偽装結婚ですか⁉望むところです!……ところで本当に偽装ですか?なんかちょっと違う気が……

武州青嵐(さくら青嵐)

第1話 待ち人来たらず

 リドリアは、もう二時間近くカフェにいる。

 一時間が経過した段階で不審そうな顔をしていた店員が、いまや哀れんだ目を向けていた。


 それはそうだ。


『ここで人と会う約束をしているのです』と、入店の際に告げたのだ。


 だが。

 その会う約束の人が来ない。


(すっぽかされたってこと……?)


 席に座った時は期待に胸がドキドキしていたリドリアだが、いまや不安で胸がドキマギし、胃はキリキリしている。


 ソフィア王太子妃の侍女をしているリドリアの手元にその手紙が届いたのは、三日前のことだ。


 侍女控室に『リドリア・ゾーイ伯爵令嬢さま』と書かれた封書があった。


 侍女控室といいつつも、ソフィア王太子妃にあてがわれている侍女はリドリアを含めて三名しかいない。


 三年前に隣国から嫁いでこられたソフィアは、自国の侍女を連れてこなかった。

そのため、夫である王太子ジョージが新たに彼女の侍女を探して任命した。


 リドリアもそのひとりだ。

 当初10数人いた侍女は、月日が流れるにつれてひとり、またひとりと辞めていく。理由の大半は『結婚のため』であったが、本音は『落ち目の王太子妃にはもう付き合えない』といったところだ。


 王太子妃ソフィアは王太子ジョージに溺愛されているが、ジョージの妹であり、王女のメリッサに憎悪されていた。


 そのため王城内でのソフィアの立場は微妙で、位の高い地位でありながら、常に気配り、心配り目配りが必要な状態になっていた。


 結婚するまでの『贅沢に気楽に侍女ライフ』を目指していた貴族の娘たちにとっては、なんのメリットもない。


 現在ではリドリアを含めて三名しか侍女が残っていなかった。

 その三名が交代で勤務についているので、この日も控室を利用したのはリドリアのみだ。


 もしこのとき、別の侍女がいれば話は変わっていたかもしれない。


『あなた宛ての手紙なら、どうしてあなたのお屋敷にとどかないの?』

 そう忠告してくれたかもしれない。


 変よ、この手紙、と。

 だけどリドリアはなにも違和感を覚えなかった。自分宛ての封書を開き、中の手紙に視線を走らせた。


 そこには『王宮であなたを見て一目ぼれした。結婚を前提とした真剣なお付き合いをしたい。ついては、一度会ってゆっくりお話をしよう』という趣旨の内容が書かれていた。


 差出人はない。

 ただ、『あなたを見初めた近衛騎士より』としか書いてない。


 リドリアは不安と期待に胸を高鳴らせ、早速屋敷に戻った。

 そして唯一の家族である弟に報告したのだ。


『結婚の申し出がきたのだけど、どう思う』と。


 もしも。

 ここでも“もしも”というしかないが、リドリアの両親が生きていたら話が変わってきただろう。


 手紙をもらって浮かれる娘に、

『自らの名前も書けぬやつなど信用がおけぬ。捨て置け』と叱ったに違いない。


 だが、リドリアの両親は三年前に他界しており、伯爵位を継いだ弟のフィンリーは現在たったの15歳だった。


『やはり、名前も書けないお方に会うのはいけないことかしら』

 自宅に戻り、改めて迷いはじめたリドリアを、あろうことかフィンリーは励ました。


『それだけ身分の高い方かもしれないじゃん! 近衛騎士なんだろう? 王妃陛下かな、王太子殿下かな。王太子妃殿下の……はないな。年下ばっかだもん。まさかと思うけど陛下の⁉ だったらうっかりと正体など現せないのかもしれないかもよ⁉ 会うだけ会ってみなよ!』


 さすがにまだ15歳。フィンリーも警戒することはなかった。

 そして、フィンリーは誰よりも姉思いの弟だった。


 こんなに美しく賢い姉に、どうして誰も声をかけないのだろうと常々不思議だった。

 結果、彼は「ああそっか。姉の美貌に恐れをなしているんだな」と結論づけていた。

 心優しい姉は、決して近寄る男を冷遇などせぬのに、と。


『名前を伏せているのは男として情けない気もするけど、それでも勇気を振り絞って姉様に告白したんだしさ。その意をくんでやるべきではない? 会ってみて、それから決めればいいんだし』


 弟にたきつけられ、揺れていたリドリアの心は決まった。

 会おう、と。


 結果。

 リドリアは王都のおしゃれなカフェで待ちぼうけをくらわされている。


(待って。落ち着こう、私。まずは落ち着こう。間違っているわけじゃないわよね?)


 何度も深呼吸をし、バッグの中から封筒を取り出す。

 もう今日だけで15回も目を通した便箋を見る。そこには今日の日付と時間。このカフェの名前が記されていた。


(これはもしかして、だまされた?)


 ことここにきて、リドリアは絶望した。


 なぜなら今朝、引継ぎのために王宮に顔を出した際、王太子妃ソフィアに『実は今日、お見合いで……』と言ってしまったのだ。


 それはただ、自分が尊敬するこの主人を安心させたかったからに他ならない。

 リドリアは21歳で未婚。この年になってもまだ婚約者もいない。


 なぜなら幼くして伯爵位を継いだ弟の世話と、伯爵領の管理がある。知人や同僚たちが一斉に結婚して職を辞し、実家を離れたとしても、自分にはそれができない。


 弟が成人するまではその後見人としてふるまわなくてはならないからだ。


 いずれ弟はいずこかの近衛騎士団に入団し、王宮に出入りするようになる。そのときに有利な立場で入団できるように、となけなしの金とコネを使って王太子妃の侍女として仕事を得た。


 仕事に邁進するリドリアだったが、年齢が上がるにつれて『結婚は?』『仕事はいずれ辞めるのだから、よい方を探しては?』と言われるようになり、肩身の狭い思いをしていたところだった。


 そして王太子妃ソフィアも心配していることを知っていた。縁談が来ないのは王太子妃である自分の評判が悪いからかもしれない、と落ち込んでいることも。


 だから。

 少しだけ胸を張ってソフィアに告げたのだ。


『お見合いなんです』と。


 自分にもこんな話があるのだ、だから心配しないでください、と。

 ソフィアからは心からの言祝ぎと、『結婚しても仕事は辞めないでね』と言われたところだった。


 その言葉が心底うれしかった。

 弟のためにと始めた仕事だが、それがちゃんと評価され、引き留められるまでになったことに。


(そ、それなのに……!)


 リドリアは恥辱のために呼吸困難になりかける。

 見合いどころか、相手が来ない。


(いったい、弟と王太子妃さまになんとご報告をすればよいのか……!)


 封筒を握り締めて今後のことを想像したら、めまいと耳鳴りが始まった。それをなんとか乗り切ったあとに襲い掛かってきたのは絶望だ。


(明日なんて来なくていい……。神様お願いです。いますぐ終末のラッパを天使に吹かせてください)


 そんな物騒な祈りをささげていたとき、終末のラッパではなく、ドアベルが軽やかに鳴った。


 入店者だ。


 今度こそ〝匿名希望の恥ずかしがりや護衛騎士〟でありますように、と顔を向けたリドリアだったが。


「やだ! まだ待ってる!」


 入店してきた女性たちは、そう言ってリドリアを指さして嘲笑ったのだ。


 王女メリッサの侍女たち。

 その中心にいるのはセナ・マーベリックだ。


 メリッサのもつ侍女団のリーダー格で、メリッサが王太子妃ソフィアへ行う嫌がらせに積極的に加担しているひとりだ。


 一か月前にリドリアが彼女に苦言を呈したことがある。『あまりにもやりかたがひどいのでは。ソフィア様は王太子妃なのですよ』と。


 途端に烈火のごとく怒りだし、一部の騎士たちから「かわいい」と評判のそばかすまで赤く染めてつかみかかってきた。


 だがそこはリドリアである。


 弟を立派な伯爵とすべく、リドリアは幼い頃より武芸の技を磨いてきた。そして弟を自ら指南してきたのである。


 自分にむかって伸ばされたセナの腕をつかみ、見事に関節技をきめたのだ。


 セナは絶叫を上げ、周囲は騒然とし、護衛騎士まで馳せ参じる事態になった。


 たぶん。

 あの仕返しだ。

 リドリアは瞬時に理解した。


「まさかまだいるとは思わなかったわ! あんな嘘の手紙を信じるなんて」


 セナはきれいに巻き毛にした茶色の髪を揺らしながら、リドリアのテーブルに近づいてくる。つん、と顎を上げた。


「あんたみたいな野蛮な女に恋文なんて来るはずないでしょう? 少し考えればわかるのに。おつむも足りないのね」


 セナの言葉に侍女たちはいっせいに笑った。

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