第4話

 少し心が騒つくのは、やはりあの奇妙な二人に出会ってしまったからなのだろう。でなければどこかの誰かに気づかぬうちに惚れてしまったに違いないが、平凡な日々を送ってきたぼくにとって、今日のあの出来事は非日常に十分に足るものであったけれど、尋常一様な暮らしにあまりにも慣れてしまった平々凡々なぼくにとってはあまりにも刺激が強過ぎた。記憶の中であの二人の姿を思い出して見るが、どうも色褪せているというか淡い様子であるのは、驚きやら恐怖やらが体のあちこちで芽生えて瞬く間に平静やら冷静やらを吸収して隅々までに根を張り成長していき、遂には視界を覆ってしまうからなのだろう。


 ──だーれだ?


 何かが問う。


 ──正解は恐怖です。あと驚きと焦りと不安と痛みと色々。


 いや、本当に奇妙な二人だった。


 ──妖だろうか。


 そんな先ほどの事を思い出しながら、とぼとぼ歩いていると、一人の女の子が街灯の下でこちらに向かって佇んでいるのが見えた。夜の帳も降りたというのに、年は十歳かそこらだろうか、親らしき人物は見当たらない。迷子ではなさそうか、よく見ればネグリジェ姿で素足の状態であり、そして異様を手にしていた。その可愛らしい見た目に甚だ似つかわしくない、小さな腕の先、小さな手に握られるのはリボルバーである。


 玩具だと思いたい。


 しかしそう思わせるのも僅かの間、徐に構えられたリボルバーの先から閃光が走り破裂音が響き渡った。弾丸が向かった行き先を知るのは訳ないことで、右肩が鮮血を噴き出しながら悲鳴をあげた。撃たれ倒れ込んだぼくに女の子は銃口を向けながら歩み寄る。


 ああ、やばい、今度こそ本当に死ぬかも知れない。


 女の子越し見える満月は恍惚と白く輝いて、そこに浮かぶは兎でも蟹でもない、どうやら彼女のようだ。ちらりと何かが輝きを見せこちらに飛んでくる。その気配に気づいた女の子は背後を振り向くが、飛んできた何かは女の子の胸を貫きそのまま地面へと減り込んだ。女の子はまるでその身にあらゆる罰を全て受け止めるかのように両の手を広げて天を仰ぐ形でぐったりとしていたが、彼女は未だ満月を背にして宙に浮いてる。微かにだが、彼女の瞳の色が見えた気がした。


 それから束の間に静寂が這い出て来た頃、錫杖に貫かれてた女の子は突如動き出し、リボルバーを夜空にある彼女へと向けぶっ放した。


 ──パンパンパン。


 しかし弾丸は明後日の方向へと飛んでいってしまったようで、正しく言えば弾丸は素直に彼女のいた方向へと向かっていったのだが、銃口から円筒が覗かせた頃には目標であった筈の彼女はそこから消失していたのだ。目標を失ったそれらが何処へ行き着くのかは知らないけれども、まあ勢いを失って地へと墜落していくのだろうけれども、消失した彼女の行方ははっきりとこの眼で捉えていた。瞬きするよりもきっとはやかっただろう、これこそ刹那である、彼女は女の子の足元に立っていた。


 「やはり贋作ダミーか………」


 彼女はそう呟くや否やリボルバーが再度自身に向くよりもはやくそれを握る小さな腕の手首あたりを手刀で切断する。


 ──悲鳴はない。


 それから直ぐに落ちた手からリボルバーを拾い上げると、女の子の額へと押し当て引き金を引いた。


 ──パン。


 「贋作の悪いところは真作ほんものよりも随分と弱く劣るところだ」

 女の子の腹を片足で踏みつけ雑草でも毟るかのように胸から錫杖を勢いよく引き抜くと、彼女はこちらを見やった。


 「大丈夫かい、少年」


 彼女は歩み寄るが、初めて彼女を見た時人間ではないと思ったけれども、改めて人間とは掛け離れた、常軌を逸した行動を目の当たりにして彼女は人間ではないと再認識する。けれども再認識したところで、さて、ぼくはどういった行動をとるべきなのだろうか。言葉だけをみれば、どうもぼくを心配してくれてはいるようだけれども、人間ではないものとはいえ先ほどまで生きていた女の子を殺した彼女の言葉を素直に受けとってもよいものか。しかし殺された女の子はぼくを殺そうとしたわけで、彼女がいたからこそ助かったわけなのだが、どちらが善でどちらが悪か──言うまでなくこの場合、彼女が善なのだろう。


 今のところは──。


 「肩を撃たれた」


 左肩を押さえながらなんとか上体を起こそうとしたけれど、「ううん、どれどれ見せてみそ」と彼女はぼくの体を跨ぎながら来るものだから上体を起こすのは諦めた。腹のところですっとしゃがみ込むと、手を退けてと言うので言われた通りに手を退かした。袖を優しく捲って患部を観察しているけれど、彼女の癖のない長い髪が夜風に遊ばれ、一瞬ぼくの鼻先をくすぐった。


 「………ううん」


 唸って彼女は腰を上げ姿勢を正し、ぼくの体の傍に両足揃えて立つ。


 「大丈夫そうだよ」


 ぼくは医者からそう言われても信頼をおけない質の人間であるが、まして医者でもないよく分からない彼女のその言葉にどうして安心できようか。


 だって撃たれたんだぜ。


 「何言ってんだよ………」


 ぼくは右肩をこの目でしっかりと見るが、大丈夫そうだった。


 「どう言う事だ?」


 確実にあの時撃たれたはずなのに穴は無く平らである。押さえていた手にも血痕は無いし、月明かりに照らされた地面にだってそれは無かった。


 「やはり劣っているな。無駄にマーキングしたらしい」


 答えになっていない返事にぼくはぽかんとした間抜けな顔でも披露いたのか、ふふと彼女は笑う。


 「君に私の匂いが纏わりついているようだ。纏わりついているというか、中に染み込んでしまっているのかな。初めて会ったあの時にでも随分と吸い込みでもしたのね、きっと」


 変な印象をもたれてしまうと嫌なので──まあその言葉からぼくが思うそれを抱く奴はいないだろうと思うけれども、一応言っておくと、いい匂いだったので何の匂いかなと知ろうとそこそこ嗅いでしまったわけで、誰だって美味しそうな匂いだとか、好きな匂いが漂ってくれば胸いっぱいに吸い込みでもするだろう。


 断じて女性の甘くいい匂いを体中に満たそうとしたわけではない。


 ──どうでもいいが匂いと香りという言葉を並べると香りという表記の方がなんだか少しばかり良い。


 ──さて、閑話休題。


 「あなた、私の仲間だと思われたみたいよ」

 「ぼくはどうなるんだ?」


 漸く体を起こし立ち上がりながら続けて、

 「また、狙われてしまうのか?」


 言いながら、これは愚問だと思った。


 「そうね」


 分かりきっていた返事にぼくは悩み何かを思い出したり考えたりしたけれど、何を頭にあれこれと浮かべていたのかよく思い出せなかなったのは彼女の言葉の所為に違いない。


 「安心して、私が守ってあげるよ」

 「………ほんとか」

 「ただ、いつまた襲ってくるのかは私は知らない。また殺そうとして来るまでに猶予はあるけれど。贋作は………」と顎に人差し指を当てながら、

 「そうだね、三十日くらいで一つのペースで出来上がるから、それまでは大丈夫なんだけれど、問題なのは私を狙ってくる奴は幾人かいるってことかな」

 「それで、ぼくはどうすればいい?」

 「私を近くに置いておいて欲しいかな」


 それはつまり──、

 「事が片付くまで、一緒にいよ」


 同棲ということで、いいのか。

 いやまてよ、確か彼女の他にあの時男の人がいたはずだと辺りを見回しその存在がないことを確認する。


 「どうしたの?」

 「いや、彼は仲間じゃないのか?見当たらないけれど」


 彼?と彼女は小首を傾げる。


 「巨漢の男がいただろ」

 「ああ、彼ね。彼は仲間というか何というか、悪い奴じゃあないんだけれどね、私のこと面白がってただ傍観してるだけの寂しい奴で、今もきっと何処かで観てるんじゃあないかな」


 もう一度周囲を確認してみるがやはり見当たらない。


 「まあ、彼のことは居ないと思ってくれていいよ」


 しかし何だろうか、何か忘れてはいけないことを忘れている、そんな気分である。不安とか心配とかそういうことではない、勿論そういったものがないわけではないのだけれどそういったことでなんだか落ち着かないわけではない。今日一日という短時間に色々あり過ぎたものだから、それら出来事を脳内処理するのに時間が掛かってしまっているのだろう。なんだか腑に落ちないが、憂鬱の起因がはっきりしないので取り敢えず今はそれで納得することにした。


 「それであなたの家はどこ?」

 「ああ、こっちだよ」


 ぼくは彼女を連れて自宅へと戻った。玄関を抜けて居間に着くや、「一人暮らしなんだね。親に吐つくこれから一緒に暮らす言い訳を考えていたんだけれど、必要なかったね」とくるりと部屋を見回しながら言った。道中そんな事を考えてくれていたのかと思わず関心した。一応常識的なものはもちあわせているのたろうか。


 「ちなみにどんな言い訳を?」

 「ん、付き合ってるとか、エッチして子どもができちゃったとか。あとは──」


 ──そうか、もういいとぼくは彼女の口を閉ざす。


 ──おやおや、なんでしょうかこの胸の高鳴りは。


 ぼくの日常に非日常足る存在がこうして隣にいる事に興奮しているのか。


 ──同棲。


 頭にさきからそんな言葉がチラついてならない。一緒にいよ、と過去の言葉が脳内に響く。


 ああ、これから彼女と二人でいつまでになるか分からない日々を過ごしていく事になるのか。朝も昼も夜も、出かける時もお風呂に入る時も寝る時も………いや、お風呂の時と寝る時は流石にそんなわけがないか。


 そんな少しの妄想に鼓動をはやめ勝手に緊張していると、


 ジ……ジ、ジ………ジ、ジ、ジ。


 音が聞こへた方へ振り向くと、彼女は咥えた煙草に火を付けようとしていたが、どうもフリント式ライターのガスがなくなったらしく、「ライター持ってる?」とこちらを向いて訊ねた。


 「持ってないし、ここで煙草を吸わないでくれ」

 「じゃあどこならいいの?」

 「ベランダで吸ってくれ」とぼくはそちらを指差す。


 煙草を咥えたままの彼女は指先を辿ってベランダを見やったが、「しかし、火がな………」とまたこちらへと向き直った。


 「はあ、焜炉でつければいいだろ」

 「ああ、そかそか」


 彼女はさっそくキッチンへと向かうと焜炉に火をつけた。咥えた煙草をキスをするような仕草で近づけ火をつけると、少し開いた口の端から煙を吐き出し、ベランダへと出て行った。まさか、喫煙者だとは思わなかった。


 「吸い殻は水に濡らしてゴミ箱に捨てといてくれよ」


 彼女の背中に伝えると、「はーい」と間延びした返事が返ってきた。


 明日にでも灰皿を買っておかなければなるまい。ぼくは彼女を背にすると、まずは寝室から寝巻きをとり、それから浴室へと向かった。脱衣所で衣服を脱ぎ洗濯機へ入れ、シャワーを浴びる。ふと、今更ながら今この時がはっきりと現うつつであると思い、壁面腰上に設けられた鏡に映る自分を見た。確かに弾丸を受けたはずである左肩は無傷である。見たところは何の問題もないが、執拗に摩ったり揉んだりしてみるが痛みはなく、マーキングと彼女は言っていたけれどそれっぽい印も無いし臭いも無い。


 守ってくれるらしいけれど、ぼくはこれからどうなっていくのだろう。


 これから……これから、彼女は……煙草を吸い終えた彼女は何処に………。


 はっとした。シャワーだけで済ませようと思ったが、ぼくは急ぎ浴槽にお湯を入れる。これから──煙草を吸い終えた彼女は、お風呂に浸かりにこちらへやって来るのかも知れない。


 そうかも知れない。


 そんなアニメ的、漫画的、小説的な使い古したつまらないむふふんな展開がこれから起きるかも知れない。読者からすればそんな展開飽き飽きたかも知れないが、当人からしてみれば飽きとかそんなのどうでもいいことで一大イベントでしかないのだ。


 頭を洗い体を洗うなりまだお湯も溜まっていない浴槽へと入る。煙草を吸うだけならもういらしてもおかしい時間ではないのだが、浴室の扉をじっと見つめるけれど彼女の影はまだ見えない。イベント開催までじっと待つこと既にお湯は十分に溜まったが、まだ彼女は来ない。


 何をしているというのだろうか。

 ──ハァビバノンノン。


 取り敢えずご機嫌に歌でも歌ってみた。ひょっとしたらこの歌に誘われて来るかもと思った。声高らかに、


 ──ハァビバノンノン。


 ………まあ期待虚しく来るわけなく、ただ自分の気分がよくなっただけだった。


 暫くしてお湯の温かさに苛つきを覚え、もうイベントは開かれないことを悟りながらも、残念でならない遣る瀬無い気持ちを抱えながら浴槽からあがった。


 リビングに戻るとそこに彼女の姿はなかったが、彼女の抜け殻はあった。煙草と衣服とそれから下着。正確に順を言えば衣服、下着、煙草なのだが、煙草なんて小さな物じゃあ下着を隠すには不十分であることくらい彼女は理解しているだろうしそんなこと僕だって至極よく分かっている。そもそもそんなことはどうでもよくて、問題なのは露骨に下着が転がっていては、男の子の目は否応なくそれに釘付けになってしまうということだ。生まれ時から男の子の目はそれに気づき易いように出来ているのだから、そう仕組まれているのだから、その結果何かしらの物に躓いたりぶつかったりして怪我をしてしまう危険がある。他にだって男の子は自明でそれに手を伸ばしてしまうことだってある。


 ほら、みて──今こうして僕の手はパンツに向かって無意識に伸びていってしまっているよ。


 …………流石に触れはしなかった。


 ほんとうに。ほんとだよ。見ただけで終わり。一瞬チラッと見えただけで、見えてしまっただけでして、それから手を伸ばしたのは、下にある衣服を上から被せようとしただけなんです。でも、分からないけれどこういうのは下手に処置しないで気づかないふりでそのままに放っておいてた方がいいのかなと思いまして──兎にも角にも決して黒のレースショーツを凝視するなんてはしたないことはしていない。


 誓ってもいい。

 誰にかは知らないけれど。


 さて、本当の問題なのは彼女が現下裸であるということだが、見つけるのに手間はかからなかった。住み着くと決めた箱の中では行けるところも少なかったから。


 彼女は寝室にいて──ベッドの中で二つのたわわに実った果実を抱くように丸くなって寝ていた。イベントは開かれたと言っていいだろう。しかし参加しようにも主催者はいないので、暫くの間、ただそれを眺めることにした。


 問題は問題としない限り問題にはならないので、これは不問に付すとしよう。

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