第2話

 暫く道を歩いて行くが、ヴィクターの足取りに迷いは無く、たぶんだけれども、宛も無さそうで、さっきから何度も同じところをぐるぐると歩き回っている。頭上には大きな穴。その下を旋回するように歩き回っているけれども、敵が現れる様子はない。


 「あの、何も気配がありませんが」


 いよいよ痺れを切らしたわたしはそう訊ねた。


 「向こうから現れてくれるさ。今、私たちのことをずっと見ているよ」

 「──」


 わたしは小石を握りしめ辺りを見回すがやはり何も感ぜられない。人の気配どころか、有りとあらゆる生活音の一つさえ聞こえない。ただわたしたちの歩む靴音だけが喧しく聞こえる。ありきたりな表現になってしまうけれども、まるでこの世界にわたしたちしかいないようで、静寂に満ちたあの家と大差ない。


  ──いたっ。


 余所見をしていた所為でいつのまにか立ち止まっていたヴィクターに気づかず背にぶつかってしまった。


 「ごめんなさい」

 「…………」


 ヴィクターは前を見つめていた。わたしは背後から顔を出して前方を見やった。するとそこには人がいた。いや、人間に似て非なる何かである。


 ──敵。


 女性だろうか。ヴィクターの取り繕った一部分の肌のように黒く長い髪。身長はヴィクターよりも一回り大きく三メートルは優に超えているが、その体つきは華奢であり手脚は細い。その華奢な体に似合わず胸にはたわわな実が実っている。

 わたしは改めて右手で小石を握りしめるが、相手の手にはその丈よりも少し長いくらいの波打つような歪な形をした薙刀がある。

 アレに小石をぶつけて、ただそれだけで済むのだろうか。………やはり無理ではなかろうか。

 そんなことを思った刹那、不意に敵はこちらに向かって飛び掛かってきた。助走はない。その場から倒れるように前傾姿勢になったかと思えば、地をたったひと蹴りしてこちらまで跳んでくるのである。しかしヴィクターは動かなかった。ようやく動き出したのは、敵が薙刀を頭上に上げるや否や振り下ろした瞬間であり、素早く体を横にして避けるけれども薙刀はわたしの目前を落ち、地へと甲高い音を立ててめり込んだ。あと半歩でも前に出ていれば、真っ二つになっていたであろう。敵の瞬く間に行われた一連の動作によって押し出された空気がわたしの前髪を荒々しく左右後ろへともっていく。


 「おっとと、危ない危ない」と、ヴィクターは大仰に驚いた様子を見せるけれども余裕が感じとれる。というか、それはわたしの台詞である。圧倒され体が動かない。しかし、どうも敵はわたしのことなどまるで眼中にないようで、直ぐさま薙刀の刃先をヴィクターへと向け横振りする。が、跳躍して見事に外壁に跳び乗りこれまた躱してみせた。


 「私はお前の味方であるぞ。私はお前の主人だ」


 ヴィクターは敵を見下ろし訳の分からないことを言った。こんなところで嘯いて何になるのか、味方である筈が無い。相手は彼から体の一部を奪った者ではないのか。敵は聞く耳もたず続け様に足元へと薙刀を振り下ろすのである。しかしヴィクターはふわりと跳躍してみせ躱すが、先ほどまでいた外壁は木っ端微塵に砕け散り砂埃が舞う。そして敵の眼前へと着地するや否や弾むように跳び上がり身をくるりと回すと、勢いに前屈みになっていた姿勢を正そうとする敵の顔面へと回し蹴りを喰らわせる。


 「ふぐぁ──」


 そこで初めて敵は声を漏らした。女性の声、というか音であったが、みっともない──蛙が潰れたような音であった。

 敵の体は軽々しく飛ばされ、二度三度と地面に体を打ちつけられるが、勢いは衰えず、その先に在った家屋を一軒破壊して漸くそこで敵の体は止まったようだった。


 「つ、強いじゃないですか。これなら勝てるんじゃないですか」


 そう言ったわたしにヴィクターは顔だけを向けて、「勝てたら君のところへと訪ねてないよ。頑丈な奴だ、また攻撃を仕掛けてくる。その小石、しっかり打つけてくれるかい」


 そう言って前へと向き直った。

 ああ、そうだった。これで勝てるようならヴィクターはわたしのところには来ていない。そもそも体の一部を奪られることなんてなかったわけで──いや、そもそも何故敵はヴィクターの体を奪るのだろうか。私は美しいからと、敵は人間に似て非なる者だから理解しなくていいと、何だかはぐらかされてしまったけれども、そもそもだ、そもそもヴィクター何者なのだろうか。さっきの蹴りや動きからして人間では無い。いや、そんなことは最初から分かっていたことではないのか。もう少し突き詰めるべきだったのではないか。はっきりさせるべきだったのではないか。


 それよりもあの蹴りを喰らっても無理なのなら小石如きを投げつけた打撃なんてなんの意味ももたないのではないか、そんな事を考えているうちに、敵はこちらへと駆け寄って来ていた。


 「小石を構えろ」


 言われるがままわたしは小石を構える。

 敵は少しばかり離れたところで跳躍しヴィクターの頭上まで高く跳び上がると、空中で薙刀を振り上げた。敵の背後の陽は燦々とし、わたしの目を細めた。


 外せば死ぬだろうか──。


 小石を握りしめ、振りかぶって投げる。が、検討違いなところへと飛んでいく。しかし幸いなことに敵の跳躍は阿呆ほどに高く落下するまでに二、三秒はあるだろう。そんな一瞬の考えをはっきりとさせる前にわたしは、瓦礫を拾い上げていた。打つけるだけでいい。威力は要らない。


 だが、外せば終い。

 しかし本当にそれで、それだけで済むのなら──。


 再度振りかぶって投げつける。小石は敵の正面へと飛んでいくけれど、避ける様子はなかった。空中では流石に避けるのは難儀か、それともわたしの投石の威力では避けるまでもなかったか。小石は敵の額へと当たり、敵はわたしたちの眼前へと振り上げた薙刀を下ろすことなく着地してみせた。


 その傍らで、わたしが投げた瓦礫が地面に落ちて砕けた。


 敵はヴィクターの方を少し見つめた後、どう言うわけか一礼した様に見え、こちらへと向いた。

 それから、一瞬の出来事だった。何が起きたのか理解した時には既に遅かった。避ける暇なんてない。避けようもない。敵の薙刀はわたしの腹部を貫いていた。足は宙に浮き、敵は軽々しく薙刀に貫かれたわたしを持ち上げそして見つめている。一方のヴィクターは、口角を吊り上げている。


 ………どう言うこと………だ?

 「教えてあげようか」


 そう言ってヴィクターはふふんと鼻で笑い、「これで君はもう終いだからね」と、敵の──敵だった筈のものの横へと両足で小さく飛び跳ねながら近寄った。


 「紹介してあげる。彼女は敵で、名前はない。君が名前をつけていなければだけれども。そして私は君で、君は君だけれど君じゃあない。分かるかい?」


 ヴィクターは訊ね、寄せ眉を顰めるわたしの表情を見て笑みを溢しながら、「疎いね。面倒だから嫌なのだけれども、仕方がない、一度だけだよ、説明してあげる。繰り返すが、君はもう、どう足掻こうが、終いなんだ」


 その重低音の声とは裏腹に女めいた口調でそう言い、背後で両手を組み、前屈みになってわたしの顔を覗くその面は、とてもとても嬉しそうで、心底腹が立った。そんな彼へと朦朧とした意識を集中させていたため耳が遠くなってしまっていたようで、後ろから迫る足音に気づかなかった。わたしを横切ってそれはヴィクターへと近寄った。


 「お、とう……さん………」


 掠れたわたしの声に応えず、横目にちらりと見やっただけですぐに父はヴィクターへと向き直り、懐から何かを取り出し渡した。それはどうやら煙草のようで受け取るや否や一本取り出して咥えた。袖からライターを取り出し火をつけると、ふかした煙をわたしの顔へと吹き掛けた。


 「さて、説明といこうか。まず、この世界が何処であるか、それはね──私の頭の中、脳味噌の中だよ。全ては私の想像であり、その肉体は私が創造したものだよ。つまりその肉体は偽物であるというわけで、では、君の本物の肉体は何処にあるのか」


 ヴィクターはにやりとし続けた──


 「君のその目に映る者が君の本当の肉体だあよ。つまり私はヴィクターではない。ヴィクターとは君のことだよ。まったく、君は本当に疎い、節穴であんぽんたんで、愚かだ」


 彼は鼻から煙を吐きだし、先ほどまでの笑みは何処へやら、つまらなそうな顔をして、「私はウィンター・ウォルガム。ヴィクター、君はもう私の──」

 「ウィンター………ウィンター・ウォルガム」


 ヴィクターは歯を食いしばり叫びだした。


 「ウィンター!貴様!」


 両の手をウィンターへと伸ばすが届かない。薙刀を掴み抜け出そうと足をバタつかせて足掻くが、敵は薙刀を地面へと突き刺しヴィクターを仰向けに寝かせた。


 「おや、思い出したかい。しかし残念だけれども、遅すぎるよ。彼女も君も、もう私のだよ、私のモノ。自分の呪いによって死ぬなんて可哀想だね。でも、同情の余地はないよ、人を呪わば穴二つってやつかな。それじゃあ、さようなら」


 そう言ってウィンターは煙草を地面へと放って踏み潰しその場から立ち去ろうとした。


 「ま、まて、ウィンター………」


 掠れた声を発したヴィクターに反応して彼女・・は瞬時に薙刀を引き抜きそして、喉元へと突き刺さした。ウィンターがヴィクターの声に反応して振り返るよりもはやく、振り返った時には既に死んでいた。そんな彼女へウィンターは顔だけ向け、「酷いねー」と言うと、こちらへと微笑みを溢した。


 「父親役はどうだった?」

 「どうも何も、あまり父親らしいことをしていないから正直、そんな気は全くしなかったし、それにこんな事しなくても君の力で幻想を見せればよかったんじゃないか?」

 「なあに言ってんのさ、君が関わりたいと言うからわざわざ面倒働いたんだ」


 ウィンターの背後でヴィクターの身体は碧色に発光し光の粒となって空へと昇っていく、その光景を彼女は黙ってただ見つめている。その表情は無表情ポーカーフェイスではあるけれども、その眼は些か寂しさをもっていた。


 彼女に感情なんてものがあるのだろうか。


 「彼女には感情なんてない、この身体に害なすモノを徹底的に排除する人形であり、ただのこの身体の一部に過ぎないよ」

 「一部って言うのはその黒くなっている所のことか?」


 ウィンターは頷く。


 「一部であるから、この身体にダメージが加えられると、その痛みが彼女へと伝達させる。それで彼女は敵か否かを判断する」

 「彼女もダメージを負うってこと?」

 「いや、痛覚が伝達されるだけで実際に彼女の身体には変化は起きないよ。因みに逆も然りだ、が、そもそもまず彼女がダメージを負うことはないね」


 それはつまり、彼女を相手にしなくとも本体を手中に収めて仕舞えばいいということであり、狙われるのは本体が先という話である。単純なことだけれども、本体へ何かしらの衝撃があれば彼女が動くわけで、結局は両方を相手にしなければないことになるから厄介なのだ。しかし、ウィンターはそれを避けてヴィクターの身体を手にした。その身とした。


 ウィンターの持つ力──幻想である。


 触れることさえ出来て仕舞えばその相手に幻想を見せることができる。夢か現か──幻想か、それを判断するのはとてもむつかしい。何せ、全て新しく構築されたもの植え付けるのだから。今回のように──ヴィクターは学校へ通う女子高校生ではないし、あのような過去も記憶もない。この世界も全てウィンターによって構築されたものなのだ。ただ、今回ばかりは少しやり方は違って実際にぼくが演技した部分はあったけれど。さらにウィンターの力は少し複雑で、幻想を見せるだけではなく、実際に構築した世界へと引き摺り込むわけなのだが、その世界の存在はウィンターの脳みその中にある。つまりぼくは今ウィンターの脳みその中にいるのだ。


 わけわからないよね。

 ぼくも正直わけわからないし、当の本人もよく理解していないのだから仕方ない。只今ぼくたちはウィンターの頭の中にいて、その外側がどうなっているのか、わからないのだ。ここでひとつ、では一体彼女──ヴィクターの体の一部がどうやってここへと入り込み、襲来したのか疑問だろう。彼女がやって来たのは頭上に在る巨大な楕円形の穴。先は見えない暗闇が広がっている。


 「何処に通じてるんだ?」


 ぼくは穴を見上げて訊ねた。


 「さあね、知らない」と、ウィンターも見上げて言った。

 ──だそうです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る