第2話 待ち人現れる
「その年になってもまだ婚約者もいないなんて。よっぽど焦ってらっしゃるのね。名前も書かない不審な手紙にまんまとだまされるなんて」
「仕方ありませんわよ。セナ様のようにお美しいわけでもありませんし、なによりほら、ご両親がいらっしゃいませんもの」
「彼女にセナ様とエイヴァン様のような縁組は期待できませんものね」
メリッサ王女の侍女たちはことさらにセナを持ち上げた。
世界の七不思議にいれてもいいのではないかと思うのだが、この性悪女のセナには立派な婚約者がいる。しかも近衛騎士団のなかでセナは非常に人気があり、その彼女の婚約者であるエイヴァンは皆から羨望の目でみられているのだとか。
(言ってやりたいことは山ほどあるけど……)
リドリアはこぶしを握り締めた。
その手には封筒が握りこまれている。いまとなってはごみクズ以下の価値しかないが、ここで放り出して帰るわけにもいかない。
カフェの客たちは興味津々とばかりにリドリアとセナたちをみつめていた。話の内容からでも、リドリアの状態がわかっているのだろう。くすくすと時折聞こえる笑い声に頬が熱くなる。
自分は騙された被害者だというのに、なぜ辱めを受けているのか。
言いたいこともやり返してやりたい気持ちもあるが、ここで騒ぎを起こして王太子妃ソフィアの名に傷をつけるわけにはいかない。
リドリアは涙が浮かびそうなのを必死にこらえ、片手に手紙を。片手にバッグをひっつかんで立ち上がった。
帰ろう。
もうここは無言で帰ろう。そのあとのことをいまは考えられないし、考えたくもない。できれば消えてなくなりたい。
「お、お客様!」
自分を取り囲むセナたちの背後から、ぴょこんぴょこんと店員がジャンプしながらリドリアに声をかけてきた。
「あ。……すみません、ご迷惑を。すぐに」
てっきり「騒がないでください」と言われるのかと、慌てて詫びようとしたら、ぶんぶんと首を横に振られた。
「お連れの方が到着されましたよ! お客様、こちらのテーブルでございます!」
は? と。
リドリアだけではなくセナたちも言葉を無くして店員を見る。
いや。
正確には店員の隣に立つ長身の男を、だ。
「詫びて済む問題ではないが、こちらから呼び出しておいて遅れて申し訳なかった、リドリア嬢」
真っ黒な髪。真っ黒な瞳。まったくの無表情。
年齢は20代半ばだろうか。後半だろうか。
長身痩躯に纏うのは同じく真っ黒な制服。袖口に銀糸で刺繍されているのは王太子の近衛騎士を象徴する有翼獅子。
王太子の近衛騎士だ。
しかも胸についた階級章は銀の星。
(王太子の……〝猟犬〟)
近衛騎士団の中でも選りすぐりの騎士で、王太子が幼少のみぎりより側近くに仕え、ともに寄宿舎にまで入って護衛の任務をこなしたとも聞く。
王太子の子飼いも子飼い。軍事面での側近中の側近だ。
「え……あ、の」
パクパクと口を開閉している間に、店員がセナたちの包囲網を突き破って男を席まで案内してくる。
「やはり待っていた甲斐がありましたね、お嬢さん!」
店員はリドリアに耳打ちをし、サムズアップしてみせた。
リドリアもぎこちなく笑ってサムズアップをしたものの。
(え、誰、これ)
戸惑いを通り越して驚愕していた。
これは自分の妄想の産物ではないのか。
神様に終末を願ったら、救済措置としてこのなんだかわからない男を派遣してもらえたのだろうか。
「……アレックス・レイディング卿……ですよね」
かすれ声でセナが尋ねる。
「いかにも」
男はそっけなく応じると、リドリアやセナたちに見守られて堂々と椅子に腰かけた。
「彼女とおなじものを」
男は器用そうな長い指で、テーブルのティーカップをしめす。そこにはもう冷めて色水と化した紅茶が入っていた。リドリアが二時間前に注文した品だった。
「かしこまりました」
「ところで」
頭を下げる店員に、男は相変わらず無表情のまま言った。
「このご令嬢たちはどういった理由で店内にいて、俺の席を取り囲んでいるのだろうか」
「これは大変失礼を……っ! あの、お客様。席にご案内いたしますので……っ」
店員がほかの店員に目くばせをする。慌てて店員たちがセナを誘導するため近づいてきた。
「こ、これはいったいなんの茶番ですか、アレックス卿!」
セナが甲高い声で男に詰め寄る。
「なぜ貴卿がこんな女に!」
「ところでセナ嬢」
アレックス・レイディングと呼ばれた男は淡々とした様子でセナを見た。
「この騒動をおれの同僚であるエイヴァンは知っているのだろうか。どうだろう」
うぐ、とばかりにセナは唇をかみしめ、わなわなと小刻みに震えはじめた。
「セナ様、これはいったい……」
「あの手紙はセナ様が作った偽物なのですよね?」
侍女たちが不安そうにセナに問いかける。
「帰りますわよ!」
その声を塗りつぶすように大声を発すると、セナは侍女たちを引き連れてカフェを出て行った。
そのさまはまるで台風のようで、リドリアだけではなく店員たちもあっけにとられている。
だが店員たちはすぐに気持ちを立て直し、店内の客に丁寧に詫びをいれ、サービスとして焼き菓子を提供した。
それはもちろんリドリアの席も同じだ。
店員はアレックスの紅茶をだすとき、リドリアの紅茶も新たに淹れなおして提供してくれた。
「座っては?」
アレックスはカップの把手をつまみ、紅茶をひとくち味わってから平坦な声でリドリアに言う。
ようやく。
ようやくリドリアは我に返った。
「えっと」
意味のない言葉を口にし、椅子に座ってからもっともなことを尋ねた。
「あなたは、誰ですか?」
「アレックス・レイディング。父はレイディング領を拝領している。おれは王太子殿下が幼少のみぎりよりお側近くに仕えていて、いわゆる〝猟犬〟とよばれる立場の者だ」
やはり王太子の腹心のひとりであるらしい。
「その方がどうして……」
「王太子妃がいらっしゃり、自分の大切な侍女が近衛騎士と見合いをするらしいが、王太子殿下に心当たりはあるかとお尋ねになられた」
「あ!」
リドリアは小さく声を上げる。
リドリアも弟も名前のない手紙にさしたる疑問もいだかなかったが、さすがに王太子妃は不審感を覚えたのだろう。
王城には王、王妃、王太子、王太子妃がそれぞれ近衛騎士を持っている。
王には黄金獅子団。王妃には銀竜騎士団。王太子には有翼獅子団。王太子妃には一角獣騎士団。王女には不死鳥騎士団。
それらの人事は建前上、王太子が握っている。
というのも近衛騎士は上位騎士の子弟が担っていることが多いからだ。
彼らの結婚や出産なども細かく王太子に報告され、婚姻によって生まれる爵位の序列や家同士のパワーバランスは常に王家によって管理される。
そのため王太子妃は念のために確認してみようと思ったのだろう。
『わたくしの侍女を見初め、婚約をしたいと思っている近衛騎士がいるようなのですが、お耳に入っておりますか』と。
そこで王太子も疑問を抱いて調べたところ「そのような近衛騎士はいない」ということになった。
であるならば、これはもう王女メリッサが嫌がらせのためになにか仕組んだ可能性がある。
そう認識して援軍をリドリアに送ってくれたのだろう。
「ということで、俺が派遣された。もし誰か別の近衛騎士がいればその者を報告せよ、との王太子殿下の仰せだ」
「それはどうもありがとうございます」
リドリアはテーブルに額がつくほどに頭を下げて感謝を示した。これはいまからでも王太子妃のところに行ってお礼を述べるほうがいいのだろうか。
「ところで貴嬢」
ぼんやりと考えていたら、茶器が触れ合う音とともに呼びかけられた。
顔を上げると、向かいの席に座っているアレックスがソーサーにカップを戻したところだ。
「なんですか?」
「こういう計略にあっさりひっかかったということは、結婚に焦っていたのか?」
はっきり言われ、ざっくりと胸に刃が刺さった思いだ。事実「うう」とうめき声が口から洩れた。
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