自分が結婚なさってからというもの、未婚の臣下にあたりがきつくなってな。独身の頃は『アレックスが自由でなにより』と言ってくださっていたのに、このところずっと『早く身をかためなさい。幸せになりなさい』とおっしゃる」


「さようですか」

「なにがそんなにうれしいのだ」


 指摘され、リドリアは知らずに自分が笑顔になっていることに気づいた。両頬を手で包み、リドリアは笑みを深める。


「だって、王太子殿下がそうおっしゃるということは、ご自身の結婚がとても良いものだからでしょう? 王太子妃さまもきっとお喜びになられます」

「こっちはいい迷惑だ」


 アレックスはあきれ顔で足を組む。


「で。この騒動が露見し、俺が派遣されることになったのだが」

「はい」


「王太子殿下が、『これはいい機会です。もし令嬢がひとりでお待ちなのであれば、アレックスが彼女と婚約をしてきなさい』とおっしゃってな」

「は?」


 それまではほのぼのと話を聞いていたリドリアだが、いきなり矛先をこちらに向けられた気分で目を丸くする。


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